コンサルタント=ピアニストはきょうも語る

現役経営コンサル兼ピアニストが仕事術とピアノと減量と英語と沖縄とかについて語ります

青学の躍進に思ったこと

医薬品・医療機器のクライアント(前職の外資コンサルティングファームのクライアントも含め)感じるのは組織能力強化の必要性です。
その点、GEという組織はリーダーシップ、プロセス、仕組、ひっくるめて「オペレーティング・メカニズム」、経営基盤が強く運用が徹底されているところが何と言っても強みです。GEという会社について書かれている書物は多々ありますが、この「オペレーティング・メカニズム」についてきちんと書かれているものはありません。GEといえばまずリーン・シックス・シグマと未だに言われます。

GEの組織というものは、必ずしも一流のタレントの存在を前提としていません。実際、外形的にも(たとえば学歴)「いわゆる」一流と言われる日本企業に較べて、「いわゆる」「優秀な」人材がそろっている訳ではありません。

それでありながら、どの部門でも自らのミッションを認識し、個人としてもチームとしてもパフォーマンスを発揮することを求められ、また互いに積極的に部門の壁を超えて助け合って仕事を進める姿勢がトップから一般社員まで浸透しています。

このような組織観を、決してGEをお手本にした訳でもなく実践し、そして誰もが驚く成果を達成したのが青山学院大学陸上競技部でありこの組織を率いている原晋監督です。
今年の年始、1/2,1/3に毎年恒例の箱根駅伝(正式には東京箱根間往復大学駅伝競走)の第93回が開催され、青山学院大学は記録に残る三連覇を達成、また今年度の大学駅伝三冠を達成するという、かつての伝統校でも達成できなかった偉業を達成しました。

箱根駅伝に詳しい方は、毎年箱根駅伝に出場するだけでも如何に大変なことかご存知かと思います。シード校でなければ毎年10月に行われる予選会で上位10校に入らなければなりませんが、この予選会で良い成績をおさめるには、いったんこの時点にチーム全員(予選会には20名出場し、上位10名のタイム合計で競います)のピークを持ってこなければならず、その3ヶ月後にまた本番である箱根駅伝にピークを持ってくるというのはチームにとって大変な負担になります。

原監督がサラリーマンから転じて青学の監督に就任したのは13年前の2004年、その時点で青学は箱根駅伝から30年以上遠ざかっていましたが、原監督は就任から12年目の2014年には箱根駅伝で優勝争いするという目標とそれに向けてのロードマップを作成しました。そして2015年に実際に箱根駅伝で優勝、今年で三連覇という結果を導いたのです。

原監督は今や経営の世界でもその個人と組織の活性化において範とされる存在となりましたが、原監督がTVで語っていたモットー、「選手一人一人がいつも笑顔でいられるようなチーム」というのが印象に残っています。

筆者自身も高校から大学1年まで陸上競技部に所属し中長距離をやっていたのですが、陸上のトラック選手というのは本質的に孤独であると同時に、数字で結果がでる厳しい世界です。

長距離は短距離ほど天性の資質や才能に左右される訳ではない一方、日々の体調管理やトレーニングの積み重ねが結果に影響する厳しい世界です。

しかも駅伝というのは、時折箱根駅伝でも発生しますが、一人の不調がチームとしての成績に直接影響するため、個人でレースを走ることよりも遥かに高いプレッシャーを負っています。

昔ながらの「体育会系」なスパルタな練習と叱咤だけではパフォーマンス向上にも限界がありますし、病気やケガにもつながりやすく、結果としてチームのパフォーマンスは皆が楽しくやることに較べて遥かに下がるということを、原監督はサラリーマン時代の(営業としての)経験から良くご存じであり、また門外漢であったからこそ、従来の常識にとらわれない新しいアプローチを採用し成功することができたのではないかと思います。

もちろん、ただ「楽しく」というだけではチームに必要な規律を保つには不十分で、その為に、現状の最適化を超えた領域にゴールを設定し(これは本来企業のビジョン・戦略策定でもあるべきアプローチだと個人的には思います)たことも組織の方向性を定める上で重要でした。

また、監督が選手に一方的に指示し命令するのではなく、監督就任時点で選手たちに対し「一緒にルールをつくろう」と呼びかけ実際に合意できる具体的なルールを設定したことです。

我々が相手にするクライアントの多くの業種は、構造変化の中にあるまたは突入しようとしており、個々の企業も変革を迫られており、永年にわたって培われた慣性や惰性を打破することは容易ではなく、大きな阻害要因となります。

駅伝だから、スポーツの世界だから、と単なる逸話として捉えるのではなく、青学の事例を抽象度を上げつつも本質を捉えて個々の企業の変革に適用することはかなりの普遍性を持っていると思い、特にそれがヘルスケア関連企業においては有意義であると今回(先週)あらためて感じました。

活性酸素は悪者なのか?

活性酸素は、身体を錆びさせる、老化を促進する、がんになるなどともっともらしく喧伝されているのですっかり「活性酸素=悪者」という認識が一般的には定着している(洗脳している)かもしれませんが、本来活性酸素は生命活動において自然に発生しているものでもあり、また不可欠なものでもあります。
そもそも人間が生きていくにはエネルギーが必要であり、エネルギーを産出し消費しますが、消費する際に酸素を利用します。

呼吸によって体内に取り込まれた酸素の一部は、通常の状態でも不完全に還元され、活性酸素フリーラジカルになります。

ここで注意しなければならないのは活性酸素フリーラジカル(対になっていない電子すなわち不対電子を持ち、他の分子から電子を奪い取ろうとする力を有する分子)はイコールではなくまた包含関係にある訳でもありません。活性酸素フリーラジカルの部分集合である訳でもなく、活性酸素の中にはフリーラジカルでないものもあります。

人間の体内で生成される活性酸素には4種類あり、それらはスーパーオキシド、ヒドロオキシラジカル、過酸化水素、一重項酸素ですが、フリーラジカルに該当するのは前者2つです。
人間を含む哺乳類においては、摂取した酸素の数%が活性酸素に変化すると考えられています。

これら活性酸素フリーラジカルの多くは寿命が短いのですが、その寿命においてさまざまな体の成分と反応し代謝を制御する一方で、過剰に生じたものは細胞傷害をもたらします。

巷で活性酸素が言及される場合にはこの細胞障害が取り上げられる場合がほとんど全てなので、活性酸素=悪者という図式ができあがっているようです。

しかし、活性酸素は我々にとって必要なものでもあります。

例えば、免疫を司る代表選手である白血球は、活性酸素であるスーパーオキシド・過酸化水素などの作用によって感染防御の重要な役割を果たしています。

さまざまな生理機能をもつ一酸化窒素は、血管を弛緩させ末梢の血流を確保する役割ももちます。その他、シグナル伝達・排卵・受精・細胞の分化・アポトーシスなど、生理活性因子として利用されていることがわかっています。

健康に関する情報は玉石混淆どころか多分に発信する側の意図(健康食品や医薬品のマーケティングが最たるものですが)によって歪められ偏ったものになっており、また必ずしも解明されていないことであっても断片的な「エビデンス」によってさもそれが真実のように扱われていることもあります(「医師監修」とあってもです)。

客観的に捉える視点とそれに基づく能動的な情報収集が必要な好例として、今回は活性酸素を取り上げました。

巨大なくまさんが地球を歩くショートフィルムにはまった(続編)

数日前にも投稿しましたが、これには完全にはまってしまいました。

karapaia.com

日本人の方が制作されたようなのです。

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調べたところ、CM製作会社のCGディレクターである早井亨さんという方が2012年に製作されたそうです。

www.loftwork.com

名前はポコリンだそうです。ポコリン?!

身長は30mとありますが、森から見上げた映像からするに30mでは低すぎます。牛久大仏(120m)ぐらいはある筈です。

 

なぞは深まるばかりです。

 

ますます魅かれます。

 

アルツハイマーという難敵を倒す第一歩

デジタルバイオマーカーの出現

「見えないものはマネージできない」という表現があてはまるのは企業経営だけでなく医療の世界も然りです。特に心の病、脳機能に起因する病などはその最たるものです。「見える」ようにする、すなわち可視化するのがバイタルやバイオマーカー等なのですが、ここにきて「デジタルバイオマーカー」という概念も出てきました。

 

Mindstrong社

認知症は特に診断がやっかいです。どれだけ進んでいるのかを患者の行動から判断するしかないのが現状ですが、ここに来て定量的に判断するバイオマーカーというのが開発され、いくつか特許も取得しているようです。
これを基に認知症などの疾患のマネジメントを事業にしようとしている企業に米国で2014年に設立されたMindstrongというベンチャーがあります。

mindstronghealth.com

Mindstrong社は、既にForeSite CapitalやARCH Venture Partnersを含む6社ほどのベンチャーキャピタルの支援を受けています。どうやって測定するかというと、スマホを使って患者が字を書いたりしたもので判定するアルゴリズムとデータベースがあるのだそうです。このアルゴリズム構築には実際に被験者の行動と疾病の進行から「かなり高い再現性」で判定ができ、知的所有権としての価値も認められる水準なのだそうです。

 

アルツハイマー認知症という問題

アルツハイマー認知症は、寿命伸長と、心疾患等他の疾病の治療が進化する中、地球的に人類にとってますます深刻な課題となっており、しかも難敵で居続けています。

Alzheimer’s Disease Internationalによると、2016年時点で全世界のアルツハイマー認知症罹患者は4,400万人、ただし診断されている患者はその1/4、そしてそれらの患者の年間ケア費用は6,050億ドル(世界GDPの約1%)という巨額なものと推定されています。

これはすなわち莫大な潜在市場が存在することを意味します。これを医薬品メーカーが狙わない筈はありません。当然の如く各社はアルツハイマー認知症治療薬の開発にここ数十年躍起になり巨額の投資をしています。Scientific Americanの2014年の記事によると、2002年から2012年にかけての10年間だけをみても、候補物質の数は244もありました。
ところが実際は一つとして「治療薬」の開発に成功した例は未だかつてありません。開発の結果は死屍累々なのです。最近の最も華々しい失敗は米国のグローバルメガファーマであるイーライ・リリー(Eli Lilly)の抗体医薬solanuzemabu(ソラネズマブ、一般名)があります。同社が成長を賭けていたこの候補物質は、11月末にフェーズⅢ試験のエンドポイント(開発目標)を達成できないと同社が発表しました。これを受けて、同社の株価はその日5%下落しました。当時時価総額約9兆円でしたから、一日にして約9,000億円の損失となります。
失敗したのはLillyだけではありません。PfizerもJ&Jも、日本の武田薬品もそうです。失敗の要因はいくつか挙げられていますが、まずアルツハイマーの原因とされるアミロイドβというたんぱく質の過剰な蓄積、これを抗体医薬等高分子製剤によって除去するというアプローチそのものに原因があり、他の作用機序をターゲットにすべきではないかという意見も出ていますが未だ成功していないようです。また、アルツハイマーを正確に診断するためのバイオマーカーが存在しないという、診断技術上の問題もあります。

そして、もう一つ挙げられているのは医薬品メーカーの開発の在り方です。医薬品メーカーは、候補物質の可能性を信じ切っており、開発中止という大きな意思決定(埋没費用=サンクコストであるにも関わらず)をすることができない、という企業一般の意思決定上の問題を抱えています。「いい薬のはずだ」と信じ切っているので、疑うのは開発計画です。フェーズⅡであまり芳しい結果が出ていなかったにも関わらず、患者セグメントを絞る(サブグループと言っています)、統計的処理技術を駆使する、等して、何としてでも統計的に有意な有効性・安全性を「証明」しようとします。上述のsoanuzemabuの場合もそうでした。もしフェーズⅡの段階で意思決定できていれば、損失ははるかに小さく抑えることができたのは、過去の他社の失敗からも明らかなことです。

一流と言われる医薬品メーカーでもこのようなことが常態化しているのが、残念ながら医薬品開発の実態です。そして、この問題は永年に亘って放置されているに等しい状況です。米国のトランプ新大統領が医薬品業界に対して厳しい視線を向けているのは、むしろ解決が遅きに失し続けている構造的問題を解決し、医薬品市場・業界の本来あるべき姿を実現する上では福音となるかもしれません。

 

大きな問題の解決も一歩から

認知症は、グローバルに、最大のアンメットメディカルニーズの一つです。特に診断も治療も難しいという意味においてダブルに厄介です。

診断と治療は独立ではなく、診断技術の進歩によって治療が進歩することもありますので、まずはMindstrong社の技術のように「見える化」することは大きな一歩です。

このショートフィルムはすごい

おっきなくまさんがひたすら歩いている(一部こっくりしたり泳いでいる)。

ただそれだけのショートフィルム。

しかしなぜか心うたれほのぼのする。

vimeo.com

こういうセンスこそ才能だとおもう。

歩いて医療費削減~メッツ健康法

世の中の健康法の多くは「疑似科学」です。「~が健康に良い」は昔から次から次へと出てきますし、いわゆるトクホも機能性表示食品にしてもそうですが、実は根拠(エビデンス)が乏しい「疑似科学」に過ぎないものがほとんとです。

そんな中でじむが注目している、エビデンスが構築されている健康法があります。

近年注目されている健康法に、メッツ健康法というものがあります。

www.fod-nsystem.com

メッツとはMETs(metabolic equivalents)すなわち代謝当量で、何と当量かというと運動ですが、ここでいう運動とはスポーツではなく、日常生活の中の身体活動が基本です。安静時の代謝(消費カロリー)を1とした場合に、運動強度が2倍であれば2メッツ、3倍であれば3メッツと計算します。運動強度は大きく低中高の3分類で、低強度は1~3メッツ、軽い家事、ゆっくりとした散歩、ゲートボールなど、中強度は3~6メッツ、早歩き、山歩き、やや重い家事、高強度は6メッツ以上で、ジョギング、水泳、テニス等が該当します。

これはKPIですが、健康法としての意義は生活習慣病(糖尿病、高血圧等)の予防と運動強度の定量的な関係を導いたところにあり、この根拠には群馬県中之条町の65歳以上の住民5,000人を対象に約15年間にわたり、活動量計を用いて継続的に調査・分析を行なった結果に基づいており、実際に中之条町においては、9割以上の人が高血圧や糖尿病の有意な改善がみられ、医療費は3割削減、月当たり1万円の低減がみられたということです。

予防する対象によって運動強度は変わるのですが、最も基本となるのは、1日8,000歩、中強度の運動を1日20分行なうということです。

歩くことの健康維持・向上への意義は世界的にも認められる潮流にあり、海外の医療保険会社は、活動量計で計測した歩数や運動量を以て保険料のディスカウントを行なう商品設計を検討しているところもあるようです。

 

メッツ健康法と近いものに、筑波大学大学院人間総合科学研究科スポーツ医学専攻教授の久野譜也さんの研究があります。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ichiokusoukatsuyaku/iken_koukankai/dai2/siryou2.pdf

これは1年半前の2015年11月に首相官邸での会議に久野先生が提出されたものですが、この最後のページに、0.061歩歩くことで医療費が1円削減されるという研究結果があります。

日本の医療費は約40兆円ですが、これが2025年までに60兆円に膨れ上がるというのが政府の試算であり、これは財政破綻に直結します。つまり20兆円(あるいはそれ以上)削減しなければならないのです。税収が劇的に増える要因は現実的ではないからです。

歩くと健康になり疾病や介護が予防できるという因果関係ではなく、あくまでも相関関係ではあるのですが、この極めて判り易いしかも一定の根拠のある算式をもとに、20兆円削減するにはどれだけ歩かなければならないか簡単に計算してみましょう。

日本の成人人口は約1億人です。

20兆円を先の式「0.061円=1歩」に代入すると、歩数に換算して328兆歩となり、成人一人あたりでは年間328万歩になります。

これはとてつもない歩数ですがあくまで年間です。1日当たりにすると8,900歩ほどになります。1日5,000歩普段歩いている人は追加で8,900歩、すなわち13,900歩歩いてくれということになりますね。ただこれは若い元気な人だけでなくかなりご高齢の方や病気の方、障がいのある方も含むので、かなり高いハードルです。足腰を痛めている人にやたらに歩けといっても却って身体を害することになります。

しかしながら、メッツ健康法にしても久野先生の研究にしても共通しているのは、医療費の負担が大きい生活習慣病の多くは、日常的に歩くことで予防できると一般的に結論できるということなのです。

現代の成人男性の摂取カロリーは実は戦後間もない頃と較べてむしろ減っているというデータがあります。にもかかわらず肥満やメタボが増えているのはひとえに運動量が減ったからだとされています。

中之条町や久野先生の研究を待たずとも、現代人がそもそも運動不足なのは明らかであり、進化の遅い人間にとって、ある程度運動をすることを前提に作られている身体の仕組が数十年数百年のスパンで変わるものではなく、運動しなければやはり不自然なのです。

様々が技術が出てきていますが、まずはこのような自然の摂理に即し理に叶ったこと、しかもお金をかけることもなく簡単にできることを当たり前のものとして実践すればよいのです。

本番準備はゴール思考と状態シミュレーションで

今週末は重要な本番、難関コンクールの予選があります。ピアノです。

マチュア限定のコンクールではないので、音楽の専門教育を受けた人、中にはプロのピアニストもいらっしゃいます。

コンクールに限らず公開演奏は緊張してしまうものですが、「あがって」しまってはいけません。適度の緊張感は良い演奏のためには必要なのです。一方、あがるとは極度の緊張と興奮(動悸がひどいなど)で身体が思い通りにならなくなることなので危険です。

ではどうすれば適度の緊張感をもって本番で良い演奏ができるでしょうか。

以前に師事していた先生がヨーロッパ留学時代、コンクールで良い演奏ができたとき、その評価は「よく準備しましたね」だったそうです。

そもそも、ピアノの演奏とは高度に知的・音楽的・身体的な統合作業ですから、十分な準備なくしてできるものではありません。

ましてコンクールともなれば、音大の先生やプロのコンサートピアニスト、音楽評論家や作曲家など、音楽を熟知し、耳が肥えたなどというレベルを超えた方々が、耳を澄まして厳しく審査するのですから、それに応える演奏をするというのは並大抵のことではありません。

本番前にやるべき準備とは、ピアノに向かってやる練習とピアノから離れてやることの2とおりあります。

ピアノに向かってやる練習は、とにかく普段以上にディテールに神経を集中し、あいまいな音や乱暴な無造作な音が決して出ることがないよう、そのために音楽の理解と身体的な運動の自然さを確認することです。本番で緊張し身体に力が入るとどうしても響きが堅くなったり、デュナーミクに乏しい平板な演奏になってしまったりします。これは必ず減点されます。したがって、特に手首、肘、肩に余分な力が入ったり固くなったりしないよう、少しでも無理をしている箇所はないか、チェックすることが必要です。

一曲を想定するテンポで何度も繰り返すような練習は時間の無駄です。片手ずつでも(特に苦手な方の手、多くの人は左手ですね)、あるいは一声ずつでも、数小節単位でも、分解して優先順位をつけて練習することです。また、本番で弾く想定より一段階弱い音量で、たとえばmfで弾くところであればpで弾くなどするとコントロールがより求められるので練習としては効果的です。

ピアノを離れてやる作業の一つは、楽譜の確認です。音の読み間違いはないかはもちろん、表意記号や楽曲の構成、フレーズなどです。フレージングは特に重要です。

もう一つは、本番で自分が弾いている状態をイメージすることです。コンクールで通過する結果のイメージではなく、プロセスのイメージです。自然な呼吸で身体はリラックスしつつも耳は研ぎ澄まされ、ホール内の空間に伸びていく音響を聴きつつ、一瞬一瞬に集中して演奏している自分の姿です。指先や指の動きに集中するのではなく、音響に集中している状態です。音楽の流れを感じ、決して流れは途切れることなく、無理な動きの一つもなく、堂々と演奏しています。結果など気にせず、多少のミスタッチなどにとらわれず、自分の音楽を創り出し、審査員含め弾く人を自分の音楽世界に引き込んでいるのです。ピアノもホールも聴衆も自分の演奏の間はすべて自分が支配している状態です。

何百回と本番を経験していますが、このような考え方に至り、明文化しているのは今回が初めてです。

結果を怖れて練習に駆り立てられるのではなく、イメージどおりいい演奏ができる喜びに導かれて準備したいとおもいます。