コンサルタント=ピアニスト=ランナーはきょうも語る

現役経営コンサル兼ピアニストがランニングと仕事術とピアノと英語とかについて語ります

リスクマネジメントのプロ③リスクの評価

前回②では、リスクの特定について、従来まったく述べられていない独自の考え方(既に実践済)を書いた。

リスクのリスト作りは骨の折れる作業であるだけに、手段が目的化しがちである。やりとりさせていただいている米国のリスクコンサルタントも、”enterprise list management”になりがちと言っている。

 

今回は、その次のステップ、如何に特定したリスクを評価するかについて述べる。

何を評価するかと言えば、最終的に各リスクにどれだけの経営資源を配分すべきかの根拠となるものがアウトプットとなるようリスクの頻度とインパクト、それに必要な対応を立案するに必要な情報を得るのである。

どういう尺度で評価するかというと、単純にインパクトの金額×頻度=期待損失ということではなく(それでよい場合もあるが)、あくまで経営目的に対する影響と、対応の困難さ(予測の難しさを含む)、それに評価の精度を上げる上で不足している情報、の3点セットで評価する。

事象によってはたとえば地震のように頻度推定も、予測も困難(ほとんど不可能)というものもあるからだ。

また、自社が情報を持っていない故の不確実性もある。

リスクマネジメントとはビジネスインテリジェンス強化でもあるため、「何を知る必要があるか」を把握することが直接アクションにつながる。事業計画策定のためのマーケットリサーチがその例である。

 

【読書メモ】1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法

持論として時の試練を経た書しか読まないのだが、尊敬する人が書いたまたは薦める書は別である。

https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/B07P6JV9BD/ref=tmm_kin_title_0?ie=UTF8&qid=1559706550&sr=8-1

言っておくが、この本を読んで実践し実際におだやかに暮らすことは並大抵ではないので、決してこのhowーto的タイトルに惑わされてはならない。

内容に忠実に命名するならば、この本は「人間として最高の能力を獲得する方法論」、あるいは「真の知性を求めるための思考法」とでもすべきであろう。

著者の山口氏はこう喝破する:「真の知性とは囚われない心を持つことである」と。

普段から「執着は愚」と見なしている自分にはすんなり入ってくる言葉である。

自分は賢いと思っている人こそ読むべき書である。

ショパン前奏曲集作品28(117)19番が難しい理由

16番、24番と並び作品28中特に難しいのが19番である。なにしろ注文が多い。

  • 終始開離分散和音であるため、疲れやすい。疲れると音が硬くなったり外しやすくなるため、手首や肘の柔軟性、手首の水平方向の回転で弾くべきところと、素早い平行移動を行なうべきところを見極めて弾く必要がある
  • あくまでも旋律はソプラノにある。内声が決してうるさくならないようしかしバランスよく響かせること
  • 最初の2小節、および9-10小節、33-34小節、41-42小節はすべてEs durの主和音構成音(es, g, b)のみから成り、ダンパーペダルの指示も踏みっぱなしであるゆえに、決して主和音以外の音を弾いてはならない
  • ショパンは繰り返しを決して同じように弾いてはならない。5-6小節と7-8小節はほぼ同じではあっても明らかに色は違う
  • 16小節3拍目から場が変わる。場の変化をビジュアルに感じ取れるように弾くこと
  • 21小節から光が差してくる。明るさを出していく。がこれも束の間で25小節から若干暗くなる
  • 29-30小節は2拍毎にはっきりと色を変えること
  • 32小節絵の2拍目のスラーには意味がある
  • 34小節からは再現部であるから、はっきりと回帰感を出すこと
  • 41小節目は同じ動機の4回目であるが、これが最後である感じを出すこと
  • 46-47小節と48-49小節は明らかに性格が異なる。57-58小節と59-60小節も同様
  • 62小節の最初のバス音は決して前後で間延びしない/遅れないこと
  • 68小節目の3拍目のスラーを忘れないこと

リスクマネジメントのプロ②リスク特定

方法論として定まっているリスクマネジメントの起点はリスクマネジメント計画の策定であり、その第一の作業はリスクの特定である。

どの教科書にも書いてあるこのリスクの特定作業だが、これがどうして難しいのである。

リスク特定のためのツールや手段はいろいろあって、ブレインストーミングやら既存のテンプレートを活用するなど書かれているが、どれ一つとして「これをやれば網羅的にリスクが洗い出せる」というものは存在しない。

同業他社のリスク登録簿(risk register)が仮に入手されたとしてそれを使えばいいというものでもない。なぜか。いくら同業でも戦略も事業内容も構成員もすべて同じではないからだ。

ではどうすればいいか。

よくノウハウを出し惜しみするコンサルタントがいる。さわりだけ伝えて「お気軽にご相談ください」というアレだ。

そんなのは大したコンサルタントではない。

事業機会を洗い出すのだ。市場機会ではない。自社が捕捉しようとする市場機会である。

事業機会を捕捉し、売上・利益目標を達成するためには、いかなる戦略すなわち誰に何をいくらで何を売り文句に顧客を納得させどう届けるかを具体化せねばならない。具体化していくとそれぞれの要素に未知や不確実性が見えてくる。知らないこともリスクになる。

これは、コンサルタントとして50社超の、日本およびグローバルの大企業からスタートアップまで、金融、商社、医薬品、化学から建設業に至るまで様々な業種における成長戦略支援を行なってきた中で、業績を継続的に向上させる仕組づくりまで、時に手取り足取り、社長や経営陣を説得しつつ取り組んだ経験から、テンプレート作りまで含め自ら直接やってきたことであり、特に組織的に平仄を合わせ行なわなければならないリスクマネジメントが困難を極める大企業に対しては、いますぐにでも教えて差し上げられることである(というより今実際にやっているのだが)。

 

次回はリスク評価について書いてみる。これも自分の得意分野である。

リスクマネジメントのプロとして①自分の軸

目下のプロジェクトのテーマはリスクマネジメントである。

大企業のリスクマネジメントの実態を調査・分析している。

そもそもビジネスにおけるリスクマネジメントとは何なのか。

ビジネスとはチャンスを取りに行くことだ。

チャンスを取りに行くことには必ず大なり小なりリスクが伴う。

リスクとは何か。危険ではない。危機でもない。一言でいえば不確実性である。

何の不確実性かといえば、ビジネスの目的を達成するかに関わる不確実性である。

自らの製品やサービスをそもそも開発するところからして確実なものなどない。

どれだけ売れるかも100%予測することは不可能である。

しかし予測しなければ経営資源を確保し配分できない。生産も営業もおぼつかない。

こんな経営の基本中の基本をわざわざ持ち出す理由は、突き詰めて考えるとリスクマネジメントが経営そのものであることに思い至るから。

そう考えると、実は自分が学生時代(修士)から研究者としてエンジニアとして実務家(新規事業やプロジェクトマネジメント)として戦略コンサルタントとしてやってきたことは、すべてリスクマネジメントを如何に行なうかを追求してきたことになる。自分のキャリアに一本軸が通った。

そう。事業機会マネジメントである。

 

ショパン前奏曲集作品28(116)16番が難しい理由

ひととおりアナリーゼを終え、ここ2か月余り鍵盤上で24曲さらい、また一度レッスンも受けたが、やはり難しいのは16番である。

右手の十六分音符のパッセージは最初の2小節は旋律短音階の構成音のみなので問題ないが、曲が進むにつれ構成音外の音が混じり、かつパッセージの上行下行が入り乱れ方向転換を高速に行なわなければならないため、メカニカルに難しい。

ゆっくりさらうことはもちろん必要だが、しかしインテンポで弾くことを想定した運指なり手首や腕の使い方で練習しなければ意味がない。

左手は跳躍があるのみならず、ショパンが指示したアーティキュレーションの変化も厳格に守るべきなので、一見単調だが難度が増す。しかも、2つのバスラインすなわち弱拍の通奏低音と強拍のラインも出さなければならない。これが安定した演奏、音楽の流れを支える重要な構成要素だからである。

さらに、和声進行に伴う色彩の変化、小節内でのデュナーミクと4小節あるいは8小節の楽節のうねりや方向感を出さなければまことに単調な曲になってしまうので、インテンポでしかもcon fuocoの曲で緻密に設計した色彩の変化を出すことはきわめて難しい。

さらに今度のコンサートでは16~24番を抜粋して弾くことに決めたため、リハーサル無しで1曲目にこれを弾くとなると、明鏡止水の心境で激しい憤怒の情を表現しなければならない。

無謀である。

安全運転を心がけようとするとかえって堅くなるリスクがあるので、指から腕の自然な滑らかな動きを潜在意識に覚えこませること、また決して右手は大きな音で弾こうとしないことが重要。速いパッセージは音の密度が高いのでmfで弾いているつもりでもfになる。

ショパン前奏曲集作品28(115)室内オーケストラ編曲版

以前(この年明けに)ショパン前奏曲集作品28のオーケストラ編曲版について書いた。

jimkbys471.hatenablog.com

 

昨日、もう一つの編曲版があることを発見した。ジュリアン・ユーによる室内オーケストラ編曲版である。 

shop.zen-on.co.jp

 

編曲者による序文を読むと、このジャン・フランセの編曲に感動して自分でも書いてみようと思ったという。自分でも書いてみようと思って実際に書いてしまうというのはよほどの熱意である。

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そして、各曲に独自の副題を付けている。コルトーハンス・フォン・ビューローとも違う感性が現れており興味深い。

1 そよ風 Gentle Breeze
2 舞い落ちる花びら Falling Petals
3 流れる小川 Flowing Stream
4 Weeping
5 さざ波 Ripples
6 夢の情景 Dream Scene
7 Song
8 回帰 The Return
9 高い山々 High Mountains
10 ホタル The Firefly
11 柳の葉 Willow Fronds
12 王冠 The Clown
13 月の下で Under The Moon
14 雷鳴 Rolling Thunder
15 雨だれ Raindrops
16 追跡! The Pursuit!
17 愛の誓い The Oath of Love
18 悲歌 Lamentation
19 甘い夢 Sweet Dream
20 葬送 Funeral
21 春のめざめ Spring Awakenings
22 秋の祭典 The Rite of Autumn
23 清らかな湧水 A Fresh Spring of Water
24 飛翔 Soaring

ショパン前奏曲集作品28(114)遠藤郁子のアルバム②

遠藤郁子のショパン前奏曲集作品28と作品45が収められたアルバムを購入、聴いてみた。

 

ショパン春夏秋冬

ショパン春夏秋冬

 

 

ライナーノーツはこんな感じ。

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実際に演奏を聴いてみると、彼女が解説している高次元の有機的な結合でありシューマンやリストの評価が表出していることを感じる。

ショパン前奏曲集作品28(113)各曲の関連性②

論文を見つけた。やはり研究している人はいるのだ。

ショパン24の前奏曲」op.28にみる各曲の関連性と対称性について, 木下千代, 音楽表現学, 5, 33 - 44,   2007年11月

である。

まず要旨にはこうある:

「筆者(注:ピアニストである)も演奏に際してどのようにまとめたらよいかを考えるうちに、平行調の2曲ずつに書法上の関連があり2曲が対をなしているのではないかということに気づいた」

これは重要なポイントである。さらに:

「また平行長短調だけでなく5度上の調に移行する時も、音型などに何らかの関連性をもたせていることが多い」

としている。

つまり、24曲全てが関連性を持って綴られているということである。

こうなるとますます前奏曲集作品28は組曲として一つのまとまりを持った作品であるという意味を成すことになる。

前回①で提示した(仮説として)隣り合う曲との関連性(最終和音のソプラノを次の曲のメロディの開始音につなげていく方法)以外に、木下氏がこの論文で指摘いるのは例えば以下の関係である:

  • 2番と3番のモチーフ上の関連(付点リズムの縮小)
  • 4番で強調される下行する2度進行の5番へのつながり
  • フェルマータのない曲の次の曲への(attaca的に)切れ目のないつながり
  • 14番終結部のesのオスティナートの15番のオスティナートへのつながり

・・・とこのようなつながりをショパンが意図的に行なっていることは言うまでもなく、演奏の際には十分に意識しなげればならない。

ショパン前奏曲集作品28(112)各曲の関連性①

ショパン前奏曲集作品28に関して述べたウェブサイトは多い。これまでおそらく20を超えるサイトを見てきたが、その中に「各曲の関連性は(五度調と平行調という調性関係を除けば)無い」という論調のものがいくつかある。

これに対して異を唱えたいので、自分なりの考えを述べてみる。

今回は、連続する楽曲の接続を考えてみる。

1番ハ長調の最後の音はE4(ピアノの中央ハ音はC4)である。次の2番イ短調の旋律の最初の音はE4である。ここに接続性は無いのだろうか。

2番イ短調の最後の音(アルペジオ最高音)はA3である。3番ト長調の旋律の最初の音はD4であるので1番と2番のような接続は無いが、左手のパッセージ、冒頭の第4音は一の和音の和声外音でA3である。これは接続と言えないだろうか。

3番ト長調の最後の音はこれも先行2曲と同様にアルペジオ最高音だがH4である。そして続く4番ホ短調の冒頭はH3-H4である。これは接続に非ずなのだろうか。

4番ホ短調の最後の音はアルペジオではないが最高音はE4であり、5番ニ長調の左手パッセージ1小節目の最高音もE4である。これは対応しているとは言えまいか。

7番の最終小節の前の小節、15小節目はCisがわざわざ前打音になっており、続く8番の旋律が1オクターブ低いもののCisで始まっているのは接続とは言えないのだろうか。

11番ロ長調の最後の和音の最高音はDisであり、12番嬰ト短調の旋律が同じDisで開始している。

12番嬰ト短調の最後の音はGisであり、続く13番嬰ヘ長調の左手の分散和音に和声外音であるGisが現れている。

13番嬰ヘ長調の最後の音はAisだが、異名同音のBが続く14番変ホ短調の最初の1小節、右手に3度出現する第五音。

17番変イ長調の右手の最後のC4音は18番ヘ短調の冒頭の音に一致。

19番変ホ長調の最後の和音の最高音Gは20番ハ短調の最初の和音の最高音に一致。

21番変ロ長調の左手の最後の和音は22番ト短調の冒頭の和音と一致。

このように、変則的になってくるものの、先行曲の最終音と後続曲の冒頭に現れる音の一致もしくは対応が認められる場合が多いのではないか。

きっとこの点に着目した研究もあるだろう。探してみる。

次回は動機について見ていく。