コンサルタント=ピアニスト=ランナーはきょうも語る

現役経営コンサル兼ピアニストがランニングと仕事術とピアノと英語とかについて語ります

【ランニング】Jakob Ingebrigtsenというランナー

おはようございます。
きょうはめずらしく寝坊(起きたら4時半)してしまったので朝ランはおやすみです。

きのう、良いイメージをもつためにYoutubeを見ていたら、有望なランナーを発見しました。
ノルウェーの19歳、Jakob Ingebrigtsenです。

ヤコブ・インゲブリクトセン

呼びにくいですね。ヤコブくんでいいでしょう。
2017年5月27日、アメリカはオレゴン州ユージーンでのレースで、史上最年少で1マイル4分を切ったことで一気に名を知られることになったそうです(じむには知られていませんでした)。記録は3分58秒22(秒以下はぼくの記憶なのでちゃんと確認しておきます)。

ちなみに1マイルのパーソナルベストは去年2019年6月30日にパロアルトのレースPrefontaine Classic(おぉあのプレフォンテーンの名を冠したレースですね!)で出した3分51秒30秒とのこと。

彼が単なる早熟な天才ランナーということにとどまらず、エリートランナーとして一躍名声を得たのは2018年の欧州選手権(ベルリン)のこと。
1500mで3分38秒10で優勝した翌日、5000mで13分17秒06で優勝。

ハイライト動画をご覧ください。

Jakob Ingebrigtsen best moments • 1080p


果たして彼はどこまで速くなれるのか。1500mを3分21秒(!)と予想する人もいます。説明動画:

JAKOB INGEBRIGTSEN - HOW FAST CAN HE RUN?

注目のランナーです。

ランニングの目標設定について

おはようございます。。初心者🔰ランナー(元陸上部という過去はブランク長すぎるためオールクリア!)のじむです。
昨日は出社でノーラン。今朝も雨でノーラン。体幹トレを10分やりました。

今回はランニングの目標設定について語ります。

この1月から外ランを始め、明らかなオーバーユースで膝の痛みが発生したのをきっかけに、プロのランニングコーチにレッスンを言受け、走り方(フォーム、呼吸法、意識など)について学び、この4月からジム休業に伴い外ランにスイッチして約1ヶ月。
Youtube動画、ランニング本、ランナーの友人(サブスリー)に多くを学び、やっとランナーらしくなってきたところで、ちゃんと目標設定して目的的に練習を行なうことにようやく目覚めました。

自分にとって目標とは何か?それはランニングへのモチベーション、できれば外発的ではなく内発的であるべき。内発的動機(intrinsic motivation)の方がはるかに強いからです。
速くなりたいというのが根底にあります。
なぜ速くなりたいか。
気持ちいいからです。それだけです。そしてそれだけで十分です。

フルマラソン完走でも、ましてサブスリーでもない。誰かより速くなりたいということでもない。

コーチから言われたこと: タイムはあとからついてくる。タイムを追いかけると苦しい。タイムは出せればうれしいけど出せないとがっかりする。とはいってもタイムを一つの目安として、達成できなくてもチャレンジすることを楽しめればいい。

速くなりたいとはいっても、何か定量的な目安は欲しい。
ライバルは昨日の自分ではあるものの、タイムというのはその日のコンディション(自分の体調だけではなく、天候もある)にもよるので、タイムは単調減少関数ではない。

強いてタイムで言えば:

  • 10kmで40分を切ること。そのためには
  • 5kmで20分を切る。そのためには
  • 3kmで12分を切る。そのためには
  • 1,500mで6分を切る

という感じ。要するにキロ4でどれだけ長く走れるか。そのうちフルマラソン走りたい欲求が芽生えたらそれがそのままサブスリーになる。そんな感じでよいのではとおもってます。

重要なのはフォーム。それも全身の連動という意味でのダイナミックな意味での(スタティックではなく)フォーム。

キプチョゲ美しい・・・ 人間の走りというのは本来美しいものですね。よどみない回転運動。重力に逆らうのではなく重力を利用している。人体のすべてがまるで走るためにあるかのようにさえ思わされます。

Eliud Kipchoge's RUNNING FORM - 5 Simple Ways for YOU to Run Better

フォームについてコーチに言われたこと3つ:
①自分の身体がゴムのように柔らかいことをイメージする
②軸をまっすぐに。頭から吊られているように
③地面の反力を利用するように

①はこんな感じ?

Incredibles 2 - Elastigirl Best Moments

②はこんな感じ?(thanks toぱり先生)

マリオネット体操(アップテンポ版) / Puppet House

③はこんな感じ?

月でジャンプするとどうなる?月と地球の引力重力の違い。

・・・まぁとにかく、ピアノでもゴルフでもそうですが、良いイメージをまずは持つことが第一。練習で良いイメージを身体に覚え込ませていく。タイガーウッズもそう言ってました。
要素還元論的に分解して考えることも時には必要ですが、最終的には統合しないと。

なので、目標はあくまで美しいフォーム(スタティックではなくダイナミック。大事なことは2回言う)。
タイムはそれがどこまでできているか、最大酸素摂取量という一朝一夕には上がらない能力がどこまで向上しているかの目安。

ということで本日は以上です。雨が上がったらイメージ改善ジョグに出かけます。

【読書メモ】最高の走り方 ~超効率的「ベストな1歩」が記録を伸ばす!(弘山勉)

いつものまえがき:ランナーにとっては、走らない時間すなわち一日の9割超の時間もトレーニングである。考えながら走るのは良くないが、走らない時間は正しい考え方で考えよう。そのための読書である。先人の知恵に学ぶ。ただし批判的に読むこと。

今回取り上げるのはこの本である。


筑波大駅伝監督の弘山勉さんが「最高の一歩」のメカニズムと練習方法について教えてくれます。
千里の道も一歩から。フルマラソンの数万歩も一歩から。日々の練習も一歩一歩の積み重ね。

一歩入魂。

では最高の一歩とはどのようなものか。
弘山さんによると、ランナーにアンケートをとった結果、走るときに意識するポイント1位~5位は姿勢、接地、腕振り、骨盤、重心だということで、まずはこの1つ1つについて正しいこと/間違っていることを図解してくれています。

姿勢: まっすぐ立つ(マリオネットが吊られているように)。頭は背骨の上に載せるイメージ。背骨は力を入れずまっすぐに、骨盤を立たせ(自然に立つ)、腹圧を保つ。その姿勢のまままずは歩きの際にも常に感覚をつかむよう意識して歩く。そして走りにつなげていく。感覚を動きとして形にしていく。

接地: 着地は接地と乗り込みに分けられる。接地(着地開始の瞬間)は足はまだ身体の前にある。そして体重が乗る乗り込みの瞬間には重心の真下に来る。しかし接地を足先でコントロールするのではなく動きの中で自然に決まるもの。

腕振り: 腕振りの目的は身体の軸を中心に効率よくトルソを捩ること。身体の構造的に腕振りはやや斜めになる。振り子の原理で、腕が下り肘が体側を通過する際に力を加えるように。

骨盤: 骨盤は固定するのではなくタテ(前後方向)にローリングすることで推進力を生み出す。

重心: 乗り込み~沈み込みで身体は上下動し、地面の反力を推進力に変える。地面を押すときは膝と脛を動かさない。

これらはあくまでも要素分解したものであって、最も重要なのはランニングは全身の連動であり、全身を連動させてこそ「最高の一歩」が生まれる、というのが本書のメインメッセージです。

初心者であるぼくの段階では、どうしてもこれらのポイント(および呼吸など)の個々に意識が行ってしまって、「連動」ができていないわけです。脱力脱力と言い聞かせてはいるものの、どこかを意識すると必ずどこかに力が入ってしまう。
また、どうしても左右の差があるので軸もぶれてしまう。大きなぶれではなくとも、長距離を走れば必ず無駄(非効率)も大きくなる。
筋力があってもフォームが悪ければスピードは出ないし、スピードは出ても非効率なフォームであれば持久力は弱くなる。
もちろんフォーム以外に最大酸素摂取能力や乳酸耐性も重要なファクターではありますが。
間違ったフォームでただ距離を積んでも間違ったフォームが定着してしまうだけであり、故障にもつながる。

最高の一歩。

まだ自分のフォームを録画して点検したことがないので近々やってみようと思います。

【読書メモ】サブ2.5医師が教える マラソン自己ベスト最速達成メソッド

いつものまえがき: ランナーにとっては、走らない時間すなわち一日の9割超の時間もトレーニングである。考えながら走るのは良くないが、走らない時間は正しい考え方で考えよう。そのための読書である。先人の知恵に学ぶ。ただし批判的に読むこと。

ランニング書籍を取り上げるのもあと数冊になりました。

今回取り上げるのはこの本であります。

この本は良著であるです。2つのポイントにおいて:
1.トレーニングの種類が目的ごとに書かれていること
2.メンタルの重要性を説き具体策が書かれていること

まず、1について。トレーニングの種類と目的をまとめると:

  • ジョグ: ペースの構築、フォームや接地感覚のチェック、疲労抜き

インターバル走: 心肺刺激とスピードの慣れ
レペティション走: 同上(インターバルより長い距離での)
ペース走: スピード持久力の養成
距離走またはLSD: 持久力の強化
月1タイムトライアル: 成長実感とモチベーション維持
準高地トレーニング: 夏場での高負荷練習
この他にクロストレーニングとして、筋トレ、ウォーキング、トレッドミル、スイミング、エアロバイク、自転車との組合せも提案されています。

いいですね。

次に、メンタルについて。いくつか引用します:

「やりたくないな」というマイナスのイメージではなく、強くなるためにも「この練習は絶対に必要な練習だ」といったプラスのイメージを持って、モチベーション高く取り組むことで効果も上がります。歯を食いしばって何とかきつい練習をこなせた時の達成感こそが、気分を爽快にし、レベルアップにつながる鍵になるのです。

ラソンのような持久系競技において、パフォーマンスアップのための目標設定強度としては、心理学的には成功する確率が50%(五分五分)に近いことが推奨されています。

「ちょっとした考え方の工夫によって、脳を騙して効率を上げる」これが私の練習法の特徴の一つです。

いいですね。すごくいい。

さらに、第三章では怪我・故障の防ぎ方をきわめて具体的に解説してくれています。

「一歩入魂」のためにもこれはすべて理解しておかなければ。

ではまた。あした。

【読書メモ】走れるカラダになる 体幹「3S」メソッド

いつものまえがき: ランナーにとっては、走らない時間すなわち一日の9割超の時間もトレーニングである。考えながら走るのは良くないが、走らない時間は正しい考え方で考えよう。そのための読書である。先人の知恵に学ぶ。ただし批判的に読むこと。

今回取り上げるのはこの本である。

この本を手にしたのはもう2年ぐらい前になる。当時はほとんど走れなかった。1㎞走るのも苦しいくらい。
しかし体幹レーニングは毎日かなり強度を上げてやっていた。
どちらかというと「走れる」より「体幹」に興味があってこの本を買った。

「3S」というわかりやすいキャッチコピーもいい。コンサルタントは「3」が好きなのだ。「その理由は3つあります」「戦略オプションは3つあります」というように我々の職業にとって「3」はマジックナンバーなのである。

著者の青山さんはご自分もトライアスリートであるトレーナーだが、青山さんが言う「3S」とはStretch, Switch, Strengthである。
ストレッチとは文字通り我々が理解しているストレッチのこと。この本では20種目のストレッチが詳しく紹介されており、「全部やりなさい」とのことである。

はい。全部やります。

スイッチとは、いい身体状態にするにはスイッチを入れる必要があること。
そして、ストレングスとはスイッチが入った状態の身体でトレーニングを行ない強化するということである。

わかりやすい。

そして、ランナーにとって、そもそも立つ姿勢の重要性、歩くことの重要性も説かれている。
買った当時はこの辺りは読んでいなかったが、いま読んでみると腑に落ちる。

メソッドとあるが、単なるHow toではない。なぜそれを意識する必要があるのか、やる必要があるのかをロジカルに説いてくれるという意味において良著である。
初心者ランナーにも、そして既にかなりのペースで走れるが体系的にトレーニングを受けていたわけではない上級者にとっても役に立つのではないだろうか。

自分の場合、コアトレは1年半以上毎日やってきているので体幹特に腹筋はかなり強い。
問題は走り込みが足りないこと。あと強いて言えば相対的に背筋が強くないかも。
自分の体幹に自信を持って毎日走ろう。

【読書メモ】走って、悩んで、見つけたこと。

ランナーにとっては、走らない時間すなわち一日の9割超の時間もトレーニングである。
考えながら走るのは良くないが、走らない時間は正しい考え方で考えよう。
そのための読書である。先人の知恵に学ぶ。ただし批判的に読むこと。

今回取り上げるのはこの本である。

大迫傑選手は先日の東京マラソンでまたも日本新記録をマークし脚光を浴び、延期されたものの東京五輪代表の座を手にしたが、彼が佐久長聖高校から早大へと進み、またオレゴンに渡ってさらに力をつけた世界のトップランナーとして活躍する姿をずっと応援してきただけに感動もひとしおである。

その彼が自分について語るのだから読まないという手はない。

彼は走りもかっこいいが語りもかっこいい。
かっこいい理由は考え方に筋が通っているからである。
自分の考えというものをしっかりと強く持っている。

強くなるというのはすごく単純なことで、毎回ハードなトレーニングをして、ハードな毎日を過ごす。それを毎週繰り返していくだけです。

くぅぅ。かっこいい。

彼は悩みはするけれども決してもやもやしたままにはしない。悩みは自分で解消しそれを強みに変えていく。

かっこいい。

ランナーは哲学者とか修験者とか言う人もいるけどちがうと思う。プロセスを心から楽しんでいるのだと思う。

タイムやペースは距離はわかりやすい目安ではあるけれどもゴールではない。あくまでも目安。
人と較べるのは楽しくない。

毎日確実に昨日の自分を超えていく。成長する進化する喜び。今朝のRunであらためて認識した。

【読書メモ】走ることについて語るときに僕が語ること

ランナーにとっては、走らない時間すなわち一日の9割超の時間もトレーニングである。
考えながら走るのは良くないが、走らない時間は正しい考え方で考えよう。
そのための読書である。先人の知恵に学ぶ。ただし批判的に読むこと。

今回取り上げるのはこの本である。

自分は村上春樹の小説を愛読してきたが、この本だけは読んでいなかった。そもそも学生時代に陸上競技を実に中途半端な形で放棄してしまい、同級生や親友が社会人になってから(それもけっこう経ってから)フルマラソンなどに挑戦するも「ふーん」て程度で、まして世のランニングブームなどには目もくれないできたからだ。

しかし今年になって(いや正確には昨年の秋からか)フィットネススタジオでトレッドミルで走るだけではなく外ランもするようになってからはランニングに傾倒してきた。いや正確にはCovid-19でジムが休業になった1ヶ月前からのことだ。

トップランナーでさえ2時間かかるフルマラソン。市民ランナーであればサブ4達成すればかなりいい方とは言え、2時間という時間は自分にとっては途方もなく長い。
仕事においては世界最高の効率を心掛けている自分は、どんな仕事でも15分で概ね結論が出るよう思考を集中する。
ピアノの練習も30分連続を超えると練習の質が下がる。

2時間

長い。長すぎる。一体ランナーは何を考えて走っているのか。人間は健全な精神の持ち主であれば思考をシャットダウンすることはできない。いつか大迫傑さんも退屈だ(なのでテレビドラマのことを考えたりしているとか)というようなことを言っていた気がする(要確認)。

この論点について、おそらく考え過ぎるプロであろう村上春樹氏であれば何らかの答を持っているだろうと思ったのがこの本を手にした理由である。彼のトレーニング方法やタイムに関心がある訳では毛頭ない。

そしてまさに自分の求めていた答(一つの)をさすが村上さん美しく表現している。

僕は走りながら、ただ走っている。僕は原則的には空白の中を走っている。逆の言い方をすれば、空白を獲得するために走っている、ということかもしれない。そのような空白の中にも、その時々の考えが自然に潜り込んでくる。当然のことだ。人間の心の中には真の空白など存在し得ないのだから。

さすがだ。

そして、これに加えて、自分はこうも考える。
高い強度で走っているとき、血液の殆どが筋肉に流れていく(だから走る前にたんまり食べてはいけない)。当然、酸素と栄養のおおぐらいである大脳への血流も減る(減らねばならない)。おのずと余計なことは考えられない。自分のように考えるのが仕事で考え過ぎるきらいのある人間にとって、これはとても重要な転換である。
余計なことを考えているうちはまだ余裕があるのだ。余計なことを考えるならペースアップできるはず。

はず。

走ることについて語るときに僕が語ることはいったい何なのだろう

走ることについて書いてみる。このブログでランニングについて書くのは初めてだが、目下マインドシェア50%を占めているのだから書かない手はない。いやあるか。まあいいや。

「走ることについて語るときに僕が語ること」はもう10年以上前に村上春樹さんが著した自伝的エッセイである。
amzn.to

彼の本は大学生の頃同級生から勧められて以来、デビュー作の風の歌を聴けに始まりほぼ全作読んでおり、特に羊をめぐる冒険などいくつかの作品は何度も繰り返し読んできたものの、「走ることについて・・・」だけは読んでいなかった。
学生時代陸上競技(中距離)をかじった自分としては、健康維持の為に多少ジムで走ることだけで十分で、フルマラソンに対する何のあこがれもなかったし、ランニングは減量の最善の方法ではないため、世の中のランニングブームには目もくれない時期が長く続いた。
今読んでみると、これまで村上春樹という人間について彼自身が語ることはなかった(少なくともこれまで接した作品では)が、この本を読むとなぜ彼が30年にわたり走り続けているのか、なぜフルマラソンはもとよりウルトラマラソンに挑戦するのか、その理由と姿勢に共鳴できることをいくつか発見し、自分のランニングに対するモチベーションに火が点いた。

しかしCovid-19を機にランニングにのめりこむようになって1ヶ月。入院した2015年4月から、薬に頼らない体質改善の一環としてウォーキングで大幅な減量を行なったためすっかり落ちてしまった筋肉を復活させ動ける体にすべく、ルネサンスに通いTipnessに通うものもあまり積極的になれなかった時期が続き、約1年前の2019年3月からOrange Theory Fitnessのメンバとなり、モチベーションを維持してすっかり動ける走れる身体になってきたが、フィットネスの例外にもれず4月から休業となり、運動量を維持すべく4/11から10㎞を基本に最大20㎞の外ランを始めたのだった。

Orange Theoryではトレッドミルで毎回3~6㎞(15~30分)、ミニインターバル的なランニングをやってきたし、月に1回程度ベンチマーク(タイムトライアル)的なイベントがあり、例えば18分で4.5㎞走るなどの記録もあったのかなり走力には自信があったものの、仲の良い友人にサブ3ランナーが複数おり、スピード持久力の点で自分はまったく彼らのレベルには達していないことを認識、また10㎞程度のランでも膝に痛みが出てきたりなど故障のリスクも認識した為、プロのコーチにもレッスン(通算4回、@皇居)を受けたり、Youtubeでランニング関連動画を見まくって自己流で改善をここ1ヶ月してきた。

現時点での課題認識: 自分はまだ走ることに慣れていない。

短い距離(300mぐらい)であればキロ3分20秒ぐらいで長距離を走るフォームを崩さずに走れるようになったとはいえ、ジョグだと動きが小さくなってしまい、みぞおちを意識していても腰が落ちてしまう、キロ4のペースをたとえば3㎞維持することができないなど、現象的にはいろいろな課題が出てしまっている。
当初は膝から下で走っていたことに起因する膝やアキレス腱の違和感が、コーチからも言われていたハムストリングスを使うことを意識した結果ほとんどなくなったし、着地点や足首のリラックスも意識しているおかげでかなり走りも滑らかになってきたものの、ストライドは1.1m~1.2m程度と短く(2㎞ランぐらいだと1.4mになるが)、まだまだ動きが小さいのだと思う。
各パーツを考えすぎてしまっており、「統合」「連携」ができていないのだろう。そこで:

現時点での走るときのポイント: 細かいことは考えない。

良いイメージ(たとえばMo Farahや大迫傑のようなトップランナーの走りのイメージ)を抱き、「考えるんじゃない、感じるんだ」で自分の身体と対話しながら(ただし言い訳は聞かない)前進することに使うエネルギーを100%に出来る限り近づけることだけを意識する(しかし考えない)。

しかし自分にとって走ることとは、まだ手段なのだ。言い訳する自分、結果を急ぐ自分、長い期間をかけ努力を継続して初めて何かを達成するということを本当の意味で知らない自分を克服するための手段。
そして、これはプロのコーチにも言われたことだが、数字にとらわれてはいけない、走ることの本質的な楽しみを味わうことによって結果はついてくる・・・これができていない。中学高校の頃は誰にも言われることなく勝手に走り回り、突っ込んだペースで走ることも恐れていなかった。
いろいろ考えてしまうのは結局は自分に対する言い訳なのだ。走ることが怖いからいろいろ考えてしまう。そして考えることによって様々な箇所(呼吸筋も含め)に力が入ってしまっている。コーチには9割以上のランナーは脱力ができていないと言われたが、その9割に見事に含まれてしまっている。
本当に走ることが好きだとしたら、何も恐れないだろう。言い訳もしないだろう。自然なフォーム(かつて1500mを4分40秒(陸上部にしては遅いが)で走った記憶は失われていない)で自然な呼吸でのびのびと走ることができるだろう。

最大の問題: 走ることの楽しみを忘れてしまった。

明日は、LSDだの閾値走だのインターバルだの練習の形にとらわれず、またタイムも気にせずのびのびと走るというのはどういうことか思い出すことを目的にしようと思う。

新型コロナウィルスについて書いてみる

この1月に新型コロナウィルスが注目されるようになってから、かねてより抱いていた懸念、つまり日本の国力と将来に関する絶望が決定的になったと日に日に強く感じている。緊急事態宣言もそしてその延長も、未だ決定的でなかったものをより決定的にする方向に作用する事象に過ぎない。

4年前の2016年から、戦略コンサルタントとして社外研究会を企画し、日本経済を破綻させる可能性が高い社会保障、特に医療介護の問題について、社外の識者各位とどうすれば社会保障の意地と健康寿命延伸を両立できるか真剣に取り組み一つの答を出し、実例と共に立法・行政の関係者に提言した。
そしてその次の研究会は、日本の産業の主体である製造業が如何に変革を遂げ、失ってしまった国際競争力を回復するかについて、これも産官学の識者を集め解を求めてきた。この研究会はこれから成果をまとめようという時に、コロナの影響で中断している。
そして本職では、ここ20年一貫して実際に実務で企業の競争力、いや本質的に価値を創出する力を高める取り組みを大企業から中小企業まで支援してきている中、一環して組織、人材はどうあるべきか、技術革新をどう組織として活用し、人間の能力を増幅させるかをテーマに考えてきており、外部環境の変化にどう適応し、埋もれた能力、潜在能力を発揮させるかを真剣に考えてきた。
一部の識者が語っているように、今般の「コロナ禍」は変革のトリガーでありチャンス(と言うのは「空気を読めば」不謹慎なので私は言わないが)でもある。なぜならば、「あるべき姿」が実現しない阻害要因の最たるものは、既存の秩序の維持という慣性力の大きさであり、大きな外的なショックを以て打破することのみが(残念ながらというのではなく構造的に組織として意思決定に相応の理由が必要だからである)有効なものだからだ。

ちなみにこの変化とはリセットではない。本質への回帰である。回帰といっても以前のどこかの時期に戻るのではなく、現状に即して見失っていた本質と向き合うことである。

自分が考えて出した結論は、今般の「コロナ危機」(そうこれは危機である。マスコミ用語ではなく自分の言葉として)がもたらす変化は不可逆的かつ本質的な変化である。社会システムを大きく変えるものである。昨日総理大臣が緊急事態宣言延長(となるともはや緊急ではないが)を宣言すると共に新しい生活様式なる提案をしたが、内容はともかく個人のみならず社会システムとして変わらなければならないことは確かである(3日前まではスマートな生活様式と言っていたがやや語弊があるので表現を変えたと思われる)。
前段で言及した社会保障も製造業も社会システムにその脆弱性の原因があり、対症療法や個々の組織の対応で解決する程度の問題ではもはやなくなっている。
マラリアデング熱といった感染症とは異なりインフルエンザや新型コロナは人と人が直接または間接的に(物を介して)接触することによってウィルスに接し、体内に取り込まれ、体内で増殖することを経て感染が成立する(感染の定義によればウィルスが体内に入っただけでは感染ではない)ものであり、東大の河本先生がいみじくも仰るとおりスペイン風邪以来100年を経てなお最も有効な感染予防策は人と人とが接触しない、或いはウィルスの授受が行われ得ない距離を保つことであり、その意味において「三密」回避は当を得た予防策である。

ビジネスにおける行動様式として、ウェブ会議システムというツールは既に何年も前から活用しているが、あくまでも補助的な手段であったのが(海外の場合は別)、主たるコミュニケーションツールになったが、これは2000年頃のITバブルの時に論じたコミュニケーションのコストの観点からは当然の選択である(当時は帯域やソフトのUXに問題があり甚だ使い勝手が悪かったが)。自分の仕事でも先月から全面的にクライアントとのあるいはチームのミーティングもすべてオンラインに切り替えたが、決してこの転換自体で生産性は下がってはいない。
生産性が下がっているとすれば(実際にクライアントを見ていると下がっているが)、F2F(face to face, 対面)であればだらだらとアジェンダも不明確なまま長時間(あるいは終わりを定めず)議論できたのが、オンラインでは短時間に効率よく議論し結論を出さなければならないことに起因する、会議の進め方の本質を従前守っていなかったことであり、我々コンサルタントからすれば会議という組織のオペレーティングメカニズムの根幹を見直すことになっているのは良いことである。そもそも何のために会議をするのか、何を論点として、何を材料に誰が参加してどうファシリテートするのか、という当たり前のことをあらためて考える機会が与えられた。

新型コロナに関して語るときに私が語ることがいきなり会議という各論に入ったと思われるかもしれないが、会議というのは組織力を決める重要なメカニズムである。そして、戦略策定にせよ投資意思決定にせよ会社の方向性を決める上で会議は欠かせない。実態はというとしかし経営陣や管理職の多くの時間が実に非効率な会議によって占められてしまっている。単なる確認のため、周知のため、会議をやったという儀式的な意義づけのため、などである。このようなことに慣習的に多くの企業で日々時間が費やされているというのは本来は膨大な無駄であるのだが、会議を削減するあるいは効率的に進めることで得られる便益は単なる費用削減ではなく、迅速で有効な意思決定でありアクションであり、それこそが組織の、事業であれば事業価値向上の源泉である。カリスマトップ(仮に賢明なそのような存在がいたとしても)がすべて決められる訳ではない。

洗脳マシーンとしてのマスコミはいちおう新聞もTVも目を通すことにしている。日本のメディアだけではなく米国や英国のメディアも主にウェブだが目を通している。当然ながらとてもバイアスがかかっている。意図したバイアスもあるが、不理解や誤解によるバイアスもある。
感染者数の推移が殆ど唯一のKPIとなっているが、感染者数の推移と感染拡大には直接的な関係が無いことはわかっていてもさすがにそればかりが強調される結果(代替指標がないということもあるが)、有識者であってもなくても疑心暗鬼は募るばかりで、マスコミの意図する不安の喚起・励起には大いに寄与している。
有識者と思われる方々までが、PCR検査を広範囲に無作為で実施すべきなどと唱えるのは、PCR検査の感度・特異性の低さとCovid-19のおそらくかなり低いであろう罹患率を考えると、大量のfalse positiveと大量のfalse negativeが医療資源の浪費と根拠のない不安と逆に安心感をもたらすだけで無意味どころか有害であることは、既に賢明な方がブログに書かれているのでそちらに譲ることにするが、それにしても混迷と混乱しかジャーナリズムには見受けられない。

ジャーナリズムを建設的に批判する能力を持つことは、我々に必要なリテラシーである。ジャーナリズムが政権の広報であるとしても、では政権は何をプライオリティとしているのか、伝えられないことも含めて見抜く能力も養う必要がある。
コロナが某国の陰謀であるという説も唱えられており、ある国は表立って躍起になって批判しているが、真っ向から否定するのではなく、そういう仮説も一旦は構築した上で、自分なりに検証してみる。
また、新しい(スマートな)行動様式についても、実際に街で従前人々が行なっていた一つ一つの行動のどれが「スマートでない」のかを見極めれば、実はコンサルタントの基本動作である「分けて考える」的には、国民全員が一律に変えるのではなく、セグメント別にあらためるべき行動が明らかになる。

Stay home, stay strong, stay healthy, stay calm, and stay smart

自動車市場と業界はどう変わるのか

いま監督しているある大手日本企業のプロジェクトでは、グローバル自動車市場・業界がどう変わるのかが一つの大きな論点である。
これまでにも大手自動車メーカーや自動車部品メーカーをクライアントとし、また現時点でも社外の有識者を集めてVirtual Engineering研究会を立上げ主宰している立場として、そして戦略コンサルタントとしての見識とロジックを以て、仮説を論じてみる。

人口動態に起因する経済の成熟化、自動車に求められる要求の高度化(経済性、安全性、信頼性、耐久性; 消費者と規制の両面)、先端テクノロジー(IoT, アナリティクス, 新規材料等)の進展と、その活用である部品の進化、設計開発生産の進化、工作機械メーカーの努力により、矛盾が次々に解決され、また自動車OEMや部品メーカーといった従来の自動車業界メインプレイヤーに加え、IT・物流・不動産関連企業による新たなサービスの展開、そして新たな動きを後押しする政府や公的機関の動きが複合的に自動車市場・業界の枠を超えてモビリティ社会形成を推進する

世界的にシェアリングエコノミーの台頭を背景とし、自動車に関連する消費者の本質的に多様な根源的な要求(所有 vs 利用、嗜好の違い等)が顕在化、自動車業界を支配してきた大量生産に対するアンチテーゼであるpersonalizationが実現していく。
オンラインショップで買う頻度が増え、クルマは人より物の移動にシフトしつつあるという意見もあるが、クルマは必ずしも買物専用ではないし、米国ですらオンラインショップでの購買はせいぜい購入総額の1割程度でしかないので、大きな影響となるには至っていない。公共機関が整備され至便な大都市に生活している限りではクルマの必要性は低くとも、少し地方に行けばクルマは安価で便利な移動手段であるからだ。

内燃機関主体であった自動車製造側に大きな変革を迫っているEVについては、EV普及の阻害要因となるLiイオン電池の価格下落が失速し(規模の不経済)、最大の阻害要因である高コスト問題に解決が危ぶまれ大衆化が遅れるのみならず、充/給電インフラ整備の限界や、AIへの過度な期待に基づき喧伝された自動運転実現の遅れに起因し、喧伝されているCASEが実現する新たなモビリティ社会の実現は遠いと言わざるを得ない。ただし欧州を筆頭に国を挙げてEV推進に投資が進み、材料技術革新等により一旦阻害要因を克服し浸透するならば、内燃機関故に主導権を握ってきた自動車OEMを頂点とする業界ピラミッドは瓦解し、TeslaやDysonを含む新規参入組との群雄割拠の構図となる可能性がある

乗用車の新車販売台数が先進国や中国で低迷する一方で、保有台数は増加し、ストック市場としてのアフターマーケットは保有年数の長期化傾向も相俟って、引き続き成長が見込まれる。アフターマーケットの中でもニッチなセグメントではあるが、従前から存在するカスタムカー市場はモータリゼーション全盛時代の車好き層に支えられ、市場は堅調に推移する。

並行して、世界的にカーシェアリング市場が台数ベースでの成長を見せており、長期的には大手カーシェアリング事業者が大口の乗用車保有者となり、自動車OEMに対してデザイン、装備・性能の標準化やコストダウンを要求できるだけの交渉力を有する可能性は理論的には考えられるが、現時点ではそれだけの交渉力を有する事業者台頭の動きはない。
レンタカーにおいても、最大の事業者である米国のEnterpriseにしても、200万台を保有しているとは言え、それは米国の自動車保有台数の1%に満たず、自動車OEMに対して大きな交渉力を持つとは言えない。

MaaS(mobility as a service)もCASEと並び自動車市場を変えるとされるキーワードであり、確かにUberLyftといったライドヘイリングプラットフォームは浸透してきたが(日本にいるとその感覚は無いが)、彼らはノンアセットのビジネスであり、自動車ユーザーですら無いので(ユーザーは乗る人とドライバーというプラットフォームのオーディエンス)、業界のサプライチェーンを変えるものではない。

一方で、商用車については、乗用車よりも物流事業としての要請から運行管理においてテクノロジーの採用ニーズは高く、また物流スタートアップ等の参入により、既にコネクティビティの高度化は進展していること、またオンラインショッピングの普及により物流需要が高まり、新車販売台数も乗用車より高い伸びを見せている他、乗用車と商用車の兼用も増加傾向にある
自動車OEMの売上減少や車種多様化に起因する多品種少量化が開発費抑制圧力を高め、既に欧州で実現しているVirtual engineeringが自動車の設計・開発のfront-loadingを実現すると共に自動車業界のエコシステムを変え(OEMの交渉力低下)、徐々に自動車バリューチェーンの多様化が進む。

設計・開発フェーズにおいては、front loadingのため設計および開発初期段階での試作の重要性が高まり、Virtual prototypingによる物理的な試作品(意匠試作)は減るものの、人間工学的(官能性等)検証の為の物理的試作の必要性は変わらず、またモジュール化により開発部品点数は減るものの、金属・樹脂・カーボン等、高まる軽量化・安全性・耐久性・コスト削減要求に応える為の先行開発は引き続き重要である。厳しくなる一方の安全、排ガス規制への対応は終わりなき要求であり、革命的ではなく漸進的な改良が続く。

所謂「革命的な市場の変化」は、人口動態、技術の進化により長期間の蓄積が顕在化したものであることが多く、インダストリー4.0(およびその一環であるVirtual Engineering)も1990年頃に端を発する長期的取組の結実に過ぎない。CASEも然りであるが、実現にはさらに数十年を要すると予測する。

資材需要者においては、EV関連のスタートアップ、カーシェアリング事業者の台頭などはあるものの、当面は現状のOEMおよびTier 1、Tier 2プレイヤーが主体であり、サプライチェーンに大きな変化はないであろう。

歴史を振り返ってみると、様々な業界において「革命」という言葉は使われるが、真の意味での革命が起きる頻度は巨大地震よりも低く、まして自動車市場のように巨大でシステムとして出来上がっている場合は殊に短期間での革命など不可能である。どのような時間軸で見るかにもよるが、大方の意思決定者は30年という時間軸で判断することは無いだろう。
市場の大規模でdisruptiveな変化を気にするより、目の前の現実を具に観察しつつ方向性を鳥の目蟻の眼で見定めることが賢明な行動である。特に、冒頭に消費者の視点で述べたことが、大企業にとって遠いユーザー視点が重要であり、ユーザー視点を育むには自動車領域における新規事業参入を含め直接的に自動車開発に関与することが得策と思料する。