コンサルタントはきょうも語る

現役経営コンサル兼ピアニストが仕事術とピアノと減量と英語と沖縄とかについて語ります

音楽理論はなぜ必要なのか

アマチュアピアノ仲間の中では、音楽理論(特に機能和声に関する理論)が必要という人と必要でないという人に分かれています。

前者の方が割合としては(少数のサンプル)ですが多いのですが、なぜ必要であるかの本質的な理由を理解してまで必要性を認識しているアマチュアは、一般的には少数派かもしれません。

ぼくが音楽理論の理解を必要と思う理由は、大きくは2つあります。

 

1.作曲家の意図を正しく理解し表現するため

バッハでもベートーヴェンでもショパンでもドビュッシーでもスクリャービンでも、西洋音楽の伝統の上に音楽的イマジネーションを楽曲という形で構築しているのです。

後世になるにしたがって新たな技法や作曲家独特のイディオムは加えられていくものの、大きな骨格や、曲想の変化を正しく(そして効果的に)表現するには、なぜそのような形になっているのか、理解することになくしてはほとんど不可能です。

もちろん自分勝手な解釈や、その場の思いつきで「たまたま」いい演奏になることはあるかもしれませんが、ほとんどの場合においてそれが感動を呼ぶ演奏にはならないでしょう。

 

2.演奏しやすくするため

たとえばバッハの平均律のフーガを例にとってみましょう。1巻2巻合せて全部で48曲あるフーガはいずれも稀代の天才作曲家バッハが創意工夫を凝らして巧みにかつ精緻に構築した楽曲です。

基本的にはフーガは主題があり、それに対して対旋律や対位主題が配置され、主題が主調と属調で提示され、自由な嬉遊部の間奏をはさみつつ、さらに主題が展開し盛り上げて終曲に至るものですが、主題と対旋律の関係や主題の提示の仕方(重なったりなど)曲毎に異なり、短いながら(数分~せいぜい10分程度)きわめて密度の高い複雑な音楽となっています。

したがって、演奏するのも暗譜するのも極めて難度の高いものになっています。

これを対位法や和声の基本的な理解なしに演奏することができるでしょうか。

そしてバッハが復活させ様式として確立したフーガは後世の作曲家に大きな影響をもたらしているのです。

複雑な音楽ほど情報量は増します(逆に情報量が多い音楽は複雑で一般的には大曲です)。情報量が増せばそれだけ覚えるのも困難です。

音楽に限らず、情報量の多いものを理解し記憶するためにはそこに法則性を見出すことが有効です。そして、楽曲はほとんどの場合必ずそこに一定のいくつかの法則(これが理論ですね)が組み合わされて作られているものなのです。

簡単な心に残りやすい判り易い旋律とその伴奏だけのピアノ曲だったらすぐに暗譜できますが、一つの動機が形を変えそこに他の動機も組み合わさってかつ意味のある音楽を作るためには変化が必要ですし(音楽とは絶えざる変化です!)、その変化をしっかりと理解し体得していなければ音楽にはなりません。

理解していないものを表現できないですよね。しかもピアニストとして求められるためには再現性も求められます。たまたま一回うまく弾けるかもしれませんが、緊張を伴う本番でそれに期待することは無謀でしょう。

 

以上、音楽における理論の必要性に関して私論を述べてみました。