コンサルタント=ピアニスト=ランナーはきょうも語る

現役経営コンサル兼ピアニストがランニングと仕事術とピアノと英語とかについて語ります

燃え尽きたい願望

身もふたもない言い方をしてしまうと、結局のところ、自分が心からやりたいことなんてなくて、燃え尽きたいのだ。

バーンアウトではなく完全燃焼。

 

最近話題を呼んでいる気鋭の生物学者、ニック・レーンによれば、生命とは電気エネルギー生成の副産物だと言う。エネルギー生成の媒介なのだ我々は。

(彼の最新刊「生命、エネルギー、進化」は難解な本なのでちょっとかじっただけ。これからちゃんと読みます)

ひょっとしてそれを感じているのだろうか。

 

とにかく、出し切った感、エネルギー燃やして消費し尽くした達成感爽快感絶頂感恍惚感が欲しいのだ。

安全運転なんかしたくない。

陸上もバイクも英語もピアノも仕事もその手段。バイクはもう乗らないけど。

多かれ少なかれみなこの願望を持っていると思う。

英語は国連英検特A級とICEE最高段位(三段)取るまでは達成感無いかもしれない。英語はたとえば米国で知識人の家庭に生まれ、政治や法律やビジネスの世界でバリバリ活躍している人には到底敵わないのであくまで日本人として)

 

ピアノは何か達成したかと思った瞬間に別の目標が出現するので常に達成感は得られない状況が続くだろう。

どんな難曲大曲をどんな舞台でどれだけ多く弾こうとも、そこに完成は存在しない。

 

いまの仕事はあくまで仕事。ここで達成感を得るとしたら自分で事業を立ち上げ軌道に乗せるしかない。しかしその事業で成功し財を成したとしても、さらに上のまたは別のことを目指したくなるだろう。いや、成功することが欲求を高めるポジティブフィードバック作用だろう。

 

完全燃焼願望はそうなると自死願望なのかもしれない。或いは紙一重または表裏一体。

いつまでも飽き足りないが到達満足し得ない苦しさ。その苦しさを終わりにしたい。

あの「のだめカンタービレ」でのだめがふと「いつまでピアノ弾かなきゃいけないんですかっ?」と問うたのは蓋し本質的な苦しさの発露だろうと思う。

仕事もプライベートも、睡眠時間を削り、人との付き合い(仕事は別)を極力絶って、休むことなく頑張ってきたこの20数年間、何度も全て投げ出そうと思ったが、敗者になりたくないプライドでなんとか踏みとどまってきた。

 

毎日このすでに折れてしまった心をごまかしてモチベートしてなんとか生きている。

心の焔は既に消えてしまっており、いまは幻の焔を見ているだけなのかもしれない。

そうか既に燃え尽きているのか。なればもう自分の願望は成就したのだろう。願望すら既に幻と化しているのかも。

そう思うとようやく初めて心の安寧が訪れた。

もうがんばらなくていいんだ。

「君はもう十分すぎるほど頑張って、たくさん達成してきたんだよ」

そんな声が聞こえたような気がする。

幻聴でもいい。

安らぎが欲しい。