自分はかれこれ経営コンサルティングの世界に通算で12年いるのですが、かけだしのコンサルタントの頃から「コンサルタントは不要」という声をよく聞きます。
自分の職業を否定する物言いですので聞き捨てならないのです。そしてそれが誰の言うことであっても一旦は真摯に受けとめます。
が、その多く、いや全てが一般論としては誤りです。
一般論としてコンサルタント不要とおっしゃる主張にはこういうのがあります:
「自分で経営をしたこともないくせに経営がわかるものか」
これは的外れです。経営コンサルタントが提供するのは、経営執行そのものではありません。逆に、経営経験があるから良い経営コンサルタントになれるとは限りません。良いピアノ教師が必ずしも良いピアニストであるとは限りません。コンサルタントに求められるものは客観的な視点であり、経営者を勇気づけ背中を押してあげることであり、間違った方向に行ったりしないように方向づけることであり、意思決定できない際に意思決定する材料を提供することであり、建設的な議論をすることで腹落ちするディスカッションパートナーとなることです。
「コンサルタントは不要」の前に、「自分には」が入るならあくまでもその人個人の必要性の認識の問題ですから、そうなのかもしれません。そう語る方が経営者であったとして、ご自身のやり方に口を挟まれたくない、自信を持っていらっしゃるという認識なのでしょうから。
また、「コンサルタントは不要」の前に、「○○な」とコンサルタントの種類を特定するのであれば正しいかもしれません。あきらかに「無能な」コンサルタントは不要でしょう。コンサルタントに限らず、これはほとんどの職業に当てはまることですね。「無能な医者」や「無能な弁護士」を必要とする人があまりいるとも思えません。
同業者でコンサルタント不要論について論じているよい記事がありました。
ここに書かれている「傍目八目の視点」はそのとおりです。自分を客観的、相対的に捉えることは誰にとっても難しいことです。
それはぼくが良く使う認知バイアスに起因しています。
むしろ、自分が誤っているかもしれないという視点を常に持っている経営者こそが信頼できるのではないでしょうか。
もちろん、ビジョナリーで頭脳明晰で行動力もあるリーダーであって欲しいとは思いますが、これまで数多くの経営者(企業の規模の大小や外資・内資を問わず)を見てきた中で、すぐれた経営者ほど謙虚でいらっしゃいます。
また、この記事に「コンサルタント不要論を掲げる人を説得するつもりはない」とあります。これにも100%共感します。コンサルティングは不要と思う人に押し売りするものではないからです。
もうひとつ、よい記事をみつけました。
そうですね。問題解決のPDCAが回る組織になればコンサルタントは不要になるかもしれません。これを実践できている企業は実在します。もちろん程度問題ではあるのですが、かなり高い水準で問題発見・解決のPDCAを迅速に回すための「オペレーティング・メカニズム」をCEOから現場まで含めた形で構築し実践し結果を出すことは可能です。ぼくは実際に幹部としてその企業に勤めたことで、それまで戦略コンサルタントとして経験に基づき5年間考え構築してきた「強い組織」仮説を検証することができ、それは今実際にコンサルタントとして実践し、いつもクライアントから評価を得ています。
ちょっと脱線しますが、ある起業家の方から、「あなたはクライアントと言うが、「クライアント様」と呼ばない時点であなたには顧客視点が欠けている」と指摘されたことがあります。すごい指摘ですね。クライアントは個人名ではないし、それに「様」をつければ丁寧だというのもまったく的外れだと思うのですが。クライアントという言葉自体が「お客様」と理解しています。様をつけると「おきゃくさまさま」になってしまいませんか?
企業の経営がどんどんレベルアップし、インターネットの普及でより多くの高い質の情報を迅速かつ安価に得られるようになり、また専門人材を外部採用するなどする中、確かに外部の専門家としてのコンサルタントに要求される水準は上がっています。
そのような企業に対して価値をもたらすには、コンサルタントも進化し続けなければなりません。変化し進化しなければ、かつては有能であっても今は無能になってしまうでしょう。
ぼくがコンサルティングはこれからも必要だと思う理由は、真剣に経営を責任もって全うしようとする経営者は勝ち残っていくでしょうし、そのような経営者こそ自分を信じ切って我が道をゆくのではなく、客観的・相対的な視点を常に求め、そして現状に甘んじることなく組織をそして自分を進化させていこうとする姿勢を貫かれるからです。
コンサルタント必要論は毎日のように外部に対して実際に発信していることですので、今回はあえてよく耳にする「コンサルタント不要論」に対して私見を述べてみました。