コンサルタント=ピアニスト=ランナーはきょうも語る

現役経営コンサル兼ピアニストがランニングと仕事術とピアノと英語とかについて語ります

人を疑うのは損である

コンサルタントという職業から、ロジカルシンキングの基本として常に「すべての前提を疑ってかかる」ことを後進にも指導し、社外講師としても教え、また自分も実践してきたことではありますが、ただひとつ疑ってはならないものがあります。

それは「人」です。もっと正確に言うと、人の潜在能力であり人の本質です。

こんな記事がありました。

matome.naver.jp

この記事が根拠として引用しているのが、英オックスフォード大学が、米国でのアンケート調査結果を分析したもので

知能レベルが高い人ほど人を信じやすく、低い人はあまり人を信じない傾向にあることが判明

なのだそうです。シンプルに言い換えると、人を疑ってかかる傾向の強い人はそもそも他人を評価する能力が低い、そしてその能力は全般的な知能水準と関連するということですね。

 

日本でも、古来「人を信じること」が大切だという考え方はあります。

この記事は松下幸之助さんの著書に引用されている上杉家(上杉謙信の家ですね)の家訓に関する解説です。

www.mori-life.com

 

組織に勤めている方、勤めたこと経験のある方ならお判りだと思いますが、上司や同僚があなたのことをハナから疑っていたらどうですか?性悪説に囚われている上司の下で、またそんな同僚と仕事することでモチベーションが上がりますか?

 

ぼくがかつて勤めていた外資系の大企業は、外から見るとあまり人に優しくないように見える会社ですが、実際に中で働いてみるとそれはまったくの誤解であることがわかりました。

エクセレント・カンパニーは経営の基本的な基盤として、人のポテンシャルをどうすれば高め、組織の生産性を上げ、業績を持続的に成長させることができるかが判っています。もちろん、優秀な人材を採用し育成しより質の高い「人財」「人的資本」にするためにも、そのような職場環境づくり、企業文化づくりが重要であることをトップが基本的に認識し実践しています。

 

いま日本では働き方改革が国を挙げてホットな話題になっていますが、結局労働時間の話になっています。確かに数値目標は何事も遂行する上で必要ではありますが、では週35時間労働(残業ではありません。労働時間そのものです)をとっくに(1990年代に)法制化したフランスではその功罪はどうだったでしょうか。単に労働時間の問題ではないことがわかります。今回当選したマクロン氏はこの法制の廃案を主張していますね。

 

少し脱線しましたが、「監視しないと人はさぼる」という前提にたって「北風」的なマネジメントをするのは性悪説に立ちはなから疑ってかかるものです。もちろんまったく監視しない訳には内部統制の面で問題がありますが、それだけでは組織の生産性は向上しないどころかマイナスです。

企業経営とは、まずは自社がどこで戦うかの土俵を定め、戦略を立てること。リーズナブルな労働時間で業績が挙げられるのが良い土俵の選択です。いくら優秀な社員が揃っていても、戦う土俵が悪くては如何に現状の最適化を図っても疲弊するだけですし、限界まで従業員を酷使したら組織を維持することすら危うくなるかもしれません。

人を信じることは企業経営のみならず、幸福な社会を築き維持する上での基本です。我々はテクノロジーの恩恵を受け、本質的には「人間増幅」され知能も高まっている筈です。であればかつてよりもさらに高いレベルで人を信じることができるのが論理的帰結なのに、なぜそうはなっていないのでしょうか。それは国として、或いは社会として、組織として、土俵の選択が間違っているからではないでしょうか。

確かにマクロ的には、特に人口動態においてかつてない状況にある日本において、初めて直面する深刻な課題は存在しますが、それを解決することこそが各界のリーダーの仕事に他ならないと思います。