昨日8/21はこの半年楽しみにしていた待ちに待った尊敬する友人(畏友というべき)ピアニストである金子一朗さんのピアノリサイタルを堪能してきました。
予定曲目は上記リンクにあるとおり:
リスト:「巡礼の年報第3年」より 第4曲「エステ荘の噴水」
リスト:「詩的で宗教的な調べ」より 第7曲「葬送曲」
リスト:「愛の夢」第3番
アルベニス:組曲「イベリア」第3集 「エル・アルバイシン」「エル・ポロ」「ラバピエス」
シューベルト:ピアノ・ソナタ イ長調 D959
です。
ご本人前々からリストのしかも有名曲を弾きたいとおっしゃっていたこともあり、そのとおりプログラムに盛り込まれています(ただし葬送はあまり有名曲ではないかもしれませんね)。
あ、実際の曲目は葬送曲と愛の夢の代わりにバラード2番でした。まったく文句ありません!愛の夢はアンコールで弾いていただけましたし。曲目変更はまったく問題ありませんね。金子さんのリサイタルの場合、曲目で行くか行かぬか決めるものではないので。
今回のプログラムに含まれるイベリア3集の3曲は自分もコンサートで8年前に弾いたことがあるので(アルベニス生誕200年記念!)金子さんがどのような解釈で弾かれるのか、勉強に意味でも(というか金子さんの演奏はすべて勉強になりすぎますが)とても興味がありました。
そしてシューベルトD959は大好きなソナタです。D850と並び個人的に最も好きなシューベルト晩年の傑作です。
冒頭のエステ荘が出色でした。金子さんのリストを聴くのは初めてですが、他のどのピアニストとも違う独自の考え抜かれた造形でした。甘美に流れやすい曲ですが決してそうはならず、ダンパーペダル控えめに、かといって乾いた感じになることもなく、響のバランスが絶妙です。
続いてはリストのバラード2番です。ドラマ性に富んだしっかりした構成の曲ですが、決して易しい曲ではありません。金子さんの技巧の卓越さも存分に堪能できました。しかしリストの求める技巧も半分は音楽的な理解がソリッドであることなのだろうと思います。
そしてイベリア3集。金子さんご本人による本日のプログラムの楽曲解説にはこう書いてあります:
「この作品の世界を音で表現するにはあらゆる意味の困難を受容できる献身的な愛が必要である」
はぁ。言わんとすることはよくわかります。一度8年前にこの3集弾いたとは言え当時の演奏は今から思えばかろうじて形になったかも程度のなぞったに過ぎない演奏でしたから。アルベニスの意図とイマジネーションを表現するのは途轍もないものを要求されます。
(10月にラバピエスをコンサートで弾く予定。。。汗)
普段から要職につき業務多忙であるのみならず多くの生徒にピアノを教えかつ19日はコンクールの審査員を終日務めるなど、自分のリサイタル準備にほとんど時間をかけられないことを知っている身からしても(或いはそんな背景を知らなくても)素晴らしいイベリアでした。
2曲目のエル・ポーロは実は聴くより遥かに難しい曲です。イベリアはどれもいわゆる「コスパ」が低い曲の最たるもこ揃いですが、その中でも特に地味に難し過ぎる曲です。しかしそんあことは感じさせない色彩の変化に富むドラマチックな演奏でした。
本日のプログラム最後はシューベルトの後期ソナタ3部作で死の2ヶ月前に作曲したD959イ長調です。40分以上かかる大曲ですが、全く飽きることはありませんでした。これだけ長大な曲を弾いて聴衆を飽きさせないというのはピアニストの総合力が真に試されます。
金子さんの曲目解説にもありますが、この作品にはシューベルトの残酷さ残忍さがはっきり現れます。自分も1楽章だけ練習していたことがあるのですが、弾いていて背筋が寒くなります。
毎回感心するのはしかし、これだけのプログラム、しかも過去と全く曲目が重複しないものをあの水準で見事に弾ききるその実力です。
そして金子さんはそれは決して極意とかではなく、音楽の正しい理解と効率的な練習法であることを著書「挑戦するピアニスト」で丁寧に述べておられます。
これまで何度も読み返してきたこの本ですが、自分で悩み苦しんでからこそ本当の気づきがあります。
きわめて高い次元の演奏を目の当たりにしながら同時にまるでレッスンを受けているかのようなリサイタル。これは金子さんのリサイタルをおいて他にありません。
ただひとつ問題なのは、金子さんがプログラムにとりあげた曲の魅力にとりつかれ、やりたい曲が増えてしまうことです。スクリャービンの白ミサがそうでした。しかし今回に限っては大丈夫です。既に自分が弾いている曲か、「弾きたい曲リスト」に入っている曲ばかりでしたので今回は。
いやもうひとつ問題が。自分が1ヶ月半後に弾く予定のラバピエスのバーを思い切り上げられてしまったこと。。。曲目変更するかな(ぼそっ)