コンサルタント=ピアニストはきょうも語る

現役経営コンサル兼ピアニストが仕事術とピアノと減量と英語と沖縄とかについて語ります

硬派なピアノ曲とは

自分の選曲の基準はただ一つ、「硬派」なピアノ曲である。

ではピアノ曲が硬派であるとはどういうことか。その私なりの定義を披露しよう。

定義:安易な技巧のひけらかし(①)や過度なロマンティシズム(②)に陥ることがなく、作曲の意図と音楽史上与えた意義が明確である曲(③)であり、かつ現代においてその本来の価値が蹂躙されていない(④)こと。

もちろん異論反論はあるであろうが、あくまでも自分個人の基準であるので異論反論は受け付けません!

はい。話を進めます。

まず、除外条件である①安易な技巧のひけらかし、に該当してしまう曲は所謂ヴィルトゥオーゾ編曲ものすべてです。ゴドフスキー編曲はまずほとんどがそうです。リスト編曲もほとんどそうです。ショパンエチュードのゴドフスキー編曲は本来のショパンエチュードの「何も足さない何も引かない」完成された美を台無しにしてしまっています。バラキレフのイスラメイもそうです。

ただし、個人的には過度に華美とされるドンジョバンニの回想は認めています。動機こそモーツァルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」から借用しているものの、決してドン・ジョバンニの編曲ではなく、リストなりの展開を(ほとんど演奏不可能ではあるものの)見事にピアニズムの極致として表現しています。なのでこの曲は4年前にコンサートで弾きました。

次の除外条件、②過度なロマンティシズムです。メトネルファンには申し訳ないのですが、メトネルは個人的には趣味ではありません。そういう音楽もあってもいいとは思いますが、自分からすれば彼のロマンティシズムは匂いのきつい香水でしかありません。チャイコフスキーも残念ながら多くのピアノ曲はこれに該当してしまいます。

次に、該当条件である③の作曲意図と音楽史上の意義です。ピアノという楽器は18世紀から19世紀にかけて大きく進歩を遂げていますし、作曲技法も対位法やオーケストレーション的、あるいは調整崩壊といった進歩を遂げていますので、これらを見事に捉えて新しい境地を切り開いた作品です。これらは①や②のフィルターにあまりかかることはありません。その例としては:

などがあります。

しかしながら、ここで重要なのは最後の④の基準です。本来画期的な意義・価値を有する作品であっても、コンクールという技巧と音楽性を認めさせたいという参加者の意図によって弾き古され、相対的客観的にみて残念ながら「蹂躙」されてしまっている作品も多々存在します。

上記の中で言えばリストのソナタですし(国際コンクールの審査員によっては「ああまたリストのソナタか」とうんざりする人もいるようです)、これ以外にもラベルの夜のガスパール(特にスカルボ)とラ・ヴァルス、ブラームスパガニーニの主題による変奏曲、などは残念ながら実力を誇示する為に使われ過ぎてしまった感があります。

その点、スクリャービンの6番以降のソナタなどは、その高度な作曲技法と完成度、および演奏の困難さにおいてまだ④に該当するものは無いようです(4番や5番は既に弾き古されてしまっています)。特に演奏困難なのは7番「白ミサ」です。

アルベニスのイベリアも作品によってはまだ④を免れています。

本来真の意味で「名曲」であるにもかかわらず、コンクールという手段の為に「コスパのいい曲」として④に引っかかってしまっている曲は多くあります。上記以外にもたとえばプロコフィエフの戦争ソナタ6番と7番、ラベルのトッカータ、などがありますね。しかしラベルのトッカータなどは本来コスパはとてもよくない曲なのですが、コンクールによっては様式感のない演奏が評価されてしまったりします。

 

以上、あくまでも個人の選曲基準として「硬派なピアノ曲」について述べましたが、やはり以前燦然と最硬派の地位にあるのはハンマークラヴィーアソナタです。これは全楽章弾いてこそ意味があります。一度だけ大学一年の時に図々しくも弾きましたし、近年4楽章フーガだけ弾きましたが、本当の意味でこれを演奏することができれば真のピアニストでしょう。いまでも最終目標であり続けています。ただし今は取り組んでいません。準備ができたと思った時に再開したいと思います。