今年2018年は1868年の大政奉還から150年で、国を挙げて(一部かなり熱狂的に)「明治維新150年」機運が盛り上がっている。
なぜなのか。
自分は昔から「坂の上の雲」的な、司馬遼太郎史観とされる(司馬遼太郎さんのせいではなくそれを盛り上げた人々によって作られた)、あの頃の日本人はすごかった、的なものにまったく賛同できず、とても冷めた目で見てきた。
そう。まさに明治維新という名の洗脳なのであろう。
苫米地英人さん著によるこの本は、自分のこの冷めた目を史実に基づき明快に説明してくれる。
そして何より、歴史を紐解くことの意味は単なる好奇心を満足する為ではなく、未来を予測することにあると信じている。
違う学問だが、学者さんによっては「学問は未来を予測するためのものではない!」などと正面切って堂々とのたまわる方もいらっしゃるが、だったら趣味で粛々とやっておればよいのだ。
未来予測ができない経済学(実際できていない)など学ぶ必要も研究する必要もない(未来予測を目指さないのであれば)。
詳しくはぜひこの本を読んでいただきたいが、明治維新は終わっていないという主張は説得力がある。そして、そうだとするといろいろなことに説明がつく。