小学生の頃、離島に夢中になり、世界中の「絶海の孤島」探しをし、その中でもずっと行きたいと思っていたのが沖縄の八重山諸島にある有人島中日本最南端の波照間島だ。
一昨年、昨年と続けて2度、石垣島からの日帰りではあったものの訪れ、その風景は深く心に刻まれている。
ニシ浜
島の中央を南北に結ぶ道を南に向かって走る
島の最南端の高那崎からフィリピン海を望む
星空観測タワーからの眺め
島中央のさとうきび畑
ニシ浜近くのお店でかき氷をいただく
・・・とここまでは前回(昨年5月)に撮った写真である。
ひたすら静かでおだやかな南国の島の風景である。
一昨日、仕事上の情報収集で沖縄に関する新聞・雑誌記事を検索したついでに、波照間について書かれている記事が多数あることを発見した。
「週刊金曜日」2002年11月11日号(434号)に「57年前の有事~島は地獄と化した」という記事である。
第二次大戦終戦間近の1945年春、波照間島の住民は日本軍が送り込んだ1名の日本兵により西表島に強制的に疎開させられ、西表島の風土病マラリアに感染し、島の人口の約1/3にあたる477人が死亡したというのである。
沖縄本島のように直接的に戦場とはならなかったとはいえ、このような惨事が波照間島で起きていたとは知らなかった。
さらに歴史を遡れば、琉球王朝時代や薩摩藩の統治下において、戦場であったり、政治犯の流刑地であったり、人頭税が課せられ苦しむ住民は波照間島のさらに南には桃源郷の「南波照間島(ぱいぱてぃろーま)」があると信じ海を渡った人までいるという。