コンサルタント=ピアニスト=ランナーはきょうも語る

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抽象代数学は訳あってわかりにくい

黒川先生の提唱する絶対数学を理解するには、前提として群、環、体といった代数学の基本概念を理解することが必須である。

抽象代数学 - Wikipedia

モノイド、イデアル、保形形式といったこれまた耳慣れない(というか普通聞く機会もない)用語がならぶ。

群論の入門書はいくつか読んでいるものの、どうしてもイメージし難いので、きっとGoogle先生なら答を持っているだろうと思い、そもそもたとえば群論は何の目的にあるのか、「群論 目的」で検索してみた。

すると、よい解説に出会った。

blog.visvirial.com

このページの末尾、注7に、とても重要なことが書かれている。

端的に言うと、「抽象的なのは抽象的であることを意図しているからである」ということである。

身も蓋もない言い方のように聞こえるがそれは違う。

数学とは、構造を解き明かす概念なのである。数というもの(たとえば我々が普段使うう自然数)はあくまでも記号であり、それ自体すでに抽象化・一般化されているものなのである。

そして、ある特定の前提のもとで成り立っているものが、前提を変えたらどうなるのかなど他の場合に成立するか否か、成立するとしたらその条件は何なのか、成立する場合の全体とはどのような形をしているのか、などを厳密に論理的に解明していく学問なのである。

したがって、「これは何に使えるのか」という、具体的な実際的な応用を問う質問自体が成立しない。あるときに使えても他の場合に使えないのであれば応用は限定されている。N=1のときに成立してもN=2以上で成立しないのであればN=2、N=3・・・の場合にはどうなるかをあらためて考えなければならず、Nは無限に存在するので決して一般化できない、つまり構造がわからない。

また自然数上で成立しても0と負の整数の場合に成立するのか、有理数ではどうなのか、無理数ではどうなのか、という疑問も当然発生する。

2次元で成立しても3次元で成立するとは限らない。数学者はこういうのが嫌いである。一般的にn次元の場合にどうなるか説明できないと気が済まない。

数学が向かう方向は応用ではない。より一般的な構造の解明なのである。

そうはいっても具体的なイメージがないと概念を理解しにくいのも確かである。

世の中の様々な対象が群論で説明できることを知るとより身近に感じられるのではないだろうか。

たとえばあみだくじの仕組である。

あるいはルービックキューブの解法である。

ルービックキューブ3x3)を群論で説明した資料があった(東邦大の卒論)。これは面白い。

http://www.lab2.toho-u.ac.jp/sci/is/shirayanagi/2015/mizuno.pdf