コンサルタント=ピアニスト=ランナーはきょうも語る

現役経営コンサル兼ピアニストがランニングと仕事術とピアノと英語とかについて語ります

Society 5.0ではなくSociety 4.1(あるいは4.0.1?)

・・・というべき内容。インフレも甚だしい。●●x.0という表現は、そもそも大きく市場・業界が変わることを意味する。

マーケティング戦略の一環として業界関係者が言うならまだしも、政府が言うからには具体性はともかく、Societyがどう変わるかのかめざましいわかりやすいイメージが必要なのだが、「超スマート社会」ではまったくイメージできない。

この図がSociety 5.0を最もシンプルに示したもののようだ。この図で最も重要なポイントは「新たな価値」である。ところが説明には「高付加価値な情報、提案、機器への提示など」としか書いていない。価値を価値で言い換えただけの道義反復。これはやってはいけない表現である。しかも、ここには人が何をするのか、我々の生き方がどう変わるのかが書かれていない。単なる改善にしか見えない。ソフトウェアのアップデートで4.0から5.0に上がるのはメジャーアップデートである。単なる改善(bug fix等)では4.1か4.0.1であろう。

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Whatが不在なのだ。Howばかりに終始している。ビジョン不在で具体策ばかり示しても意味は無い。具体策はここに示されている。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/pdf/miraitousi2018_zentai.pdf

自分が昨年から主査として進めている研究会のテーマであるヘルスケアについても、ここに書かれていることにまったく斬新さはないどころか、実現性も?のものもある。たとえばPHR

ビジョンが欲しいのだ。世界観。5.0というなら明確に現在の世界とは異ならなければならない。映画Lucyとは言わないまでもせめてTranscendenceぐらいの世界観は必須。

マイクロソフトの現在のビジョンの方が遥かに明快である。

策定者のイマジネーションの欠如が露呈。いやこれはオトナの事情なのだろう。くだらないオトナの事情を政府の科学技術政策策定の中心に据えている時点で日本に未来はない。

かえって国民の支持を失いたいとしか思えない、とまで言うと言いすぎかもしれないが、せめて失望させないでいただきたい。キャッチーを狙った陳腐なコピーを使わなければいいだけの話である。

「科学技術政策の基本的方向性」でいいではないか。