コンサルタント=ピアニスト=ランナーはきょうも語る

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ショパン前奏曲集作品28⑤

ショパン前奏曲集作品28は難曲である。

ショパンが作品10と作品25の練習曲集を発表した当時、あまりに難しいという批判を浴びたし、実際に古今東西のピアニストにとっても難曲であることは間違いない。

カニカルな面だけをとっても、ショパンの作品の美しさを発揮させるために必要な「完全なる脱力」を様々な角度で試す曲が揃っているからである。

(逆に言えば脱力ができていれば10-2も25-6も10-1も25-8も難曲ではなくなる)

人によると、あまりに練習曲集が難しいので、メカニカルに易しい、弾きやすい曲をということで前奏曲集作品28を作曲したと解釈している向きもあるようだが、果たしてショパン自身本心からそれを狙って作曲したのであろうか。

自分にはとてもそうは思えない。ショパンほどの作曲家、そしてショパンの性格を考えるに、第一の目的である音楽世界の構築以外のことを優先するような配慮があるとは考え難いのである。

この曲集は24曲で一つの音楽的宇宙を構成しているという意見に賛同する。

24曲の1曲1曲がひとつの世界、それも極めて性格の異なる曲からなる多様性を有する世界。そして24曲が有機的な関連性を保って互いに影響しあっている。

これを実際に演奏するには何が求められるか。単なるメカニックではない。

もし1曲ずつ完結するのであれば、たとえば1番のようにあっけなく終結することはなく、2番につながるからこそシンプルに曲を終えるということもあろうし、各曲の中で大きな抑揚をつけるより、曲の性格を弾き分けること。

何曲か(2曲、4曲、8曲)のまとまりを波長が異なる波として表現することも求められるであろう。個々の曲の中であまりに起伏をつけ過ぎては重過ぎる。異なる波長の波を感じてどう振幅を持たせるか。

どの音楽でも重要な「方向感」を緻密に計算しつつも、ショパンが最も重要視していたという「即興性」を失ってはならず、そしてなにより40分前後にもなるこの大曲を聴衆が疲れず飽きず、この壮大な世界に没入させる。

そして1曲1曲は決して一つたりとして「簡単」ではない。16番、19番、24番に限った話ではない(むしろ音楽的には16番は易しい方であろう)。

そしてこれを実現するには、決してメカニカルなことが一切障害となってはいけない。すべての曲をeffortlessに弾けることが最低限の前提となっているのである。

やはり大変な曲であることは間違いない。そして取り組み甲斐もあるというものだ。