来週の近現代史研究会のお題である二二六事件についてここのところ多くの論文や図書を読み勉強している。
学校の歴史では実に軽くしか扱われない二二六事件。
日本近代史でも最も重要な出来事の一つ。重要というのは我々現代人が現在および将来について考える上で意義が大きいという意味である。
なぜ学ぶ意義が大きいのか。それは、様々な経緯が複雑に絡み合い発生に至ったこの事件を考えることはすなわち、国家・社会がその当時の国民のみならず後世の人々にも大きく禍根を残す事態を招いてしまったダイナミクスを考えることであり、単なる「日本史上稀にみるクーデター」などとドラマチックに捉えて済まされるものではないからである。
歴史に限らないが、何かを学ぶということは、しっかりと論点を定め、必ずしも十分ではない事実(史実)を相対的に(すなわち他との関係において)捉え、仮説を立て検証し棄却しまた新たな論点を定め・・・という仮説検証型の思考で臨むことが必要である。
大きな初期論点はおそらく以下のようなものであろう:
1.に関しては、首謀者である青年達が抱いていた強烈な不満が何に起因するものだったかを考える必要があろう。
2.に関しては、当時の陸軍内部の統制および階級間の関係を考える必要があろう。
3.に関しては、二二六事件後の展開、すなわち翌年1937年の盧溝橋事件に始まる日中戦争、その翌年1938年の国家総動員法制定、1939年の日独伊三国同盟成立、そして1941年の日ソ中立条約締結と真珠湾攻撃、といった流れが如何なる因果関係にあるかを考える必要がある。
歴史の本もこのようなロジックで書いてくれるとよいのだが、特定の人物について詳しく書いていても、ストーリーとして因果関係がスッキリ判るように書いてくれているものは稀である。確かに歴史、特に二二六事件のように複雑なダイナミクスの帰結或いは象徴的出来事とされるものについては、極端にシンプルに捉えることは危険ではあっても、やはりこれだけの事が起きるには確固たる理由と必然性がある筈なのである。