コンサルタント=ピアニストはきょうも語る

現役経営コンサル兼ピアニストが仕事術とピアノと減量と英語と沖縄とかについて語ります

二二六事件について学ぶ②動機

前回、二二六事件について3つの大論点を挙げた。

大論点1は、「なぜ青年将校たちはクーデター(coup d'etat、英語ではcoup)を企てるに至ったのか、であった。

言い換えれば、首謀者達の動機は何だったのか、である。

彼らがどれだけの憤懣不満を抱えていたのか、そして何をしたかったのかについては、今となっては様々な証言や文献から多くの情報や分析が容易に入手できるため、かなり明らかになっている。

最も大きな要因としては、当時の将校たちが置かれていた環境にあるだろう。

彼らは経済的にも身分的にも心理的にも貧しかった。

時は軍縮の時代で多くの軍人がリストラされ、かつ軍人に参政権はなく、世界恐慌に誘発された昭和恐慌の時代、そこに凶作による農村恐慌があり、結婚にも苦労し、市民からは税金泥棒と呼ばれた、受難の時代であった。

しかし受難イコールクーデターとはならない。

そこにあって政府と財閥の癒着があり、既に1930年に浜口雄幸狙撃事件、翌1931年に三月事件、1932年に血盟団事件と五一五事件が発生するなど、モメンタムが上がっていた。

一方で北一輝の唱える国家改革運動という思想的支柱があり、しかもアイデンティティクライシスを抱いていた青年将校達は自分達こそが日の本の国が世界を変える主役となれるのだと勇気づけられ使命感を抱くに至った。

そこにきて1935年8月、皇道派の相沢中佐が「統制派」の永田鉄山軍務局長を白昼堂々斬殺したいわゆる「相沢事件」が青年将校たちに「自分たちも行動を起こさねば!」と奮い立たせたのであった。

さらに、1935年12月には、青年将校たち在籍していた第一艇団の満州派兵が発表されたことがとどめ(首謀者達を決意させた)を刺したのであろう。

・・・というのが自分なりの分析である。

 

これだけの条件が揃えば動機としてはおそらく十分で、あとは如何に作戦を秘密裡に練り短期間に必要な資源を確保して実行に移すかということになるが、ではなぜ実行に移すことができた(結果的にはクーデター未遂となるとはいえ)のかについては、次回に譲ろうと思う。