コンサルタント=ピアニスト=ランナーはきょうも語る

現役経営コンサル兼ピアニストがランニングと仕事術とピアノと英語とかについて語ります

原民喜という作家を知る

浅学故知らなかった作家である原民喜

羊と鋼の森を観て初めて知り、実は著名な作家であることを知る。

代表作の一つ「鎮魂歌」を読んでみた。

 

原民喜全詩集 (岩波文庫)

原民喜全詩集 (岩波文庫)

 

 

青空文庫でも読める。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000293/files/1855_21715.html

なるほど。評されるとおり、鮮烈で躍動感ある(といっては不適切かもしれないが)描写である。

 

広島原爆については、もちろん直接経験していないし、親戚縁者知人友人に一人も被爆者がおらず、もっぱら報道や文献で間接的に知ることしかできないのだが、子供の頃はとても関心を持っており、漫画「はだしのゲン」は一生懸命読んだし、井伏鱒二の「黒い雨」は、高校時代、現代文の読書感想文の課題に自ら選び、精読したものだった。

 

しかしこの「鎮魂歌」の描写の鮮烈さはそれらを上回る。

冒頭の一部を引用してみる:

人間の眼。あのとき、細い細い糸のように細い眼が僕を見た。まっ黒にまっ黒にふくれ上った顔に眼は絹糸のように細かった。河原かわらにずらりと並んでいる異形いぎょうの重傷者の眼が、傷ついていない人間を不思議そうに振りむいてながめた。不思議そうに、何もかも不思議そうな、ふらふらの、揺れかえる、揺れかえった後の、また揺れかえりの、おそろしいものに視入みいっている眼だ。水のなかに浸って死んでいる子供の眼はガラス玉のようにパッと水のなかで見ひらいていた。両手も両足もパッと水のなかにひろげて、大きな頭の大きな顔の悲しげな子供だった。まるでそこに捨てられた死の標本のように子供は河淵かわぶちよこたわっていた。それから死の標本はいたるところに現れて来た。
人間の死体。あれはほんとうに人間の死骸しがいだったのだろうか。むくむくと動きだしそうになる手足や、絶対者にむかって投げ出された胴、痙攣けいれんして天をつかもうとする指……。光線に突刺された首や、いしばって白くのぞく歯や、盛りあがってみだす内臓や……。一瞬に引裂かれ、一瞬にむかっていどもうとする無数のリズム……。うつ伏せにみぞに墜ちたものや、横むきにあおのけに、焼けただれた奈落ならくの底に、墜ちて来た奈落の深みに、それらは悲しげにみんな天を眺めているのだった。
人間の屍体したい。それは生存者の足もとにごろごろと現れて来た。それらは僕の足にからみつくようだった。僕は歩くたびに、もはやからみつくものから離れられなかった。

 

1945年8月6日の原爆投下の瞬間、筆者は爆心地から1.2kmの地点にある家にいたが、奇跡的に致命的な被爆を逃れたという。

唯一の被爆国である日本。

被爆には、不条理の極みである戦争における一つの事象という意味を遥かに超えた、我々の世界の平和を維持する上での大きな意味があることはあえて自分が言うまでもないことではあるが、あらためてこの記憶を風化させてはならないと思った。

そして、原民喜はより広く知られるべき作家であることも。