コンサルタント=ピアニスト=ランナーはきょうも語る

現役経営コンサル兼ピアニストがランニングと仕事術とピアノと英語とかについて語ります

走ることについて語るときに僕が語ることはいったい何なのだろう

走ることについて書いてみる。このブログでランニングについて書くのは初めてだが、目下マインドシェア50%を占めているのだから書かない手はない。いやあるか。まあいいや。

「走ることについて語るときに僕が語ること」はもう10年以上前に村上春樹さんが著した自伝的エッセイである。
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彼の本は大学生の頃同級生から勧められて以来、デビュー作の風の歌を聴けに始まりほぼ全作読んでおり、特に羊をめぐる冒険などいくつかの作品は何度も繰り返し読んできたものの、「走ることについて・・・」だけは読んでいなかった。
学生時代陸上競技(中距離)をかじった自分としては、健康維持の為に多少ジムで走ることだけで十分で、フルマラソンに対する何のあこがれもなかったし、ランニングは減量の最善の方法ではないため、世の中のランニングブームには目もくれない時期が長く続いた。
今読んでみると、これまで村上春樹という人間について彼自身が語ることはなかった(少なくともこれまで接した作品では)が、この本を読むとなぜ彼が30年にわたり走り続けているのか、なぜフルマラソンはもとよりウルトラマラソンに挑戦するのか、その理由と姿勢に共鳴できることをいくつか発見し、自分のランニングに対するモチベーションに火が点いた。

しかしCovid-19を機にランニングにのめりこむようになって1ヶ月。入院した2015年4月から、薬に頼らない体質改善の一環としてウォーキングで大幅な減量を行なったためすっかり落ちてしまった筋肉を復活させ動ける体にすべく、ルネサンスに通いTipnessに通うものもあまり積極的になれなかった時期が続き、約1年前の2019年3月からOrange Theory Fitnessのメンバとなり、モチベーションを維持してすっかり動ける走れる身体になってきたが、フィットネスの例外にもれず4月から休業となり、運動量を維持すべく4/11から10㎞を基本に最大20㎞の外ランを始めたのだった。

Orange Theoryではトレッドミルで毎回3~6㎞(15~30分)、ミニインターバル的なランニングをやってきたし、月に1回程度ベンチマーク(タイムトライアル)的なイベントがあり、例えば18分で4.5㎞走るなどの記録もあったのかなり走力には自信があったものの、仲の良い友人にサブ3ランナーが複数おり、スピード持久力の点で自分はまったく彼らのレベルには達していないことを認識、また10㎞程度のランでも膝に痛みが出てきたりなど故障のリスクも認識した為、プロのコーチにもレッスン(通算4回、@皇居)を受けたり、Youtubeでランニング関連動画を見まくって自己流で改善をここ1ヶ月してきた。

現時点での課題認識: 自分はまだ走ることに慣れていない。

短い距離(300mぐらい)であればキロ3分20秒ぐらいで長距離を走るフォームを崩さずに走れるようになったとはいえ、ジョグだと動きが小さくなってしまい、みぞおちを意識していても腰が落ちてしまう、キロ4のペースをたとえば3㎞維持することができないなど、現象的にはいろいろな課題が出てしまっている。
当初は膝から下で走っていたことに起因する膝やアキレス腱の違和感が、コーチからも言われていたハムストリングスを使うことを意識した結果ほとんどなくなったし、着地点や足首のリラックスも意識しているおかげでかなり走りも滑らかになってきたものの、ストライドは1.1m~1.2m程度と短く(2㎞ランぐらいだと1.4mになるが)、まだまだ動きが小さいのだと思う。
各パーツを考えすぎてしまっており、「統合」「連携」ができていないのだろう。そこで:

現時点での走るときのポイント: 細かいことは考えない。

良いイメージ(たとえばMo Farahや大迫傑のようなトップランナーの走りのイメージ)を抱き、「考えるんじゃない、感じるんだ」で自分の身体と対話しながら(ただし言い訳は聞かない)前進することに使うエネルギーを100%に出来る限り近づけることだけを意識する(しかし考えない)。

しかし自分にとって走ることとは、まだ手段なのだ。言い訳する自分、結果を急ぐ自分、長い期間をかけ努力を継続して初めて何かを達成するということを本当の意味で知らない自分を克服するための手段。
そして、これはプロのコーチにも言われたことだが、数字にとらわれてはいけない、走ることの本質的な楽しみを味わうことによって結果はついてくる・・・これができていない。中学高校の頃は誰にも言われることなく勝手に走り回り、突っ込んだペースで走ることも恐れていなかった。
いろいろ考えてしまうのは結局は自分に対する言い訳なのだ。走ることが怖いからいろいろ考えてしまう。そして考えることによって様々な箇所(呼吸筋も含め)に力が入ってしまっている。コーチには9割以上のランナーは脱力ができていないと言われたが、その9割に見事に含まれてしまっている。
本当に走ることが好きだとしたら、何も恐れないだろう。言い訳もしないだろう。自然なフォーム(かつて1500mを4分40秒(陸上部にしては遅いが)で走った記憶は失われていない)で自然な呼吸でのびのびと走ることができるだろう。

最大の問題: 走ることの楽しみを忘れてしまった。

明日は、LSDだの閾値走だのインターバルだの練習の形にとらわれず、またタイムも気にせずのびのびと走るというのはどういうことか思い出すことを目的にしようと思う。