コンサルタント=ピアニスト=ランナーはきょうも語る

現役経営コンサル兼ピアニストがランニングと仕事術とピアノと英語とかについて語ります

【読書メモ】走ることについて語るときに僕が語ること

ランナーにとっては、走らない時間すなわち一日の9割超の時間もトレーニングである。
考えながら走るのは良くないが、走らない時間は正しい考え方で考えよう。
そのための読書である。先人の知恵に学ぶ。ただし批判的に読むこと。

今回取り上げるのはこの本である。

自分は村上春樹の小説を愛読してきたが、この本だけは読んでいなかった。そもそも学生時代に陸上競技を実に中途半端な形で放棄してしまい、同級生や親友が社会人になってから(それもけっこう経ってから)フルマラソンなどに挑戦するも「ふーん」て程度で、まして世のランニングブームなどには目もくれないできたからだ。

しかし今年になって(いや正確には昨年の秋からか)フィットネススタジオでトレッドミルで走るだけではなく外ランもするようになってからはランニングに傾倒してきた。いや正確にはCovid-19でジムが休業になった1ヶ月前からのことだ。

トップランナーでさえ2時間かかるフルマラソン。市民ランナーであればサブ4達成すればかなりいい方とは言え、2時間という時間は自分にとっては途方もなく長い。
仕事においては世界最高の効率を心掛けている自分は、どんな仕事でも15分で概ね結論が出るよう思考を集中する。
ピアノの練習も30分連続を超えると練習の質が下がる。

2時間

長い。長すぎる。一体ランナーは何を考えて走っているのか。人間は健全な精神の持ち主であれば思考をシャットダウンすることはできない。いつか大迫傑さんも退屈だ(なのでテレビドラマのことを考えたりしているとか)というようなことを言っていた気がする(要確認)。

この論点について、おそらく考え過ぎるプロであろう村上春樹氏であれば何らかの答を持っているだろうと思ったのがこの本を手にした理由である。彼のトレーニング方法やタイムに関心がある訳では毛頭ない。

そしてまさに自分の求めていた答(一つの)をさすが村上さん美しく表現している。

僕は走りながら、ただ走っている。僕は原則的には空白の中を走っている。逆の言い方をすれば、空白を獲得するために走っている、ということかもしれない。そのような空白の中にも、その時々の考えが自然に潜り込んでくる。当然のことだ。人間の心の中には真の空白など存在し得ないのだから。

さすがだ。

そして、これに加えて、自分はこうも考える。
高い強度で走っているとき、血液の殆どが筋肉に流れていく(だから走る前にたんまり食べてはいけない)。当然、酸素と栄養のおおぐらいである大脳への血流も減る(減らねばならない)。おのずと余計なことは考えられない。自分のように考えるのが仕事で考え過ぎるきらいのある人間にとって、これはとても重要な転換である。
余計なことを考えているうちはまだ余裕があるのだ。余計なことを考えるならペースアップできるはず。

はず。