コンサルタントはきょうも語る

現役経営コンサル兼ピアニストが仕事術とピアノと減量と英語と沖縄とかについて語ります

異国の地にて思うこと

仕事とはいえ異国の地に来るたびに非日常を体験する。

日本にいるときは現実に追われて(追う立場になりたいがそうもいかない)考えないこと、思い出さないことも、異国に来ると(忙しい中でも)考えてしまうし、思い出してしまう。

遠き日の想い出は当時はつらくくるしかったことでも今になって思えばいい想い出ということも中にはある。

しかし、何十年経っても、どう考えてもいい想い出には(未だ)ならないものもある。

生きているだけで十分に幸せなのだ。そもそも生まれてきたことだけでも奇跡なのだ生命というものは。

そうかもしれない。

でも、自分は自分なりにがんばって生きてきた。もちろん生きること自体ががんばることなのだ。勉強とかスポーツとか仕事とか別に結果が出なくても、客観的にそうは見えなくてもみんながんばっているのだ。

だから結果がどうあろうと、「こんなにがんばったのになんでこんなことになってしまったんだろう」というのは意味がない。

他人と比較してもまったく意味はない。

頑張っていないようにみえる相手だって、実は君が見えないところで悩み苦しみもがき必死にがんばっているかもしれない。そうでないと言い切れる?

だから「なんで自分が?」と言ってはいけない。

もっと悪い状況になっていたかもしれないのだ。

 

ここまでは理性。

ここからは本音。

 

なぜ両親はオレを疎んじたのか。何も期待しないどころかネグレクト?

なぜ父親は妻と子供たちを捨てた?

なぜ親戚の人たちは俺達を遠ざけた?

なぜ母親は最期に俺達に苦労をかけ、何の(御礼の)一言もなく旅立った?

なぜ最愛の君は俺を置いて先に虹の橋のたもとへ渡った?

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なぜ俺の精神に10年分の傷を与えたお前はおめおめと出世している?

 

海外出張のたびに思う。今度こそこの飛行機落ちるんじゃないか。

もう100回は超えているだろうか。

行きは無事に離陸し着陸した。ハイジャックもなかった。

しかし帰りはどうだろう。今度こそ何かあるかも。

それでもいい。

そうなったらそれまでのことだ。

むしろ早く人生の幕を閉じたい。

10代のころから大器晩成と言われてきたが晩成とはいつのことなのか。

もう待てないよ。

待たない。