コンサルタント=ピアニスト=ランナーはきょうも語る

現役経営コンサル兼ピアニストがランニングと仕事術とピアノと英語とかについて語ります

医薬品メーカーのアドボカシー

ここ数日のテーマは、長年関わっている医薬品業界のアドボカシー(advocacy)について。
アドボカシーとは日本語では患者権利擁護ともいわれるが、医薬品メーカーにとって、CMなどでは患者さんのために、患者さんと共に、とメッセージを出しているものの、それは経営理念同様、「重要だができていない」のが理由である。
医薬品メーカーがアドボカシーと言い始めてからしばらくになるが、依然として患者、あるいは一般個人からすると医薬品メーカーというのは遠い存在である。おそらく最も身近なのは(訪問規制が厳しくなり、またコロナ禍でさらに減ったが)MRの病院・クリニック訪問である。
そもそも医薬品メーカーと患者の間には、医薬品卸(アルフレッサやスズケンなど)があり、医療機関があり、調剤薬局がある。
また、医薬品メーカーの部門間の壁も高い。営業とマーケティングの壁、マーケティングと臨床開発の壁、臨床開発と創薬の壁がある。その他メディカルアフェアーズなど様々な部門があり、ますます分業は進んでいる。
高血圧や高脂血症などがアンメットメディカルニーズであった20年ほど前は、医薬品メーカーの至上命題は「ブロックバスター」を世に出すことであった。多数の患者が慢性的に患う病気は一旦処方されれば巨額のキャッシュを産む。高脂血症薬のメバロチン等はブロックバスターの先駆けの一つだが、年間何千億、薬によっては兆円台の売上を記録したものもあった(ファイザーのリピトール等)が、医療用医薬品には特許失効という宿命があり、後発医薬品ジェネリック)にとって代わられると、売上は一気に落ちる(日本では落ち方が欧米に比べ緩やかだが)のと、高血圧や高脂血症といった「大きな池」にはたくさんの製薬会社が群がり、それほど大きな差(薬効や安全性において)のない似たような薬が鎬を削る(臨床開発費の高騰は多くのサンプルを集めて統計的有意を証明するためのものだったし、巨大な営業戦力にも一社あたり何千億の固定費がかかる)ため、レッドオーシャンと化し、この「ブロックバスター」ビジネスモデルはもはや通用しない過去のものとなっている。
戦略転換を迫られた医薬品メーカー各社は、新たなアンメットメディカルニーズの充足に乗り出した。筆頭はがんである。がんといっても当然一つの病気ではなく、また一つの臓器にも様々な種類のがんがある(例:肺がん)。
抗がん剤は昔からあるのだが、がんの発生メカニズムの解明や薬の新たな作用機序の発見により、分子標的薬など新しいタイプの薬が世に出てきている。テクノロジーの進歩は製薬会社の潤沢な投資余力によって支えられている。
問題は、このような新しいタイプの薬は従来の薬とはけた違いに高額であることだ。数年前にTVのニュースでも取り上げられたオプジーボが最たる例である(当初は年間投与費用が3,500万円とされた。今は度重なる薬価引き下げでかなり低下している)。
がんの次は特定疾患、あるいは稀少疾患、難病である。患者数は生活習慣病と較べると3桁も4桁もあるいはそれ以上少ないが、薬価は例えば千倍(シンプルに錠剤1錠が100円に対しバイアル1瓶で10万円といった具合)であれば、十分大きな売上が見込め、粗利率も高い。ただし、開発の難度は高くなるし、営業・マーケティングも難しくなる。
がんや特定疾患は確定診断も難しいため、医薬品メーカーとしては臨床面のサポートも求められるし、新しいタイプの薬は投与後の管理も難しいし、安全性の評価も確立していないので、市販後調査を含め上市後のサポートも充実させなければならない。

ここまでは医薬品メーカーの立場で書いてきた。では、患者からするとどうなのだろうか。アドボカシーというからには、あくまでも患者が求めること、必要とする製品・サービスを提供することに資するものでなければならない。
以前、自分が主宰するヘルスケアの研究会でテクノロジーとヘルスケアについて各界の識者にインタビューしたりディスカッションしながら提言をまとめ、立法・行政の関係者や、あるいは別の講演会などで発表させていただいた。
具体例として取り上げたのは嚥下障害、がん、骨粗しょう症など、いずれも現在の医療において顕著な問題(患者の不満や妥協の大きい)があるテーマばかりである。
また、ある講演会では、個人的に考える最も深刻な(充たされていない)アンメットメディカルニーズとして3つを挙げた。それはアルツハイマー認知症、ALS、ミトコンドリア病である。いずれも根治させることはおろか、疾病の発生メカニズムも未解明(有力な仮説はあるものの決定的ではない)の疾病であり、我々が最も恐れるべき疾病に挙げられるものである。
仮に根治させる治療法があったとして、それで患者さんの問題が解決する訳ではない。
最近上市され、日本では年間投与費用1億7千万円弱と「世界で最も高価な薬」筆頭になったゾルゲンスマ(ノバルティス)は脊髄性筋萎縮症(SMA)の遺伝子治療薬だが、ノバルティスはYoutubeTwitterで投与された患者さんの生活がどう変わったかなど、積極的にゾルゲンスマのメリットをアピールしているが、一方でSMA患者さんの厳しい声が患者団体の動画などで伝えられている。投与してもらいたいと思っても、また米国や日本では全額或いはほとんどが保険適用だとしても、投与を強く要望しても半年待たされたり、遠くの病院まで飛行機で行かなければならない(例:アトランタからボストン)、など、仮に投与できたとしてもそれまでの負担がとても大きい場合がある。
投与まで時間がかかる原因の一つに、確定診断のためには様々な検査を受け、その疾病以外の可能性をすべて排除してからでないといけないということがある。特にミトコンドリア病は患者さんによって様々な部位に様々な症状が出るため(ミトコンドリア病といっても一つの病気ではなく、●●脳症等多様な病名が付けられている)、症状の程度によってはそもそも本人が受診しないかもしれないし、最初に受けた病院で誤った診断が下されるかもしれないし、対症療法を繰り返しつつ病気が進行してしまうかもしれないし、それでも正しい診断がなされるとは限らない(実は自分もある疾病で同様の経験をしている)。
また、これまで再生医療遺伝子治療抗がん剤についてプロジェクトで実際に関わってきており現場の医師や開発者から直接聞いていることだが、仮に重症であっても患者さんには治療を受けない選択肢を採る人も少なからずいる。必ずしも経済的な問題ではない。病気は必ずしも「治さねばならない」ものではなく、あくまでも本人や家族が選ぶことなのだ。
もし確定診断にも苦労せず、副作用もなく、しかも著効で経済的に十分affordableな薬があれば別だが、それは開発者・販売者からしたら「夢」に過ぎない。どこまで行っても医薬品メーカーと患者の間には越えがたい壁、埋めがたい溝、遠い距離があるのだ。

医薬品メーカーがアドボカシーに本気で取り組むならば(本気になって欲しいし今社会が求めていることだが)、これまでの自分のビジネスモデルの陥穽を正確に患者の視点で捉え、一部門の仕事として任せるのではなく、真に全社的・部署横断的な取組を、すべてのステイクホルダー(患者と家族、患者団体、医療機関、行政など)に対して正面から向き合い、かつ不確実性やコスト(なぜ高額なのか、開発費だけではなく販売費、開発失敗コストも含め)も含めてオープンにした上で、そもそもどういう薬を世に出すのかのバリューチェーン上最上流での意思決定をステークホルダーの厳しい要求に真摯に応えるべく全力を注ぐことが必要と考える。

ちなみに、「必要」という言葉は最近軽いニュアンスになっている。本来は強い意味なのである。「必ず要する」のであるから。「絶対」を付けるまでもない。

医薬品メーカーは外資も内資も含め10社を超える会社の経営陣や各部門とお付き合いさせていただいており、国を問わず規制業種であること故の難しさや過去の経緯や同業他社や医療業界との関係も含む「オトナの事情」が多々あることは承知しているが、どの業界であれ、業界の向かう方向は最終受益者のニーズを満たし不満や妥協を解決することであって、製薬業界だから最終受益者を蔑ろにしていいということではないし、最も最終受益者から遠い位置に自分たちがいることを骨身に沁みて理解した上で、「なぜそれをやるのか」という論点に拘泥することなく、邁進しなければならないし、それが今後の業界の生存メカニズムでありゲームのルールになっていく。

大いに期待したいし、経営陣がアドボカシーを真摯に考える会社ならば支援を惜しまない所存である。