コンサルタント=ピアニスト=ランナーはきょうも語る

現役経営コンサル兼ピアニストがランニングと仕事術とピアノと英語とかについて語ります

ピアニストのプロとアマチュアの違い

演奏活動で生計を立てられるのがプロ。それ以外はアマというのが強い定義。

演奏活動で生計を立てることは極めて難しい。ショパンコンクール優勝者ですらままならないのだ。

プロとアマの実力はまったく次元が違う。

たとえばランランのようにアンドレ・ワッツの代演でデビューしたピアニストは直前になってでないと代演できるか否かわからない。当然ですね。

しかもそれがピアノ協奏曲だったら?

いくら弾けるアマとは言ってもピアノ協奏曲全楽章をいったい何曲レパートリーとしてもっているか。せいぜい数曲でしょう。しかも代演の曲目は選べない。

プロとアマの違いは歴然としている。

ベートーヴェンピアノソナタ第2番〜自分の原点

自分にとって原点と言うべき曲が最も尊敬する作曲家であるベートーヴェンが25歳のとき1795年に書いたソナタ第2番です。

このWikiの解説はとても良いです。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ピアノソナタ第2番_(ベートーヴェン)

 

中学2年の頃だったか、自分が初めてベートーヴェンの曲をレッスンに持っていったのが、当時習っていた先生に勧められたこの曲でした。

 

第1楽章。

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第2楽章。ベートーヴェンの全32曲のソナタの全楽章中最も好きな楽章です。

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第3楽章スケルツォ

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第4楽章フィナーレはロンドです。

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あらためてこれを研究します。

 

 

専門薬局という存在

日本の調剤薬局は、アインファーマシーズ日本調剤といった大手が存在し、合従連衡が進行しているものの、最大手のアイングループでも売上高は約1,900億円(連結)、上位5社(アイン、日本調剤クオール、総合メディカル、トーカイ)の売上高を合計しても約7,000億円と、5兆円と言われる国内調剤薬市場の1割強に過ぎない、分散した業界です。

一方、米国では最大手のCVSケアマークの売上高は約17兆円と、国内首位のアインとは一桁違います。

CVSケアマークは規模のみならず、専門性の高い調剤にも強いプレイヤーです。

米国では、日本とは異なり、抗がん剤など注射剤の処方も行なう「specialty pharmacy(専門薬局)」が業態として存在し、専門薬局には他に在宅医療に強い薬局、介護に強い薬局など、専門分化が進んでおり、かつ成長しています。

 

数年前、ある日本のコンサル会社に、米国の専門薬局の売り案件があるので日本の調剤薬局チェーンは興味を示さないか、という声掛けがあったそうです。日本の調剤薬局チェーンは事業展開も考え方も極めてドメスティックで、かつケイパビリティも日本の法規制も商習慣もあまりに米国とは異なるので(そもそも医薬品の流通形態がまったく違う)、興味を示さないことは濃厚なので(実際には紹介していないのですが)見送った経緯があったそうです。

 

米国の専門薬局に勤務する薬剤師には、当然ながら高い専門性が要求されます。

これは日本の薬剤師以上に薬剤のみならず疾病を深く理解する必要があり、患者のアドヒアランス向上の責任を負うからでもあります。

日本でももちろん抗がん剤や注射剤の処方は薬剤師が行ないますが、基本的に病院に勤務する薬剤師の仕事なので、市中の調剤薬局の薬剤師とは大きく異なります。

歴史的に、医薬分業が進められたものの実効性が無いとして揺り戻しがかかっている現在、薬剤師サイド(日本薬剤師会筆頭に)としては、薬学教育やOJTを含め如何に薬剤師の付加価値、存在意義を高めていくか、その方向性に米国の専門薬局が持つ意義は大きいと思います。

変革には時間がかかると思いますが、既に日本の調剤薬局大手等は米国の現状や動向を研究し始めているようです。

ノートPCを新調

プライベート用のPCはここ5年超の間Lenovoを使っていたのですが、あまりに遅いのと画面サイズ優先でかなりかさばりとてもノートPCとして持ち歩ける代物ではないので(B4サイズ)、転職することもあり、思い切って買い替えました!

昨日家から歩いて行けるヤマダ電機NECLavie Hybrid Zero今春モデルを買いました。 

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nec-lavie.jp

このブログも新しいPCで書いています。

いまの職場が貸与してくれているPCもLavieなのですが、とても使いやすく薄型軽量で、この1年間一切なんのトラブルもなかったので、Lavieにすることは決めていたのですが、最新モデルにするか型落ちの昨年バージョンを買うか2日間迷った挙句、やはり最新モデルにしました。軽いです。

しかもカラーはゴールドです!

メール設定、Wifi設定、SNSの設定など半日かかりましたが、すっかり快適にバリバリ使えるようになりました。

これで向こう5年間はいけそうです。

配置薬業界・企業はどうなるのか

配置用医薬品とは、いわゆる「富山の薬売り」が各家庭(あるいは事業所)に薬箱を設置し、定期的に薬の補充をする訪問販売形式の医薬品のことです。

江戸時代に、前田藩2代目藩主の令を発端に成長の礎が築かれたこの日本独特の業界セグメントですが、ドラッグストアを主とする流通の多様化により、その市場規模は縮小の一途を辿っています。平成7年(1995年)の663億円をピーク(薬事工業生産動態年報の生産金額ベース)に、直近の平成25年(2013年)はその1/3の226億円まで、CAGR▲5.5%の縮小市場となっています。

富山県は配置用医薬品生産金額の5割を占めるほど集中が進んでおり、また富山県自体大手医薬品メーカー(新薬・後発薬共に)が生産拠点を構える医薬品生産のメッカです(一昨年、県別医薬品生産高で富山県が、これまでずっと首位を守ってきた静岡県を抜いて首位になりました)。

配置用医薬品市場がこのように長期縮小傾向にあること、また配置用医薬品メーカーがせいぜい数十億円規模の事業規模で収益性も低く、またR&D投資もままならないことから、特に近隣の企業同士の合従連衡による事業基盤強化が待たれる業界となっています。

配置用医薬品はいわゆる大衆薬(一般医用医薬品、もしくはOTC)とは別の市場セグメントですが、政府・厚労省が進める医療費削減は、いわゆる消費者主体のセルフ・メディケーションの流れで、縮小傾向に歯止めがかかるポテンシャルもあります(OTCは漢方を除き長期縮小傾向)。

訪問販売という形態が高齢社会における家庭向け健康支援に適したものであることから、今後に期待する声もありますが、しかしそれも小規模な事業体ではなかなか事業モデル転換による事業転換が難しいとみられ、前述の合従連衡も単にスケールメリットを狙ったM&A(医薬品生産の場合生産のスケールメリットは効きにくい)を超えて、このように新たな戦略的方向性を共有した形のものであれば十分に意義はあると思われます。

医薬品業界は、高齢者人口の増加と公的医療保険制度における薬価政策によって堅調な成長を遂げてきておりましたが、規制緩和や、大型医薬品の特許失効による2010年問題と2015年問題、さらにここにきて医療費抑制の為の各種施策により、成長の前提と業界の本質的な限界が露呈し、(前臨床、臨床)開発支援や配置薬といった、医薬品関連業種の中でも特に影響を受けた業種が売上・利益両面でマイナス成長になり、危機が訪れている企業も少なからず出てきました。医薬品業界の構造変化が本格的に始まり、「戦略」の必要性が高まってきたと言えるとおもいます。

心療内科の現状について調べてみた

精神疾患はあるアンケート調査によると4割から5割は誤診と言われていますし、長期にわたって抗うつ剤抗不安剤などを服用し続けることで却って病状が悪化するとも言われています(心療内科医は依存性はないと当然いいますが)。

前述のとおり、そもそも精神疾患は診断が難しいものです。現在世界で使われている精神疾患の診断基準は、米国精神医学会(American Psychiatric Association)が監修したDSM-5(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, Fifth Edition)ですが、そもそもこのDSMの判断基準自体が難解、というより判断に迷うような部分が多々あります。

たとえば、「統合失調症スペクトラム障害および他の精神病性障害郡」という大分類の下に「妄想性障害」という疾病分類があります。

この妄想性障害には7つの型があり、それを特定しなさい、とあるのですが、その7つの型というのが、「被愛型」「誇大型」「嫉妬型」「被害型」「身体型」「混合型」「特定不能型」であり、何がどうだったら例えば嫉妬型でどうだったら特定不能型になるのか、とても難しそうです。

どれも「特定不能型」になりそうな気がしてなりません。

臨床医は当然ながら診断のロジックと根拠を持っているのでしょうが、これは多くの精神疾患のうちの1つに過ぎず、また一人の患者が複数の精神疾患を有することや、時間が経過すると疾患も変わることもあるようですから、誤診が多いというのもさもありなんです。

アルツハイマー認知症ADHD統合失調症(かつては精神分裂病)、パニック障害PTSDあたりは良く知られている精神疾患ですが、DSMをみていると「こんな病気もあったのか」と驚きの連続です。

たとえば、反応性アタッチメント障害、解離性トランス、先天性中枢性肺胞低換気、間歇性爆発性障害、などどういう病気なんだか見当もつかない病名が並んでいます。

一方で、「これって病気なのか?」というようなものまで疾患として定義されているものもあり、それも増える一方です。

診療科の中で、心療内科ほど楽な診療科はないと揶揄されることもあります。

何の診断機器も使わないし、すくなくともかかりつけレベルで出す薬は特定の抗不安剤睡眠導入剤抗うつ剤がほとんどですから処方箋を書くのも(他の診療科に較べれば)楽だし、何より急性の疾患ではないのでほとんど必ず「リピート顧客」になるため、「おいしい商売」とまで言われることもあります。

また、医薬品メーカーにとっても「おいしい」領域で、たとえばもう特許切れになってしまいましたがアストラゼネカ社のセロクエル、イーライリリー社のジプレキサはいずれも統合失調症の薬で、ピーク時には5,000億円もの売上をあげ、この製品の特許が切れただけでグローバルメガファーマの業績が大きく変化するほどのインパクトがありました。

また、抗うつ剤の副作用に自殺があるのもそもそもおかしな話です。

たとえば、明治製菓が販売している抗うつ剤である「リフレックス錠15mg」の添付文書に、「重要な基本的注意」として、「うつ症状を呈する患者は希死念慮があり、自殺企図のおそれがあるので、・・・」、「不安、焦燥、興奮、パニック発作、不眠、易刺激性、敵意、攻撃性、衝動性、アカシジア/精神運動不穏、軽躁、躁病等があらわれることが報告されている。・・・」ともあります。

これは明らかに飲まない方がよいのではないでしょうか。

問題は処方される患者がこの添付文書をまず読まないということですね。ネットでは簡単にみれるのですが。

HTA(医療技術評価)が確実に医薬品・医療機器の世界で展開されるにつれ是正されていく問題ではありますが、患者の側のリテラシーも高め、できる限り薬に頼らない(本当に必要な時にだけ服用する)よう、努力すべきではないでしょうか。それが疾病を悪化させず、かつマクロにも医療費抑制に貢献する重要な方向性と考えます。

fitbit日記:歩いてハバナに到達

ひさしぶりのfitbit日記です。

先日デバイスをCharge HRからAlta HRに替えたことはご報告しましたが、

jimkbys471.hatenablog.com

 とても気に入っており、暑い中ですが相変わらず良く歩いています。

そして、おとといの8/8のこと、ついにキューバの首都ハバナに到達しました。

ハバナ(Havana)は東京から大圏距離で12,131kmです。

大圏距離は地球上の2地点間を最短距離で結ぶ線なので、メルカトル図法の地図に慣れている我々にはちょっととっつきにくい軌道になりますが、アラスカ上空を飛ぶと最も近いのですね!

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fitbitを始めたのがおととし2015年の10月14日、それから665日目になります。もうすぐまる2年になりますが、やっと中米に到達しました。アフリカ大陸にも既に届いているので、あとは南米を残すのみとなりました。

あ、南極にはとっくに到達していますが(11,500kmぐらいなので)ご報告してませんでしたね。すみません!

次の目標はグアテマラの首都グアテマラ、東京から大圏距離にして12,237kmです。

コンクールで出会ったすばらしいピアニスト

昨日(8/8)は仕事のついでにコンクールを聴きに行きました。

ほとんど毎年のように時間を作って足を運んでいる、ピティナ・ピアノコンペティションG級2次です。会場は西武池袋線大泉学園駅に直結する練馬区の施設、ゆめりあホールです。

仕事の都合で火曜日の朝と夕方しか聴けなかったのですが、幸運なことに何名かすばらしい演奏をライブで聴くことができました。

その日聴いた約10名のうち、鮮烈な印象が残っているのか、愛知県の高校1年生、亀井聖矢くんの演奏でした。

このG級というのは年齢制限があって、ピティナは日本最大のコンペティションを運営しており、G級は特級に次ぐ最もハイレベルの級なのですが、年齢制限が無い特級に対し、G級は26歳までと決められています。

しかし実際にはほとんどが高校生か大学生で、中には若干名ですが中学生もいます。そして、全国決勝大会で過去に高校生が何度も金賞(優勝ですね)を獲得しています。G級金賞受賞者で最も有名なピアニストが、今をときめく阪田知樹くんですね。彼がこのゆめりあホールでG級2次に出場し全国決勝進出を果たしたときも聴いており、彼と親御さんに「すばらしかったです」と声をかけた記憶があります。

亀井くんの演奏曲目は:

いずれも難曲中の難曲です。

G級の2次では20分以内のプログラムが求められています。

バッハは極めて高い完成度で安定した演奏がコンクールの舞台では求められます。自分も今年2回コンクールの舞台で平均律を弾いていますし、その難しさは身に沁みているのですが、このG級2次という舞台の1曲目で堂々たる演奏、立体的で緻密かつ響き豊かな演奏で、前後のコンテスタントとは一線を画す演奏でした。ただし、バッハの演奏については審査員の評価基準が特に割れるので、ある審査員に評価が高い演奏が他の審査員からすると「認められない」演奏であったりするので難しいです。バッハで加点は狙いにくいのです。しかしいずれにせよ個人的には引き込まれる説得力あるバッハでした。

ラベルのトッカータは実はラベルのピアノ曲で難曲として呼び声高いスカルボより実は難しいのです。自分はどちらも弾いたことがあるのですが、クープランの墓の様式感を表現することがメカニカルな困難さに加わるので大変な曲です。ノーミスで弾くことが至難なこの曲の亀井くんの演奏は完璧でした。

3曲目はブラームスピアノ曲中、いや全ピアノ曲中でも最も難しいとされるパガニーニの主題による変奏曲(通称パガバリ)の第2巻です。この曲は国際コンクールでもコンテスタントが実力を披露するために選曲するshow pieceなのでよく聴いていますが、もし録音だけ聴いて、国際コンクールの入賞者の演奏と言われても判らないと言っても過言でない完璧でパワフルな演奏でした。変奏曲としての性格の引き分けも明確でした。

今年に限らずこれまでG級2次を聴いてきた中でも、いや特級の2次(先週聴いてきました)と較べても、最も良い演奏の一つだったと思いました。

今回は仕事の都合で全体の1/4も聴けなかったので何とも言えませんが、これは全国決勝進出を疑わない演奏でした。

コンクールの結果は実力だけではまったく決まりません。審査員に委ねられるものです。そして結果は残念ながら全国決勝進出はならず、本選奨励賞でした。

さぞかし悔しかったことでしょう。想像に難くありません。すばらしい演奏でしたし、本人の手ごたえもあったことでしょう。

コンクールの結果はともかく、彼はすばらしいピアニストであることは間違いありません。陳腐な表現ですが、今回の結果をバネにさらに高く飛躍してくれることを期待し、また信じています。これからも応援したいとおもいます。

 

変わりゆく福祉国家

北欧諸国、特にスウェーデン王国は、日本でも高福祉国家としてかつてより認識されており、政府や厚労省社会保障制度のモデルとしても頻繁にとりあげられる国です。

そのスウェーデン社会福祉に転機が訪れています。

著名な外交専門誌であるForeign Affairsの2015年5月19日付の記事、”Stockholm Syndrome – How Immigrants are Changing Sweden’s Welfare State”には、そのタイトルどおり、同国の社会福祉がいま転換点を迎えていることを端的に記述しています。

かつて、医療、年金、教育あらゆる面で世界でもっとも充実した公共サービスを提供し、失業率もほぼゼロであった1970年代のスウェーデンは、欧州諸国の中でも国外からの移住者に対して最も寛容な(例えばシリア難民に一時滞在許可のみならず永住許可を与える策を他国に先駆け採択した)政策をとってきています。

このため、今では実質的には米国やカナダと同様の多民族国家となっているスウェーデンですが、まだ国としてのアイデンティティはかつての同質なものに留まっており、これが移民や、昨今欧州では(経済危機と並び)最大の共通課題である難民問題に対する政治的スタンスと、かつてユートピアとも評された(今でも相対的にはそうかもしれませんが)国家システムへの負の影響の抑制をどうマネージするかにとって重要な問題であるForeign Affairsは述べています。

2008年のリーマンショック、そしていま25歳以下の失業率が約23%と高く、治安も悪化した(と国民は認識している)現状において、これらの問題を流入速度が増している移民・難民に帰着させる方向に国民の意識は向かっているようであり、その結果排外主義を掲げるスウェーデン民主党の支持率は上がっているそうです。

しかしそれでも、翻って日本の危機的な年金制度(一向に本質的な改革が進まない)からみれば、学ぶことは多々あるのは事実です。言うまでもなく日本の年金制度は依然として受給者である高齢者にとって手厚い状態が続いており、給付率のマクロスライドを適切に行わなければますます勤労者の負担は重く将来の給付が危ぶまれることは明らかであるのに、政府も厚労省も問題の先送りを続けており、それが「政治的な配慮」によるものである状況は変わっていません。この「政治的配慮」が年金制度改革を阻害することに対して、スウェーデンはそれを十分に認識して手を打っていた点において、一日の長があると言えるでしょう。

あやしい健康法はやっぱりあやしい

かなり前ですが2015年8月のNew York Timesの医療コラムに、インディアナ大学医学部の教授が「水を一日2リットル飲むと身体に良いというのは根拠がない」と書いたことが反響を呼んだことがありました。

ミランダ・カーなどスーパーモデルが一日3リットル水を飲んで美しさを維持している等とウェブ上で喧伝されたり、ますます現代人は水(お茶やコーヒーではなく)を多量に飲むことがよいことだと信じられている傾向にあるのかもしれません。

また、水を飲む健康法に関して詳しく解説しているサイトも沢山ありますが(ググれば大量に出てきます)、極端なものになると水道水もミネラルウォーターもだめで、ウォーターサーバーだけが許される、などとしているものもあるほどです。

人体の組成の6割以上が水(H2O)であり、また代謝の副産物や飲食物に含まれる有害物質、あるいは老廃物を排出するためにも水分が必要であることは立証されていると言って良いと思います。

では、「水を2リットル」とはどういうことか、なぜそれが身体によいのかを論拠をもって解説してくれている人はいないようです。

ほとんど都市伝説と言ってもいいかもしれません。

そもそも2リットルの水というのは真水ではなく、食物に含まれる水分も含めて(目安として)2リットルというのが正しいようです。

水を飲む健康法の他にも、もっと古来より、以前このコラムでも取り上げた代替療法と呼ばれるもののほとんどは、科学的には疑似科学と分類されるものです。

疑似科学というのは、客観的に正しいとされる方法で立証されていないものの総体を指しますが、医療・健康に関わるものに特に多いようです。

たとえば、古来からある祈祷(国や地方によっては現在でも主たる「医療」であったりします)もそうですし、「~~でがんが消えた」、「~~で血液さらさら」といったもの、あるいはマイナスイオンホメオパシー、コラーゲンやヒアルロン酸トルマリンゲルマニウムバナジウム水、活性水素水・・・と枚挙に暇がありませんがこれらもそうです。

さらには、機能性表示食品も疑似科学でないことを免れるものではありません。STAP細胞疑似科学ですし、武田やノバルティスの臨床データに関する不正も疑似科学です。前回とりあげた断食も疑似科学です。

昨年WHOが加工肉に対する警鐘を発したり、かつては植物性脂肪は身体に良いと言われたのに対して反論が呈されたり、「~~が身体によい」とされるもののほとんどは数年も経たないうちに撤回されたり、新たな健康法とされるもののほとんどは信用ならないのに、相も変わらず次々と新しいカタカナやアルファベットが登場し、マス広告やダイレクトマーケティングを賑わせています。消費者庁もそれらを監視しきれない状態です。

インターネットの普及により、我々医学、薬学、化学、生物学の専門家でない一般消費者でも研究成果を辿り、またその評価に関する情報も入手して自分なりにある程度判断することができるようになったとはいえ、疑似科学の場合には、カール・ポパーの言う「反証可能性」が担保されていないこともあり、いくら情報が得られても判断できないこともあり、なにか権威ぽい方のそれらしい説得力のあるメッセージに惑わされてしまうことはある程度やむを得ないことなのかもしれませんが、少なくとも安易に手を出すべきではないことだけは言えると思います。

そもそも人体に関する科学の理解の程度とは、「わかっていないことの方が多い」のが現状です。

また、健康というものは一朝一夕に作られるものではないので(不健康になるのは簡単ですが)いくら身体に良いとは言っても効果が出るのに時間がかかるので食べあるいは飲み続けなければなりません。

しかし仮にそれが有害な健康法であった場合には、長く続けた場合の害悪も大きくハイリスクです。

このような基本スタンスで臨むのが、健康法については賢明だと思いますし、実は同じことは西洋医学、特に薬物療法にも言えることです。

慢性疾患の場合、何年、何十年にわたって飲み続ける訳ですが、医薬品の開発において長期投与といってもせいぜい半年が相場ですから、慢性疾患の治療からすれば短期に過ぎません。

このような限界があることを消費者が理解することが、実は健全な市場形成、健全な産業の方向付けになる、これこそがヘルスケアにおける真のconsumer empowermentであると思います。