コンサルタント=ピアニスト=ランナーはきょうも語る

現役経営コンサル兼ピアニストがランニングと仕事術とピアノと英語とかについて語ります

牛河さん

村上春樹の小説は、大学3年の頃仲良かった学部の友達に影響を受けて読み始め、ほとんど(小説はすべて)読んでいる。

個性的な登場人物(非人間もいる)の中で、最も感情移入したのは誰かと聞かれたら(聞かれてないw)迷わず

かえるくん

牛河さん

が筆頭と答える。

 

かえるくんは、短編集「神の子供たちはみな踊る」に収められた「」の主人公である。かえるだが形而上的なかえるで、身体は人間より大きく、言葉を解し話し賢くて正義感溢れ勇敢な東京を救ったヒーローである。

 

一方、牛河さんは、長編「1Q84」に登場する脇役である。

 

この「二人」のうちあえて甲乙つければ後者の牛河さんである(個人の感想に他ならないw)。

小説の中での牛河さんについては、既に見事に記述された方がいらっしゃるので、リンクを貼らせていただきます。

http://murakami-haruki.hix05.com/murakami2/murakami222.yshikawa.html

 

この記事の中で、牛河さんの容貌と印象についてはとても写実的に描かれているので、ネット上には似顔絵(想像図)までいくつか出回っていますが、およそ男性を描写するのにこれより醜く描写するのは難しいというほどの記述になっています。

普通はこんな描写された登場人物に共感することは(よほどそういうのがタイプな読者は除き)およそあり得ないでしょう。

ぼくも決して醜フェチなどではありません。むしろ逆です。

しかしこの容貌・印象でなければならないのです。牛河さんは。

彼は探偵なのです。しかもかなり有能な。

有能な探偵になるまでには、彼自身、自分の容貌で如何に社会でわたっていくか、苦悩の末に自分の道をみつけ、努力してきたことでしょう。

そしてこの小説に描かれる困難で危険な仕事にそれは熱心に本気で取り組み、自分の能力を如何なく発揮して、それなりの成果を上げつつあったところでした。

そしてその有能さ故に、無残な死を遂げることになるのです。

この設定、このストーリーに、陳腐な表現ですが「人間の悲哀」を感じざるを得ないのです。(実はかえるくんにも別の意味での人間の悲哀を感じるのですが)

人間という存在の悲哀については、古今東西の作家がテーマとして常に取り上げています。たとえばカミュであり、ドストエフスキーであり、ヘミングウェイであり、小林多喜二であり、太宰治であり、東野圭吾であり・・・と枚挙に暇がありませんが、村上春樹が描く世界における、現代人であり、その職業であり、人物描写が、とてもリアリティを持って自分に迫ってくるのです。

 

こんどあらためてかえるくんについて書いてみたいとおもいます。