古代ギリシアの哲学者であるエピクロス(Epikouros)は、エピキュリアン=快楽主義として知られているが、彼の主張する快楽とは肉体的快楽ではなく精神的快楽であることはあまり知られていないようである。
彼が追求したのは幸福であり、その幸福とは心の平穏・平安(アタラクシア、ataraxia、恐怖からの自由)によって特徴づけられるものであって、それは肉体的快楽を追求することに伴う(追求するのはいま充たされていない)苦しみとは対極にあるものなのだそうだ。
これは自分がこれから研究すべき処世哲学であると思った。
諸々の恐怖からの自由。
日本でいうところの清貧の美学とも違う。
経済成長を支えてきた大量生産・大量消費を否定するものでもない。
環境ファシズムとも違う。
日本の社会システムは依然として右肩上がりの経済成長を前提としたもののままであり、特に社会保障は破綻への道を確実に歩んでいる。
民間大企業のメカニズムも然りである。
単に個人の処世哲学の問題にとどまらない。
何が今後価値あるものになるのか。
企業の使命は何なのか。
国はどうあるべきなのか。
その答を求めて様々な実験が行われており、萌芽的取組はところどころにみられる。
いま自分がやっている仕事のいくつかはそのような萌芽的取組が今は点であるけれども大切に育てて線にし広げて面にすることである。