コンサルタント=ピアニスト=ランナーはきょうも語る

現役経営コンサル兼ピアニストがランニングと仕事術とピアノと英語とかについて語ります

初見で完璧な演奏が可能(理論上)

初見でピアノを弾くことは比較的得意である。子供の頃弾きたい曲がたくさんありすぎて片っ端からつまみ食いしていたし、合唱の伴奏もよくやっていたこともある。逆に、一つの曲をじっくり時間をかけて練習し仕上げるということはほとんどやっていなかった。レッスンにも毎回違う曲を持って行っていた気がする。

厳密にいえば初見とは楽譜を初めてその場でみてその場で弾くことをいうが、ここで定義を変えて、初めて見る(聴いたこともない)曲を音を出すことなく楽譜を見た上で初めて弾くこととする。

ただ音を追うのではなく、曲の構成、話法、和声、アーティキュレーション、指使い、手首・腕の使い方まで含めて演奏を脳内で設計し、シミュレーションする。楽譜を見ている段階で既に音楽として奏でられ、身体感覚として感じることができる。

その曲に用いられる音型を演奏する能力を持っていれば、このプロセスを経ればシミュレーションどおりに演奏できる。

練習の目指す姿とは、これに可能な限り近い形までもっていくことである。複雑な曲、長大な曲になるほど、多様な表現、技術が要求されるため、新出の表現に直面しかつ組合せもあるので難しくなり、決して初見でということにはならないが、それでも基本的には演奏の「完成形」(決して完成することはないが、それでもその時点で奏でたい音楽の像を設計しておくことは必要)を明確にしておくことは必須である。暗譜が確実にもなるし、何より弾けるようになる最短距離である。

非効率な練習とはこれの対極で、とにかく回数をこなせば弾けるようになると信じ、かつ練習しながら曲を試行錯誤で作って行くので、建築物で言えば非常に粗い構想設計をしただけで、行き当たりばったりの施工に移行し、何度も部分を作っては壊し作っては壊しを繰り返すようなものである。

また、暗譜とは運動記憶のみに頼るのはステージで崩壊するリスクが高いため、ただひたすら繰り返し回数をこなせばそのうち弾けるようになる、というのは演奏の安定性、再現性の上でも得策ではない。まして指や手の故障も引き起こしやすくなる。