この週末はピアノコンクールの1次予選を受けてきました。
友人が多数参加するコンクールで、去年は受けませんでしたが、今年は申し込んでみました。
1次予選は演奏時間5分以内ということなのですが、ちょうど収まる曲が無いので、今年からアナリーゼを重ね3月から練習してきたショパンプレリュードから抜粋して弾くことにしました。
今までレッスンを受け研究して何度も本番に出した曲はありますが、勝ちに行くことより、全曲を磨きたいショパン作品28から抜粋という不本意な選曲にしました。
勝ちに行くのではないとは言え、聴く人に不快な演奏になっては本意ではないので、仕事が忙しく、またあまりじっくりレッスン受けることもままならない中、勉強会などで弾かせていただきつつなんとか当日朝まで自分にしては真面目に準備を重ねました。
しかし12番はやはりコントロールが難しく、不安定な演奏になってしまったことは今後の課題です。12番はエチュード10-2のようなテクニックが求められます。
数日とは言え弾けない曲をなんとか本番で弾くためにさまざまな工夫や自分の録画を繰り返し冷静に分析することで学んだことは多く、あらためて自分に何が足りなくて、何が逆に強みなのかも客観的に把握し改善し、「良い演奏」に確実に近づくためのPDCAの回し方を初めて自分のものとできるきっかけを得たことは、今回コンクールに参加した大きな意義だと思います。
最大の学びは、「こう弾いているつもり」が「つもり」にとどまっている、或いはやり過ぎていることをどう修正するか、です。
ラインの出し方、正確な拍感、対位法的な扱い、デュナーミク、色彩の変化、カデンツの閉じ方、フレーズ感、響きのバランス、アゴーギク、そして何より音色の美しさ、などなど音楽として必要な要素を全て満たすのは時に(いや多くの場合)相反する(弾き手の都合で)場合があり、決して自分の都合で音楽を規定してしまってはならない。
まずは「楽譜どおり」(必ずしも全てが書かれてはいない)ことを目標に改善を続けること。
自分が選んでいる曲はいずれも、作曲家によらず、楽譜どおり弾くことができたならば、それはすばらしい音楽ばかり。
もし自分が聴いても「なんと美しい」とならなければ、どこかに必ず作曲家の意図と指示を守っていないところがあるのです。
そして、コンクールで弾くか否かにかかわらず、再現性を担保すること。「今回は弾けなかったけどこれはたまたまで次は弾けるかも」ではいけない。演奏は確率論ではない。それでは無責任なのです。
もう一つ大切なことは、「たかがピアノ」と開き直ることです。これはピアノを甘くみるということとは違います。そもそもピアノ演奏というのはきわめて高度な知性と身体運動と感覚の統合なのです。弾けなくて当たり前。ましてコンクールの結果など生命の危機を感じるものでもなんでもない。今弾けないことや結果に執着してはいけない。執着は客観的な自己把握の障害となるからです。
そして最後に思うのは、プロかアマに関係なく、どんな演奏からも学ぶことがあるということ。今回のコンクールでもすべての演奏から何かしら学ぶものがありました。決していい演奏とは思えない演奏にもどこかいいところがあり、自分を見る鏡となる箇所が必ずあります。これも良い演奏に近づくプロセスの一部なのです。
今さらながらすでに多くの先輩が気づいていることばかりかと思うものの、あらためて表面的にではなく、自分のこととしてようやく気づけたことは良かったと思います。