コンサルタント=ピアニスト=ランナーはきょうも語る

現役経営コンサル兼ピアニストがランニングと仕事術とピアノと英語とかについて語ります

良い勘違い悪い勘違い

「物事が上手く行っている時は成功、上手く行かない時は成長」という句をみた。うまい。

今自分は成長期なのだ。

意識が勝っている。

自己批判が常にある。

仕事でも人間関係でも趣味でもあらゆる事において「今のままではいけない」と考える。

しかし物事は意識だけでは進まない。無意識の方が実際には意識より遥かに力強い。

そろそろ自分を肯定して無意識の抑制を解き自己を解放してもよいのではないか。

全てを意識が掌握することはできない。

勘違いは不可避。

悪い勘違いは正したいがもう既に十分正す努力はしてきたじゃないか。

そろそろ良い勘違いをしても良いのではないか。

自分にはできる、と。

そう思わなければもう何もできない。

一歩も踏み出せない。

経営と音楽の共通軸

ある尊敬するピアニストの方とSNS上で音楽と経営について少しやり取りした。

ぼくの主張は経営と音楽とは互いに通じるところがあるというもので、通常であれば音楽はビジネスとは無縁の趣味としてアマチュアは捉えているが、ぼくは大いに関連がある、いや音楽をやることがビジネス、経営に大いに役立つとすら思っている。

主たる理由は3つある:

まず、経営も音楽も、何よりまず世界観を描くことが重要であるということだ。経営における世界観とは、自分の企業がどのような事業環境におかれ、何を実現するのか、である。これが明確になっていることは必須条件である(凋落していく、苦戦する企業は世界観が旧いことが往々にしてある)。音楽の世界観はその楽曲が何を表現しようとしているのか、作曲家が離散化された楽譜に残したものを、音楽理論や時代背景・時代思潮や音楽史上の経緯の中で読み取ること、そしてそこで自分が演奏者としてどう表現したいか、を明確に持つことが必須である。

次に、プロセスを重視し楽しむことだ。経営にはもちろん経営目標がある。定性的な目標、定量的な目標(売上、利益、成長率、時価総額等)を、事業環境に即し適切な戦略を策定し遂行することが基本だが、多くの企業ではこの戦略策定・遂行のPDCAが弱い。PDCAを回すプロセスを強化すれば業績が大きく改善する機会を自分はコンサルタントとしても事業会社のマネジャーとしても多く実際に目にし、改善してきた。音楽においてもその目標、自分の世界観を表現し聴衆と感動を共有すること、を実現するには、地味な練習のプロセスが必要だが、ただ根気だ忍耐だ辛抱だとしては集中力を持続し質の高い練習を続けることは難しい。経営でも音楽でもつらいことをつらいと思わないため、結果ではなくプロセスを楽しむことはとても重要である。

最後に、オーケストレーションである。経営は組織で行なうもの。様々な能力と個性を有する人材を烏合の衆ではなくチームとして機能させるには「オーケストレーション」が重要だ。音楽においても、器楽曲でも管弦楽でも合唱でも同じことが言える。ピアノソロであっても、特にポリフォニックな作品であればオーケストレーションは欠かせないし、例えばベートーヴェンのワルトシュタインソナタ(21番、作品53)等は明らかに管弦楽を想起して作曲された作品であり、ピアノという楽器の新たな可能性を拓いた曲である。たとえソロでもオーケストレーションは大切なのである。

光の教会

安藤忠雄光の教会(1989)は教会建築の概念を拡張した記念碑的作品。建築というものは常にそうだが立地条件にコストや施主の意向など厳しい制約条件の中出来るだけ妥協せず如何に最適解を求めるかのアートである。畏敬の念を抱かざるを得ない作品の一つ。建築専攻として今回の展示は見逃せない

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新国立美術館の特設実物大模型

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美しい...

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荘厳...

 

最短で現代曲を会得する方法

などと書き出すと安っぽいhowーto本のタイトルのようで響きは良くないが、目下メシアンの「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」中最難曲とされる第6曲天地創造に着手して12日目、その前に手がけた第10番「喜びの聖霊のまなざし」いずれも譜読みからして難儀極まる曲をやってみて到達した結論である。

まず、音楽的にまた自分の手に応じ最も自然な運指を決めること。そして曲の構造を分析すること(アナリーゼ)が大前提。

その上で、実際にピアノに向かう際には絶対に弾き直さずに済む速度で響を吟味し止まることなく弾き続けるのだ。どんなに遅くてもよい。重要なのは音と音の関係を途切らせることなく続けるのだ。

とても根気のいる作業である。

しかしこれこそが大切なのである。

機械的に反復するよりも結果的には遥かに短い時間で曲が自分のものになっていく。

もちろん全曲を両手で通せということではなく、集中力が続く限り、楽節毎、あるいは片手ずつ、全神経を集中してひたすら聴きながらというのがポイント。

決して短期間でモノにしようと焦らないことが肝心である。

思い上がるな

今の日本に最も欠けているものは謙虚さだと思う。

モンスターなんとかがはびこる。

気に入らないことがあると即座に文句を言う。キレる。

お客様は神様であるの対偶を取ると神でなければ客ではないとうまいことを言った人がいる。

患者は客ではない。

生徒も親も客ではない。

医療も教育もサービスされているのだ。どちら上でも下でも偉い偉くないもない。

企業のカスタマーサービスに何かというと文句を言うクレーマーが多いらしい。カスタマーサービス担当者は心を病む。傷ましい。

かつての同僚は過労死した。

思い上がるな。

謙虚になれ。

人間誰しも一人として完全な人はいない。

読書メモ:人体600万年史

Twitter為末大さん(陸上男子400メートルハードル日本記録保持者、元オリンピック選手・世界選手権銅メダル2回獲得アスリート)が「必読です」と勧めていた本を読み始めました。

日本語訳が上下巻で出ていますが:

https://www.amazon.co.jp/dp/4152095652?_encoding=UTF8&isInIframe=0&n=465392&ref_=dp_proddesc_0&s=books&showDetailProductDesc=1#product-description_feature_div

上下巻でハードコピーだと4,752円と高いので、英語版かつKindleバージョンで購入しました。1,153円と4分の1未満の値段です。

まだ第1章を読んでいるのですが、それでもこの本の最大にして最重要のメッセージは「人間は現代生活に適応するように進化している訳ではない」ということです。

より具体的には、人体は未だに狩猟生活時代に適応しているので、それから外れた食生活、運動が糖尿病や骨粗鬆症などの現代病の原因となっているということです。

これだけを聞くと、「そんなの知ってるよ」という人が多いかもしれませんが、人間を対象とする進化生物学の権威であるハーバード大学リーバーマン教授が言うことだからこそ意味があるのです。そしてそのメッセージは著者の研究結果に裏付けられているものです。

このメッセージは現在自分が主催している研究会のテーマとも直接関連します。

そして、AIやIoTを含めあらゆる分野でデジタル化が進み我々の生活・行動全般に関する知見の進展と共に、良い方向に医療・介護の諸問題を解決する上での一つの大きな思潮の核となることが期待されるといっても過言ではないでしょう。

やはり必読書です。

悪夢は不要な情報の処理プロセス

悪夢は脳が睡眠中に不要な情報を処理するプロセスの投影であるという仮説を信じている。

科学的に検証されているものではない。

大学で単位が取れず卒業できない夢

海外でパスポートも財布も携帯も失くし途方に暮れる夢

ステージでまったく弾けず立ち尽くす夢

仕事で大失敗し烈しく非難される夢

家族の死に茫然とする夢

さまざまな夢をみる

正夢などというものは信じない

悪夢を見たらそれは不要な情報であると見做して忘却するに限る

引きずってはならない

明晰夢を見てみたい

迷信とは思考停止

昨日は土曜でしたが、参画している渋沢経営塾(第9期)の第5回、第6回塾が開催されました。

この塾は渋沢栄一の「論語と算盤」の各章に沿って毎回1章ずつ議論していくのですが、第5回の課題は「理想と迷信」でした。

渋沢栄一は特に迷信を嫌ったといいます。

渋沢栄一の言うところの迷信はとっつきにくい概念なので、我々塾生はそれぞれに別の言葉に置き換えてみることにしました。

いろいろな置き換えがあったのですが、個人的にぴったりくると思ったのは、ある方の発言にある「思考停止」でした。

ある時代に正しいと広く信じられていたことも、時代が移り環境が変わるにつれ正しくなくなりますし、そもそも広く信じられていたことがそれを提唱した側の利害に沿ったものでありそもそも正しいものではなかったかもしれませんし、我々の見識が足りず誤った認識であったものかもしれません(天動説と地動説のように)。

迷信というのはこうだと信じ切ってしまうことで温存されてしまうので、まさに思考停止の結果に他ならないものだと思いました。

国家、会社など組織、社会、様々なレベルで常に迷信ははびこっており、それが我々の幸福の実現と進歩を阻害します。思考停止してはならないということを改めて認識した一日でした。

ベテルギウスはまだ生きているか

毎朝4時前に起きてまず確認することは冬なら南の空に輝く冬の大三角形を構成する星の一つ、オリオン座α星である赤色超巨星ベテルギウス(Betelgeuse)が未だ超新星爆発を起こしていないか否かである。

今朝は見えない。

ちなみに冬の大三角形の他の2つの星はおおいぬ座シリウスこいぬ座プロキオンである。

赤色超巨星は短命であり、近年の観測によると既に球形ではなく大きく歪んだ形となっており、超新星爆発が近いとされているものの、正確にいつ爆発するかは推定できておらず、今日か明日かあるいは何万年後かというレベルではあるものの、地球から肉眼で観測できる星の超新星爆発というのは稀な現象であるので、多くの人の関心を呼んでいるようであり、Youtubeにも多くの動画が投稿されている。

ベテルギウスは地球から約640光年離れているので、直接の影響はないとされているものの、爆発を起こした際のガンマ線バーストが地球を直撃すると「大変なこと」になるという仮説は実は未だ否定しきれていないようである。

いずれにしても我々が今見ているベテルギウスは640年前の姿なので、ひょっとしたらもう爆発しているのかもしれないがそれも確かめようもない。

ベテルギウスがどれだけ大きな星かというと、約1,000太陽半径であり、1太陽半径は地球の半径約6,400kmの109倍にあたる約70万kmなので、半径は約7億kmということになる。木星の太陽からの距離が7.8億kmなので、太陽の位置にベテルギウスを置いたとするとほぼ木星の公転軌道に相当するという大きさになる。

この大きさの星が爆発するのである。そのスケールの大きさを想像しただけでわくわくする。ますます気になる今日この頃である。