コンサルタント=ピアニスト=ランナーはきょうも語る

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ショパン前奏曲集作品28⑫

レコード芸術」誌2015年10月号にピアニストの下田浩二氏が連載「ピアノ解体新書」第58回に「マヨルカ島で生まれた24の真珠」と題してショパン前奏曲集作品28の解説を簡潔に書かれており、これが素晴らしいのでテキストのみ引用させていただきたい。とても勉強になる。


ショパン国際ピアノ·コンクール
この10月、ワルシャワで「第17回ショパン国際ピアノ·コンクール」が開催される。現存最古の音楽コンクールで、5 年に一度というオリンピック以上の開催間隔であるこのポーランドの国家事業は、世界の若きピアニストの憧れである。コンクールは3回の予選と⚫️●で入賞者が選ばれるが、第3次予選で今回大きな変化があった。従来のソナタ第2、3番に加えて、《24の前奏曲作品28》が選択可能になったのである。モノトーンになりがちのセミファイナルがより活気あるものになろう。

 

ショパン作品の真珠

24の前奏曲作品28》を「ショパン作品の真珠」と評したのはアントン・ルビンシテインだが、その言を待たずとも、作品はショパンのエッセンスが凝縮され輝きを放ち続ける。ショパンは、バッハに畏敬の念を持っていた。バッハの2巻からなる全調24曲ずつの《平均律クラヴィーア曲集》へのオマージュが、ショパンに《 24の前奏曲》を着想させたことは、まず間違いない。しかし、内容は違う。平均律クラヴィーア曲集が、前奏曲とフーガ1組ずつで24組をなすのに対し、ショパン前奏曲というミクロが24曲集まってマクロ的音楽を生み出す1曲ずつの美が、全曲では有機的世界の雫となる。調性配列は、パッハは同主調が半音階で上行進行していくのに対し、ショパンハ長調イ短調ト長調ホ短調・・・と、平行調同士が5度圏を廻っていく。これは、連作性を高めると同時に、移り変わる際に生ずる「弱進行」により、作品が古雅な響きを深める魅力を生んでいる。実はこの「小品連作と調整配列順」のコンセプトは、フンメルが1814年頃に作曲した《24の前奏曲集作品67》からの影響も大きい。それは、まさにショパンの先駆である。また、メインの曲の調性への導入や楽器の手ならし目的の前奏曲は、ショパン以前もクレメンティ、クラマー、ヴュルフェルなどにより多数作曲されていた。

 

バッハ=小川からショパンの水の流れへ

24の前奏曲》の作曲開始時期については、1831年、1836年、1838年説など諸説あるが、いずれにしても、1838~39年にかけてまとめられた。ちょう ど、ショパンとジョルジュ·サンドが、愛の逃避行をしたマヨルカ島で成立したのである。24曲のどれにも内在する“水”や“雨”のインスピレーションはそのためで、まさにバッハ=小川から生まれたショパンの水の流れである。

 

聴きどころ

24の前奏曲》は、本当に様々な要素の集合体である。全曲演奏には40分前後を要するのにまるで飽きることがないのは、その多様な音楽のおかげである。曲の長さは、第9番のたった12小節のものから、第15番の89小節や第17番の90小節といった長い曲まである。技巧的には、第12番や第16番のように最高の技術が必要なものから、比較的易しい曲までそろう。性格は、青春の憧れのような第1番、葬列のような第2番や第20番、激情の発露たる第18番や第24番。第13番の幸せな舟歌や第4番、第6番、第15番「雨だれ」などの雫。第7番には小マズルカとしてポーランド的要素まで。さらに、いつも寄り添うショパンカンタービレ・・・。それら全てを融合する鍵は、マヨルカの船旅や雨で流れる川などからの「水」のインスピレーションかもしれない。24曲が連続した有機的な演奏を聴くときの感動は計り知れない。

 

第1番ハ長調アジタート:まさに舞台の幕開き。 3声体を基本に揺れる和声。

第2番イ短調レント:ホ短調の和声から不明瞭な転調を経てイ短調に落ち着

第3番ト長調ヴィヴァーチェ:左が急速に伴奏オスティナートを奏し、右は伸びやかに歌う。

第4番ホ短調ラルゴ:左手が半音階的和声を下行しながら刻み、右手が溜め息をつく。

第5番二長調モルト·アレグロ:ポリリズムで始まり、微妙な陰影を生む急速な無窮動。

第6番口短調レント·アッサイ:チェロを愛したショパンのピアノでのカンターピレ。

第7番イ長調アンダンティ-ノ:瀟洒な小マズルカマズルカ3舞曲のうちの「マズル」。

第8番嬰へ短調モルト·アジタート:細かいフィギュレーションがメロディに絡む。

第9番ホ長調ラルゴ:大河のような歌。たった12小節の「大曲」の感興。

第10番嬰ハ短調モルト·アレグロ:即興曲のよう 雪崩のようなパッセージと小カデンツ

第11番口長調ヴィヴァーチェ:微細な和声変化や重音使用などがエレガントな表情を生む。

第12番嬰ト短調プレスト:左手の規則的な音型にのって上下行する右手の焦燥。

第13番嬰へ長調レント:優しきゴンドラの歌。中間部のほほ笑みと悲しみ。美しい。

第14番変ホ短調アレグロ:一転して嵐が訪れる。全曲がユニゾン

第15番変二長調「雨だれ」ソステヌートサンドによれば、マヨルカ島のヴァルデモサの修道院で、「ショパンは、屋根に落ちる雨だれの音の中で、涙を流しながら素晴らしいプレリュードを弾いていた」という。その曲だと言われているが、第6番説も。

第16番変口短調プレスト·コン·フォコ:静寂を突き破る導入に続いて、急速なパッセージが渦巻く。

第17番変イ長調アレグレット:幸せな無言歌。バス響に現われる11回の鐘の音も印象的。

第18番へ短調モルト·アレグロ:急速なパッセージと断ち切る強奏。激情と慟哭。

第19番変ホ長調ヴィヴァーチェ:優美。しかし3連音の開離和音は難しい。

第20番ハ短調ラルゴ:荘厳な和音による葬送行進曲の趣。

第21番変口長調カンタービレ:息の長い旋律をすばらしい和声の伴奏が支えるノクターン

第22番ト短調モルト·アジタート:激情する左オクターヴと右シンコペーションカプリッチョ風。

第23番へ長調モデラート:アラベスクのような右手の16分音符に、左手が徵妙に絡む。最後の未解決のEsは美しき不安

第24番二短調アレグロ·アパッショナート:力強い左の伴奏と右手の激烈な旋律とパッセージ。最後はDの最低音をffで3回叩いて英雄の末期を聴かせ、全曲を閉じる。

 

演奏の難所

この作品を1曲2曲単独で弾くときと、24曲全曲を弾くときとはまるで難しさが異なる。言うまでもなく全曲を弾く集中力と音楽力と技術力は相当高くなければならない。一方で、1~12番や13~24番などと前半や後半だけを弾くこと、1~8番、9~16番、17~24番など3分割の組所み合わせ、さらには1~4、21~24番など4曲での組み合わせで弾いても、相応の音楽的満足感が得られのることは、奇跡的である。技術的難しさでは、第12番、第16番は最高度に難しく、次いで第8番、第19番、第24番といったところも練習曲的要素を併せ持つが、単調にならないところはさすがにショパン。対位法的な難しさも第1番、第5番、第6番、第8番 などなど、随所にある。対位法が重要なのは、ショパンのほかの作品でも言えることだが、特にバッハへのオマージュでもある本作品で重要なのは当然であろう。

ショパン前奏曲集作品28⑪

前回に続き4曲ずつ個々の楽曲解説を試みる。個々の楽曲解説は今回が最終で、21番から24番まで。 参考にさせていただいたサイトは④に記載している。 

 

第21番 変ロ長調(B flat major) Cantabile、4分の3拍子、59小節

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13番同様ノクターン風の曲想。伴奏形が波を連想させる。左手はあくまでもlegatoで。

コルトーはこの曲を「告白の地への孤独な帰還(Solitary return, to the place of confession)」と、ビューローは「日曜日(Sunday)」と評した。

 

第22番 ト短調(G minor) Molto Agitato、8分の6拍子、41小節

左手のオクターブが暗い情熱を表すと共にかぶせるように右手で断片的なモチーフが奏され、切迫感を醸成する。後にスクリャービンがこの音型を採用している。

演奏上は、そうは言ってもあまり左手ばかりにならないように(と師匠に指摘されたことがある)。コルトーは「反乱(Rebellion)」、ビューローは「焦燥(Impatience)」と評している。的確である。

 

第23番 ヘ長調(F major) Moderato、4分の4拍子、22小節

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軽快な旋律を転調させて繰り返す。なお終止のアルペッジョの中に、ヘ長調の和音に含まれない変ホの音が入っており、のちの付加音の発想を連想させ、曲間の連携(連作感)が示されている。決して弾きやすい曲ではなく、指の都合で変なアクセントがついたりしないように注意。

コルトーは「戯れる水の精(Playing water faeries)」、ビューローは「遊覧船(A pleasure boat)」と評した。

 

第24番 ニ短調(D minor) Allegro appassionato、8分の6拍子、77小節

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左手の幅広い音域による低音部、右手の強烈な半音階は演奏至難。前奏曲集を締めくくる重厚かつ、激烈な作品である。

最低のD音を、三度、最強音で、鐘の如くに鳴らして終わる。左手でCとEの鍵盤を押して置き右手の拳で弾く人もいる。

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この曲は1944年のワルシャワ蜂起を描いた映画のエンディングで使われた。

コルトーはこの曲を「血と世俗的な快楽と死と(of blood, of earthly pleasure, of death)」と評し、ビューローは「嵐(the storm)」と評した。

ショパン前奏曲集作品28⑩

前回に続き4曲ずつ個々の楽曲解説を試みる。今回は17番から20番まで。

参考にさせていただいたサイトは④に記載している。 

 

第17番 変イ長調(A flat major) Allegretto、8分の6拍子、90小節

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温和な曲想で繋留音を多用している。 メンデルスゾーンの無言歌を思わせるが、当のメンデルスゾーンは「私はこの曲が好きだ。私には到底書けそうもない性質の曲だ」と述べたといわれる。

コルトーによればこの曲は「彼女が私に愛していると言った(She told me, "I love you")」、ビューローによれば「ノートルダム寺院の光景(Scene on the Place de Notre-Dame de Paris)」だそうである。

 

第18番 ヘ短調(F minor) Allegro Molto、2分の2拍子、21小節

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両手で弾かれるユニゾン(斉唱)はイタリア歌劇に影響されたといわれている。レシタティーヴォを思わせる。コルトーによればこの曲は「神の呪い(Divine curses)」、ビューローによれば「自殺(Suicide)」だそうである。

 

第19番 変ホ長調(E flat major) Vivace、4分の3拍子、71小節

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幅広い音域で(複数の)旋律を浮かび上がらせることが求められる。コルトーには鳥の羽ばたきと評されている。

実際には24曲中メカニカルに最も難しい曲である。

コルトーによればこの曲は「愛する人の下へ飛ぶ翼(Wings, wings, that I may flee to you, o my beloved!)」、ビューローによれば「心からの幸せ(Heartfelt happiness)」だそうである。

 

第20番 ハ短調(C minor) Largo、4分の4拍子、13小節

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コルトーに「葬送」と評されている。シンプルなコラールだが、ショパンらしい半音階的和声の進行があり、情感深い作品である。

後に、これに基づいて、フェルッチョ・ブゾーニが「ショパン前奏曲第20番による変奏曲とフーガ」を、セルゲイ・ラフマニノフが「ショパンの主題による変奏曲」を作曲している。

コルトーによればこの曲は「葬儀(Funerals)」、ビューローによれば「葬送行進曲(Funeral march)」だそうである。

ショパン前奏曲集作品28⑨

前回に続き4曲ずつ個々の楽曲解説を試みる。今回は13番から16番まで。

参考にさせていただいたサイトは④に記載している。

 

第13番 嬰ヘ長調(F sharp major) Lento、4分の6拍子、38小節

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ノクターン風の穏やかな曲。

コルトーは異国の地にて星降る空の下遠くにいる愛する者を思う(On foreign soil, under a night of stars, thinking of my beloved faraway)、ビューローは喪失(Loss)と評している。

 

第14番 変ホ短調(E flat minor) Allegro、2分の2拍子、19小節

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両手のユニゾンで三連符が連続する。形式的には変ロ短調ソナタの終楽章に類似しているといえる簡潔な曲。

コルトーはこれを「怖れ(Fear)」ビューローは「荒れた海(Stormy sea)」と評した。

 

第15番 変ニ長調(D flat major) Sostenuto、4分の4拍子、89小節

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有名な「雨だれの前奏曲」である。24曲中最も演奏時間が長い(5分程度)。「雨だれ」の描写は他調の曲でも行っているが、繋留音が異名同音でこれほどまでに清明変ニ長調)と暗黒(嬰ハ短調)の対比をさせる結果になっているのは本作だけである。比較的平易に演奏できるが、作曲技術の妙を感じさせ、ショパン前奏曲の代名詞のようになっている。なお、日本のテレビドラマ『大都会 闘いの日々』の第27話「雨だれ」(1976年7月6日放映)にも使用された。

コルトーは「だが死はここにある。影に(But Death is here, in the shadows)」、ビューローは「雨だれ」(Raindrop)と評した。

 

第16番 変ロ短調(B flat minor) Presto con fuoco、2分の2拍子、46小節

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音階を主動機にした右手声部とショパンに特徴的なリズムの左手低音部からなっている。途中にユニゾンがあり激烈そのものの曲想を盛り上げる。

「高速で演奏されて効果があがるだけに全24曲中でも最高の難曲」と評されるのをよく目にするが、この曲の難しさは音域の広さがあり、実は左手の動きも跳躍はあるものの複雑ではなく、まずは左手が右手の邪魔をしないようにすることで解決する。

コルトーによればこの曲は「深淵への落下(Descent into the abyss)」、ビューローによれば「冥界(Hades)」だそうである。

 

ショパン前奏曲集作品28⑧

前回に続き4曲ずつ個々の楽曲解説を試みる。今回は9番から12番まで。

参考にさせていただいたサイトは④に記載している。

 

第9番 ホ長調(E major) Largo、4分の4拍子、12小節

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付点リズムを多用した荘重な曲。しばしばこの付点リズムの奏法について議論されるが、ショパンは付点リズムを三連符と合わせることを意図した書き方をしており(実際、バロック時代はこのように演奏された)、それをどう解釈するかは演奏者によって異なる。コルトーはこの曲について予言的な声(Prophetic voices)、ビューローは展望/見通し(Vision)と述べている。

 

第10番 嬰ハ短調(C sharp minor) Allegro Molto、4分の3拍子、18小節

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高音から下降する動機とマズルカリズムのものとが対になって繰り返される。右手のフレーズは、ショパンが指示した運指では4の指を使う等、独特である。コルトーは地球に墜落するロケット(Rockets that fall back down to earth)、ビューローは夜の蛾(The night moth)と述べた。

 

第11番 ロ長調(B major) Vivace、8分の6拍子、27小節

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曲想は典雅で発想記号 (Vivace) の解し方が問われているが、決して速くではなく、活き活きと弾くというのが正しいと思う。

コルトーによればこの曲は少女の望み(Desire of a young girl)、ビューローによればトンボ(The dragonfly)だそうである。

 

第12番 嬰ト短調(G sharp minor) Presto、4分の3拍子、81小節

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ややヴィルトゥオーゾ的な曲。半音階的な旋律が手短にまとめられている。スラブ的。

コルトーによれば夜の騎行(Night ride)、ビューローによれば決闘(The duel)だそうである。

ショパン前奏曲集作品28⑦

前回に続き個々の楽曲解説を試みる。今回は5番から8番まで。

参考にさせていただいたサイトは④に記載している。

 

第5番 ニ長調(D major) Allegro Molto、8分の3拍子、40小節

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両手で半音階動機を織り交ぜたアルペジオが繰り返される無窮動曲。レガート奏法ながら左手の跳躍が激しく、また4の指が効果的に使われる。コルトーには「歌にあふれた木々(Tree full of songs)」と評され、ビューローには「不確かさ(Uncertainty)」と評されている。

演奏上のポイントは、決してメカニカルに単調にならないようにすること。内声を大切に。頻繁な色彩の変化も。

 

第6番 ロ短調(B minor) Lento Assai、4分の3拍子、26小節

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右手の和音の伴奏に乗って、低音部に陰々とした主題が歌われる。練習曲25-7同様、明らかにチェロである。長いフレーズ感はきわめて重要であり易しくはない。

この右手の伴奏形からジョルジュ・サンドはこの曲を「雨だれ」としている。

ショパンの葬儀の際に第4番と共にオルガンで演奏された。コルトーはこの曲を郷愁(Homesickness)、ビューローは鐘の音(Tolling bells)と評した。

 

第7番 イ長調(A major) Andantino、4分の3拍子、16小節

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歌謡風の主題が印象的で単独でもよく知られた小品。日本では太田胃散のCMに使用され、よく知られるようになった。アルフレッド・コルトーには「心に芳香の如く漂う想い出(Sensational memories float like perfume through my mind...)」、ビューローにはポーランドの踊り子(The Polish dancer)と評されている。後に、フェデリコ・モンポウがこの主題に基づいて「ショパンの主題による変奏曲」を作曲している。

同じ和音が3回ずつ連打されるが、この弾き方にセンスが問われる隠れた難曲である。

 

第8番 嬰ヘ短調(F sharp minor) Molto Agitato、4分の4拍子、34小節

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ヴィルトゥオーゾ的な曲。フランツ・リストによりこれもまた雨だれの様子を描写したと評されている。右手の付点リズムの中のアルペジオと左手声部の広い音域を抑える3連符は技巧を要するが、何より重要なのはソプラノであり、32分音符はこの上なく軽く均一に。バスのラインも。

コルトーはこの曲について、雪が降り風が吹きすさび嵐が荒れ狂うが私の寂しい心には嵐ほど見たくないものはない(The snow falls, the wind screams, and the storm rages; yet in my sad heart, the tempest is the worst to behold)と述べ、ビューローは絶望(desperation)と評している。

ショパン前奏曲集作品28⑥

今回から個々の楽曲解説を試みる。今回は1番から4番まで。

参考にさせていただいたサイトは④に記載している。

 

第1番 ハ長調(C major) Agitato、8分の2拍子、34小節

前奏曲集の第1曲として如何にも前奏曲あるいは序曲的な色彩の強い曲。

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左手の三連符に導かれ、右手で待ちこがれるような(コルトーはこの曲を「愛する人への熱き予感/期待(Feverish anticipation of loved ones)、ハンス・フォン・ビューローは「再会(Reunion)」と評した)旋律が歌われる。ショパンが尊敬するJ.S.バッハ平均律クラヴィーア曲集第1巻第1曲を彷彿とさせる(のは当然なのだが)。

この曲はバスのラインももちろん重要で、四声体として演奏しなければならない。何気なく弾き流さず、立体的な音楽をつくることを心がける。ショパンならではの転調を色彩の変化豊かに表現するのも言わずもがなである。

 

第2番 イ短調(A minor)Lento、2分の2拍子、23小節

息の長い旋律が、刺繍音を多用したバス上に歌われる。

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イ短調であるがドミナントホ短調で始まり、転調を繰り返しながら最後の最後でイ短調に収束する。コルトーはこの曲を「痛切な瞑想、遠くの荒れた海(Painful meditation; the distant, deserted sea...)」と評し、ビューローは「死の予感(Presentiment of death)」と評した。

左手は大きければ楽に弾けるというものではなく、ボイシング(voicing)が出来ていないと単なる象の行進みたいに単調になってしまうので注意。

 

第3番 ト長調(G major) Vivace、2分の2拍子、33小節

小川のささやきと評される(コルトー:The singing of the stream)軽快な曲である。

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左手の16分音符のパッセージはよどみなく弾きたい。軽快さ・快活さ(Vivaceなので)を失うことなく、決してペダルに過度に頼らないように。そのためには指の独立と柔らかな手首の動きのコーディネーションは欠かせない。決してやさしくはない。

ちなみにビューローは「汝は花の如し(Thou Art So Like a Flower)」と評した。

 

第4番 ホ短調(E minor) Largo、2分の2拍子、26小節

単調な右手の旋律を左手の半音階的に転調する和声が支えている。この転調がショパンならではの見事なもの。繊細な色彩の変化が難しい。

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作曲者の葬儀の際、第6番と共にルイ・ジェームズ・アルフレッド・ルフェビュール=ヴェリーがオルガンで演奏した。コルトーには「墓場の上に(Above a grave)」と評され、バローには「息苦しさ(Suffocation)」と評されている。

 

ショパン前奏曲集作品28⑤

ショパン前奏曲集作品28は難曲である。

ショパンが作品10と作品25の練習曲集を発表した当時、あまりに難しいという批判を浴びたし、実際に古今東西のピアニストにとっても難曲であることは間違いない。

カニカルな面だけをとっても、ショパンの作品の美しさを発揮させるために必要な「完全なる脱力」を様々な角度で試す曲が揃っているからである。

(逆に言えば脱力ができていれば10-2も25-6も10-1も25-8も難曲ではなくなる)

人によると、あまりに練習曲集が難しいので、メカニカルに易しい、弾きやすい曲をということで前奏曲集作品28を作曲したと解釈している向きもあるようだが、果たしてショパン自身本心からそれを狙って作曲したのであろうか。

自分にはとてもそうは思えない。ショパンほどの作曲家、そしてショパンの性格を考えるに、第一の目的である音楽世界の構築以外のことを優先するような配慮があるとは考え難いのである。

この曲集は24曲で一つの音楽的宇宙を構成しているという意見に賛同する。

24曲の1曲1曲がひとつの世界、それも極めて性格の異なる曲からなる多様性を有する世界。そして24曲が有機的な関連性を保って互いに影響しあっている。

これを実際に演奏するには何が求められるか。単なるメカニックではない。

もし1曲ずつ完結するのであれば、たとえば1番のようにあっけなく終結することはなく、2番につながるからこそシンプルに曲を終えるということもあろうし、各曲の中で大きな抑揚をつけるより、曲の性格を弾き分けること。

何曲か(2曲、4曲、8曲)のまとまりを波長が異なる波として表現することも求められるであろう。個々の曲の中であまりに起伏をつけ過ぎては重過ぎる。異なる波長の波を感じてどう振幅を持たせるか。

どの音楽でも重要な「方向感」を緻密に計算しつつも、ショパンが最も重要視していたという「即興性」を失ってはならず、そしてなにより40分前後にもなるこの大曲を聴衆が疲れず飽きず、この壮大な世界に没入させる。

そして1曲1曲は決して一つたりとして「簡単」ではない。16番、19番、24番に限った話ではない(むしろ音楽的には16番は易しい方であろう)。

そしてこれを実現するには、決してメカニカルなことが一切障害となってはいけない。すべての曲をeffortlessに弾けることが最低限の前提となっているのである。

やはり大変な曲であることは間違いない。そして取り組み甲斐もあるというものだ。

ショパン前奏曲集作品28④

今回は楽曲解説。個々の曲については次回以降にゆずる。

既にこの曲(曲集)については多くの方々が解説を書かれているので、この記事ではそれらの情報を「いいとこどり」させていただき、よりコンプリートなものにしたいと思う。

なお、個々の事実の確認については、それぞれの著者の方々に敬意を表しそのまま使わせていただいているが、折を見てできるだけ原典に近い資料をあたり、適宜アップデートしていきたいと考えている(これからもずっとこの曲とは付き合っていくので)。

 

なお、参考にさせていただいたのは以下のウェブサイトである。

 

作曲年: 24の前奏曲作品28は、1839年1月にマジョルカ(Majorca)島で完成した。完成の時期はユリアン・フォンタナ宛の手紙によって確認できるが、着手の時期については明らかでなく1831年から1838年まで諸説ある。が、1836年が通説とされている。英語版Wikipediaでは1835年からとなっている。ショパンは1838-1839年にかけてパリの鬱陶しい天候を避けるため恋人のジョルジュ・サンドと彼女の子供たちと共にマジョルカ島のヴァルデモッサ(Valldemossa)僧院に滞在し、ここでもいくつかの曲は作曲されたともされる。

 

出版・献呈: 出版は1839年の9月になされ、フランス版はピアノ製作者であり出版業者でもあるカミーユプレイエル(Camille Pleyel)に、ドイツ版は作曲家でありピアニストであるヨゼフ・クリストフ・ケスラー(Joseph Christoph Kessler)に献呈された。プレイエルは作曲依頼の報酬として2,000フラン(現在の価値にして約3万米ドル)を支払ったといわれる。

 

構成: 24曲がすべて異なる調性で書かれているが、これはJ.S.バッハ平均律クラヴィーア曲集に敬意を表したものといわれる。曲の配列は、ハ長調 - イ短調 - ト長調 - ホ短調 …と平行短調を間に挟みながら5度ずつ上がっていくという順序になっている。ラフマニノフスクリャービンショスタコーヴィチも後に同様な前奏曲集を創作している。

アンコールピースとして個別に演奏されることもあるが、現在ではむしろ24曲全体で一つの作品と考える考え方が主流であり、全曲通して演奏されることが多い。

各曲の特徴: 曲想は、ほとばしる感情をむき出しにするものもあれば、優雅さや穏やかな心を感じさせるのもあり、全曲通して聞いていても聴衆に単調さを感じさせない。演奏時間は全曲通して35分程度。

 

編曲: 1912年にジャン・フランセが管弦楽用に編曲している(カール・アントン・リッケンバッハー指揮、ベルリン放送交響楽団(ベルリン放送交響楽団の前身)による録音がある)。

 

ショパン前奏曲集作品28③

これでショパン前奏曲集作品28については3日連続で書いているが、いろいろ調べていると次々にいままで知らなかったことが出てくるのでいつまでも続きそうである。

早稲田大学比較文学研究室編による比較文学年誌(2016年)に、中島国彦という方が、「幽冥の世界への前奏曲堀辰雄ショパン「二十四の前奏曲」研究をめぐって~」という論文が目に止まった」。

(なぜこのような論文が目に止まったかというと、毎日様々な分野の情報を幅広くアンテナ高く収集できるコンサルタントとしての能力を駆使しているからである)

堀辰雄といえば、「風立ちぬ」で知られる作家であるが、彼がこの作品28を非常に好み、彼の作風にも影響を及ぼしているということは想像だにしていなかった。

具体的には、「菜穂子」という作品に反映されているというのである。

村上春樹1Q84がバッハの平均律に直接影響を受けているように。

これは「菜穂子」を読まねばならない。