コンサルタント=ピアニスト=ランナーはきょうも語る

現役経営コンサル兼ピアニストがランニングと仕事術とピアノと英語とかについて語ります

井上ひさしさんの言葉

戦略コンサル時代の友人で、今は学者としてまた政策プロデューサーとして八面六臂の活躍をしている彼が先日SNS座右の銘のひとつとして井上ひさしさんの言葉を引用していた。

むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをおもしろく
おもしろいことをまじめに
まじめなことをゆかいに
そしてゆかいなことはあくまでゆかいに

「むずかしいことをやさしく」だけでも言うは易く行うは難しであるが、コンサルタントはまずこれができなければならない。
そしてこれには上記のように続きがあるのである。

これを自分の仕事に当てはめてみると、やるべきことが見えてくる
むずかしいことをやさしく、とは、複雑な事業環境のダイナミクスの本質を捉え、テクニカルな言葉ではなく、相手に判ることで説明する。
そして、その判りやすい説明は実に含蓄の深いものでなければならない。すなわち、単に単純化したことや、ありきたりのパターンではなく、洞察が無ければならない。
そしてその洞察を、決して批判的になったりしないよう、相手に興味関心を持ってもらうように伝える。
かといって奇を衒ったりするのではなく、あくまで真摯に誠実に伝えるのである。
さらに言えば、それを伝えることで相手も自分もハッピーになれるように。もっともっとハッピーになれるように。

これは音楽においても(演奏でも作曲でも)言えることだと思う。

井上ひさしさんの言葉はやさしくふかくそしてとてもおもしろい。

SFの新たなジャンルを築いた名作

自分にとってSF(サイエンス・フィクション)は単なるエンターテインメントを超える意味を持っている。
今も現代の我々に勇気を与える名言「人間が想像できることは人間が実現できる」と言ったのは確かH.G.ウェルズだと思ったが、SFは人間のイマジネーションのフロンティア(最前線)であり、物理学の進歩に欠かせない仮説の構築にも資するし、新たなテクノロジーの生みの親ともなっている、人類の進歩をドライブするものであるとみなしてもいる。

雑誌kotobaの2017年秋号の特集には、各界の有識者が読むべき10冊をそれぞれ挙げているが、SFについては書評家の大森望さんが、「SFの新たなジャンルを築いた名作の本棚」として、必読の名作10冊を挙げている。
自分はこの中のいくつかは読んでいるが、読んでいないものもあり、早速Amazonで購入して読んでいる。

以下、大森さんが挙げた珠玉の10冊である。特に「あなたの人生の物語」は読んでみたい。

フランケンシュタイン』メアリ・シェリー著、森下弓子訳(創元推理文庫)
https://amzn.to/2G5dPZX
ホラーと思われがちだが、実は科学技術の暴走を描く近代SFの嚆矢(こうし)。

『地球の長い午後』ブライアン・W・オールディス伊藤典夫訳 (ハヤカワ文庫SF)
https://amzn.to/2S6KtPz
変貌した遠未来世界を幻視し、椎名誠貴志祐介にも影響を与えた。

『タイムマシン』H・G・ウェルズ著、池央耿訳(光文社古典新訳文庫ほか)
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時間旅行という古来の人類の夢に“航時機”という形を与えた。

『結晶世界』J・G・バラード著、中村保男訳(創元SF文庫)
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外宇宙から内宇宙への転進を説くニューウェーヴSF提唱者の代表作。

幼年期の終わり』、アーサー・C・クラーク著、池田真紀子訳(光文社古典新訳文庫ほか)
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異星人とのファースト・コンタクト、人類の進化のヴィジョンを描く。

ニューロマンサーウィリアム・ギブスン著、黒丸尚訳(ハヤカワ文庫SF)
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ブームを起こし、現代SFのモードを変えたサイバーパンクの頂点。

ソラリススタニスワフ・レム著、沼野充義訳(ハヤカワ文庫SF ほか)
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人間に理解できない異質な知性をリアルに構築し、SFを革新した。

万物理論グレッグ・イーガン著、山岸真訳(創元SF文庫)
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宇宙のすべてを説明する究極の科学理論がもたらす衝撃の未来。

あなたの人生の物語テッド・チャン著、浅倉久志ほか訳(ハヤカワ文庫SF)
https://amzn.to/2G4o2G0
現代SFの頂点を極める短編集。表題作は映画「メッセージ」原作。

『闇の左手』アーシュラ・K・ル・グィン著、小尾芙佐訳 (ハヤカワ文庫SF)
https://amzn.to/2JyVtRX
両性具有の異星人との旅を通じ、性差と異文化を正面から考察する。

常識を疑え

常識とは何か。
一般的に正しいとみなされること。
知っていて当たり前とされること。
そう。常識はまず知っていなければならない。
その上で疑ってみる。
ただし、ただ否定するだけではない。
なぜそれが常識なのかその理由を理解することだ。
皆がそう言うからそうなのだ、では単なる思考停止にとどまる。
常識から言って不可能とされること、あり得ないとされることにこそチャンスがあるとまず仮説を構築する。
新たな価値は常にそこが起点である。
この姿勢を貫きたい。

青春欲

mixiでつながっているアマチュアピアノ仲間の間では、連日コンクール準備や挑戦(予選参加、本選参加)の書き込み(つぶやき、日記)が百花繚乱である。
昨日、その仲間の一人がつぶやいた。

「きょうはみんな青春してるんだろうなー」

彼は今年はコンクールに参加せず、来年「青春する」のだそうだ。

そんなやり取りをしていて、「そうか、みんな青春したいんだ」とはっと気づいた。

ピアノに限らない。

目下自分が通っているジムでは、トレッドミルで走ったり、ボート(water rower)を漕いだり、フロアでダンベル使ったトレーニングや体幹レーニングをやっているが、一人でやるのとちがい、周りががんばっているので自分もがんばれるし、「ヒュー」「わー」「おー」などと掛け声をかけたり、まるで部活のノリである。

それぞれ痩せたいとか体力付けたいとか美ボディになりたいとか目的はあるのだろうけど(自分の場合は脳を活性化したいのと、ワークアウト後の爽快感と集中力の高まり、そしてスリ筋を求めている)、共通してあるのは「青春したい」なのではないだろうか。

そう。そしてこれを「青春欲」と名付けた。

世の中「大人の~」などと名付けた習い事が数々あるが、いまひとつダイレクトに青春力を充足するサービスとして成熟していないように思う。
昨年、20年ぶりに本格的に英語を習ったが、これも実は「青春したい」からではなかったかと思う。
ゴルフとかではだめなのだ。マスターズ陸上とかマスターズ水泳とかどうも「年寄りの冷や水」的で青春とは程遠いイメージがある。

なんかこう、アンチエイジングとかフレイル防止とかといった打算なく一生懸命何かに打ち込む感じ、が欲しい。

これは新規事業ネタとして真剣に考えたくなってきた。元同僚の新規事業のプロと議論してみることにする。年内の事業化を目指して。

イツァーク・パールマン

NHKパールマンのドキュメンタリーやってた。指揮者、ピアニスト、バイオリニスト、声楽家、数々の音楽家を子供の頃から聴き目にしてきたが、誰に最も心惹かれたかといえばパールマン。彼のメンコンとチャイコンを上回る演奏に出会ったことはない

ビリージョエルとのセッションは殊に震える。天才はジャンルを超える。

アルゲリッチとのバッハのソナタもいい✩°。⋆⸜(*˙꒳˙* )⸝

「美しい音が出せる人と出せない人の違いは何か。それは聴こえるか聴こえないかだ。」蓋し名言である。

やはり自分は本当にバイオリンが好きなんだと思った。

目の疲れを防ぐには

ここ数週間、2つプロジェクトを回しておりプレイングマネジャーであるため、自分で情報収集し分析している。コンサルタントを1人つけてはいるが、それでも自ら目を通しExcelPowerpointを作成しているので、かなり目に負担がかかっている。
裸眼で視力もいいのだが(視力検査では1.0-1.2)、おそらく現時点では0.5-0.6に落ちているだろう。
そんな時にはどうするか。
できるだけ目薬には頼らないようにしている。
なるべくスマホやPCを使わず、目をつぶって構想を考え、書くことが決まってからPCに向かう。
それともう一つ。無理に焦点を合わせないようにする。
さらには、長時間作業を続けない。
TVもみない。
ゲームもやらない。
ピアノの練習はできるだけ目を閉じてやる。
現代人は目を酷使し過ぎなのである。
ロービジョンも増えていると聞く。
休めることが大切。
これも大切な仕事術。

【読書メモ】クリエイティヴィティ

仕事、ピアノ、筋トレ、ランニング、すべてにおいて圧倒的な質と生産性向上が見込まれるフロー体験についてさらに研究すべく、
原典とされる本を読んでみた。

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クリエイティヴィティ : フロー体験と創造性の心理学
図書 M.チクセントミハイ 著, 浅川希洋志 監訳, 須藤祐二, 石村郁夫 訳. 世界思想社, 2016.10

この本の第5章「創造性のフロー」に、フロー体験に共通する(アスリート等へのインタビューに基づく)9つの要素が挙げられている。
1.過程のすべての段階に明確な目標がある
2.行動に対する即座のフィードバックがある
3.挑戦と能力が釣り合っている
4.行為と意識が融合する
5.気を散らすものが意識から締め出される
6.失敗の不安がない
7.自意識が消失する
8.時間間隔が歪む
9.活動が自己目的的になる

いずれも納得のいく要素であるが、では実際にこれらすべてが実現している状況というのは極めて稀であろうこともよくわかる。
音楽などでは特に9.が重要かもしれない。たとえばコンクールで演奏する場合、結果がどうなろうとそんなことは演奏中は一切考えず、演奏という行為そのものを楽しんでいる状態である。
仕事でもそうだ。本当に集中し一切の雑念なく、自分の力量をちょうど発揮でき、「間違えたらどうしよう」などという不安もない状態。そして時の経つのも忘れ没頭している。これであればとてもクリエイティブな仕事ができるであろう。
常にできるだけこれに近い状態でいたい。どんな瞬間でも。

ゾーンに入るにはどうするか

コンサルという仕事上、毎日のように提案書やプレゼン資料を作成している。
一つ一つが非定型の完全カスタマイズであり、また作業報告や分析結果の羅列に終わってしまっては当然いけないし、独創的な発想やフレームワークインサイト(洞察)が常に求められる。

独創的な発想やフレームワークは、様々な情報から帰納的に得られるものではない。かといってゼロ/無から生まれるものでもない。
こういう順番で考えれば出てくるというシステマティックなものでもない(もしそうなら既にその時点で独創的なものとなる可能性はかなり低くなる)。
制約にとらわれずとも制約を意識した、自由だけれども最終的には形に成るような思考が求められる。
何か公式のようなものに頼るというのは、その時点で既に「さぼっている」のである。
一方で、脳という臓器は、認知科学専門の研究者によると、常に高いエネルギー消費状態にあり、したがって如何に省エネするかを追求しているのだそうだ。
人間がはっきり白黒つけたがったりなど両段論法に走ったり、決めつけたりするのは、とても生理学的に理にかなっていることなのである。
外資系戦略コンサルファームに務めていた頃、大先輩のパートナーから、「コンサルタントの仕事というのは、脳が最も苦手なこと、嫌がることをやることだ」と言われたことがあるが、まさにそのとおりである。

このような前提のもとで、「これだ!」というようなアイデアを捻りだすにはどうすればいいか。
いわば脳がゾーン入ったような状態、あるいは「フロー体験」状態で、次から次へとアイデアが出、進化し、まとまっていくような状態。

自分がやっていることは2つある。
1つは、問題を切り分けることだ。提案書を作る作業も、すべてが独創的である必要はなく、構成を決めるとか、パーツのひとつひとつを作るとか、ブレイクダウンしていく。そして、本当に新たに考えださなければならない箇所をどんどん絞っていき、独創的な作業の障害となる、非独創的な作業を(アイデアが出てこない際に)どんどん進めていってしまう。こういう仕事はどちらかというと一日の後半にやった方がいい。
もう一つは、体を動かすことだ。歩くことでもいいし、走ってもいいし、筋トレでもいい。足裏の刺激は脳を活性化させるというし、そもそも血流が良くなるというのもいいらしい。走っている最中は時間密度が高く、脳の回転も速くなる気がする(これは科学的な根拠ではなく自分の仮説)。
いずれも十分条件ではなく必要条件だが、少なくとも自分のようにインサイトを出すことをずっと訓練してきた人間にとっては、「思いつける」「整理できる」と信じているし、それができないとすれば阻害要因が除去できていないからだと考えることにしているからこそできることかもしれない。

仕事ではなくピアノでもスポーツでもそうだが、何の素地もなく、また何の努力もせずゾーンに入れる訳ではない。まずはゾーンに入れるような状況を創り出すことだ。基本動作ができていること、より良いものを生み出そうという熱意がありまたその方向に向かって精一杯努力すること。

この本はアスリートに関するものだが、自分と同じ考えを持っている著者が書いており、考えを整理するのに参考になった。

すぐやる力 やり抜く力: 潜在能力が目覚めすべてが驚異的にうまくいく「フロー体験」を起こす技術 (単行本) 単行本 – 2017/7/28 児玉 光雄 (著)
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老後2,000万円について思うこと

最近話題になった金融庁のレポート。
金融庁の責任者が退任に追い込まれることで、事態としては収拾をつけようとしているようだが、忘れられている、或いは言及されない本質が三つある。

一つ目は、経済的な人生設計が難しくなっていること。

二つ目は、生活水準の高低のこと。

三つ目は、そもそも100歳まで生きるのは難しいということ。
我々が考えるべきことは「いくらあればいいか」ではなく、本質を見据えることだ。