ピアノの師匠はコンサートピアニストであり音大で教鞭をとる若い方なのですが、毎回適切なアドバイスをいただけるのでとても勉強になります。
一昨日、約2ヵ月ぶりのレッスンでした。
レッスンに持っていったのは3曲:
バッハ平均律2巻16番(新規)
平均律のフーガはどんなに弾ける人でも一声ずつ練習するのは鉄則ですが、その真の意味は「能動的に聴く」ことが目的です。
モノフォニーでもポリフォニーでも音楽は歌うことが基本です。
しかしピアニストはピアノという楽器がキータッチだけで簡単に音が出てしまう、複雑になると音を追うことに気をとられてしまう、また縦の線を合わせようとすべく横のラインがおろそかになってしまう、などなど「聴きながら歌う」ことが蔑ろにされる落とし穴がいくつもあります。
落とし穴にはまると、音楽としてぎこちない、不自然なものになってしまい、感動するものとは程遠いものになります。
演奏しながら意識して聴けるのはせいぜい2声までです。
一声を取り出し、徹底的に歌えるように弾きます。このときあくまでも最初にその楽節をどういうアーティキュレーション、デュナーミクで弾くか完全に設計できていることが前提です。
そして指からでも腕からでもなく、また一音ずつでもなく、フレーズ全体の流れを一つの信号群として大脳から発し音楽にするのです。能動的に聴くことには、この信号発生と再現、およびその結果としての音の一群の当初の信号群設計に対するフィデリティの検証までが含まれます。もちろん身体の物理的な動きの情報も含まれます。
ピアノの練習とはつまるところこのフィデリティを向上させることつまりフィデリティ欠損要因の特定と除去のプロセスであり、同じフレーズを反復しているように外からは見えても、自分の心身においては確実にフィデリティは上がっていきます。
この小さなフィデリティ向上を実感できれば、ドーパミンが分泌され練習意欲が高まる。
ポジティブフィードバックです。
能動的に聴くことで記憶が確かなものになる。本番で暗譜が落ちることもなくなる。
後戻りが無いので練習時間が短縮つまり生産性が高まる。
しかし能動的に聴くことの意義はこれまで非生産的な時間を費やしてきた結果として腹落ちしたのかもしれません。
だとするとこれまでの経験も決して無駄ではなかったとも言えます。
やっと出発点にたったということかもしれません。