仕事では後進やクライアントに対して、ピアノでは仲間に対して、互いの成長を促すのに必要なこと、いや最も重要なことは「ほめる」ことであると認識している。
そして、ほめることは「技」である。
ここでいう「ほめる」とは「おべっか」「お愛想」とは全く異なるものである。
ただし共通していることはあり、それはほめた相手が決して気分を害しないことである。あくまでも基本的には。
へたなおべっかやへたなお愛想を言えば(仮に言った側に悪意はなくとも)、相手が気分を害することもある。
こちらが本当に相手の良いところだと思ってそこをほめたつもりが、「えっ そこ?」(てことは他は悪いってことか)と思われることも実にしばしば見受けられる。
そう。ほめることは決して簡単なことではないのだ。
では、正しいほめ方の「技」とはどういうものか。そのエッセンスをお伝えしたい。
大きく3つある。
1番目は、対象とする行為への理解である。
2番目は、ほめる相手への理解である。
3番目は、言葉に対する感受性である。
1番目、対象とする行為への理解とは、その行為が如何なるタスクであれ、目的を達成する手段であるから、その目的が何かわかること、それを達成する手段の適切さとどこが難しいかがわかることである。これらができていないことは容易に的外れなほめ方になる。特に、どこが難しいのかわからないと、相手がその難しさを克服しているか否かが見えない。ピアノで言えば、ffの華麗なパッセージなどより、ppで美しく響かせたり、立体的で色彩感溢れる演奏をする方がはるかに技術的に困難なのである。
2番目、ほめる相手の理解である。自分が見たときの行為がいつもより上手く行っているかいないか、すなわち実力の度合を理解していないと、本人にとっては極めて不本意な出来だったかもしれない。たとえ初めて見聞きしたとしても、その人の本来の力を見抜く洞察力がないと、ほめることは適切ではないかもしれないのだ。
3番目、言葉に対する感受性である。1番目と2番目が出来ていたとしても、不適切な表現を用いたら元も子もない。ほめるべきポイントが正しいとしても、そしてそのポイントが典型的なものだとしても、いつも定型文を使えば良いというものではないのはコミュニケーションでsる以上当然である。その場その場での相手の心情を理解することと、どういう表現をすれば良いのかを判断できるだけの、言葉に対する感受性は日頃から磨いておかねばならない。
かくも、ほめるということは一朝一夕にできるようになるものではない。
ほめ方でその人の能力が露呈する。
たとえばコンクールの審査をして講評を述べたり書いたりする立場のプロは、同時に講評される側から評価されるということでもある。
正しくほめられたいと思うのは、何か道を志す者なら誰しも思うことであろう。
脳科学者には、正しくほめることの効果を正しく検証し、学習効果、成長の促進効果をぜひ解明していただきたいと思う。