4/1(月)11:30過ぎのこと、日本国民(の多く)が待ち望んだ、来月1日改元にあたっての新元号が菅官房長官から発表された。
令和(れいわ)である。
元号としては初めて、中国の古典ではなく日本の古典である萬葉集からの引用とのことで、日本経済新聞によるとこうある:
令和は万葉集巻五、梅花の歌三十二首の序文、「初春の令月にして気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭(らん)は珮(はい)後の香を薫らす」から引用した。
ここにある「万葉集巻五、梅花の歌三十二首の序文」というのは、「万葉集全解2
(巻第4・巻第5・巻第6) 多田一臣 訳注. 筑摩書房, 2009.5)から全文を引用すると・・・と思ったが旧字が多く変換が手間なので省略。
この書の解説に、令月とは好き月、とある。が、「令和」という単語が使われている訳ではない。
そもそもこの梅花の歌三十二首とは、この好き(よき)月である正月の十三日に、大宰府で行なわれた宴において大宰府の官人など三十余名が、梅の花を題材に詠んだ歌を集めたものとされている。
解説には、「一堂に会する者は言葉を忘れるほどに打ち解けあい、雲霞の彼方に向かって心を解き開く。淡々と心のままに振る舞い、快い状態でそれぞれが満ち足りている。」とこの序文の中段は意味している、とある。
日本が、いや世界がこのような状態になることは想像し難いのであるが、せめて新元号にはこのような理想を描いてもよいのではないかと少しこの新元号を評価したいと思った。
今思い出したが、従兄弟が国文学者で、万葉集の権威であった。
明日にでも電話してこのような解釈でよいのか聞いてみようと思う。もう十年以上話していないこともあり良い機会である。