コンサルタント=ピアニスト=ランナーはきょうも語る

現役経営コンサル兼ピアニストがランニングと仕事術とピアノと英語とかについて語ります

コンサルの技シリーズ⑤攻めのファシリテーション

連載5回目の今日は、プロのコンサルタントの重要なスキルとして、今回はファシリテーションを取り上げる。

ファシリテーションは「促す」という意味であり、ビジネスの文脈では会議において参加者が意見を述べる、アイデアを出すことを促すということになるが、そもそもコンサルがファシリテーションをする会議では、それらは単に方向性に過ぎない。

会議には必ず目的、達成すべきゴールがあるのであって、目的を果たす、ゴールを達成するものでなければならない。目的はあることに関する意思決定であったり、何らかの結論を出すことにある。そしてその意思決定や結論は容易には得られないものであるが故に、プロがファシリテーションを行なう意味がある。

この意味を明確にするために、あえて「攻めの」と冠している。

攻めのファシリテーションを成功させるには、勝負は会議の前から始まっている。会議のアジェンダを設定すること、参加者を選定すること、日時を決めること、議論に必要な材料を用意すること、これができていることが前提となる。また場合によっては参加者に事前準備を行なわせる必要もある。

攻めのファシリテーションの基本は、ファシリテーションの基本に加えて以下の3点をバランスさせることであるというのが自論であり実践している:

1 収束と発散

2 提示と展開

3 エネルギーの低い状態と高い状態

まるでバッハのフーガのようであるが実際そうなのである。

コンサルの技シリーズ④expectation management

シニアな(駆け出しではない)コンサルタントにとって最も重要かつ難度が高いことは何かと聞かれたら迷わずexpectation managementと答える。

expectation managementとは何か。

期待値マネジメントである。

期待値とは、クライアントの、コンサルティングプロジェクトの成果物の水準(ここで品質と言わないことに注意。品質という言葉にはプロジェクトマネジメントの世界において厳密な定義がある)の「認識」である。

そしてそのマネジメントとは、クライアントの、コンサルタントとしてコントロールすることが困難な期待値という対象を、限られたプロジェクトリソース(時間、人など)の制約で如何に裏切らないどころか、期待値を超えるか、という行為である。

こう説明するだけでも、「そんなことが可能なのか」と思われるだろう。

実際、ベテランのコンサルタントでもこの期待値マネジメントに賛同しない人も存在するぐらいだ。

しかしできないことをできないと言い、できるといったことはしっかりやって成果を出し客にその価値を認めてもらうのはコンサルに限らずプロフェッショナルとしての鉄則である。

コンサルタントは下僕でもなければ奴隷でもないし、魔法使いでも神でもない。

また、クライアントの期待値をマネジメントするとは、クライアントに対して不誠実であることではない。むしろ逆である。

この意味が判ってこそ一流である。

自分もこの意味を理解するのに五年はかかった。

この文章だけで本質が理解できる人はかなりコンサル適性が高いと言える。

コンサルの技シリーズ③クライアントを叱りつける

これは最高難度のスキルである。コンサルタントとして。

しかし実は最も求められることの一つである。

叱りつけるとは単なる憂さ晴らしでもあら捜しでもない。

あなたがコンサルタントであるとして、どうクライアントを叱りつけますか?

そしてそれによりクライアントの利益を向上させられますか?

どういう言葉を使いますか?

どのタイミングでそれを実行するのが最適ですか?

ハイリスクな行為です。あなたは自信を持って実行できますか?

それを再現性をもって実行できますか?

そしてその結果に責任を持てますか?

今回は答は言いません。

なぜなら一般解は存在しないからです。

それは単に表現とタイミングではなく、あなたとクライアントの関係にも大きく依存します。

今回は最も高度な問いかけかもしれません。

しかし一流ならそれができるのです。

じっくり考えるに値します。

コンサルの技シリーズ②MECE

コンサルもしくはコンサルを志す人なら知らざるでは済まされないキーワードはMECE

先日、ある物知りを自認する勉強家の社長にMECEと言ったら「何ですかそれ?」と聞かれたので説明したが、実はあまり一般的ではないかもしれない。

一流とされるコンサルファームの一員ですら、MECEが何であるかはもとよりなぜMECEが有効なのか説明できるものは少ないであろう。

MECE=mutually exclusive collectively exhaustive

文字通りには互いに排反集合的に包括的(完全)という意味である。イメージとしてはジグソーパズルだ。どの一つのピースも欠かせず決して重なることなく全体として一つの完成形を構成する。

言うは易し。これだけ理解しても意味はない。

確かに有効な考え方ではある。理想的には。理論的には。

コンサルタントはDD(デューディリジェンス)の質問項目を作成したりアンケート設計を行なうことが多いが、この際は作業の効率性を担保しつつ目的を達成すべく、MECEすなわち「モレなくダブりなく」は鉄則である。

だが実際のビジネスにおいて何が完全を意味するかが壁として立ちはだかる。

何をもってexhaustiveとするか?

それがexhaustiveであることをどう立証するか?

これにどう答えるかでコンサルとして一流か否かが試される。

まさに今日ある企業の社長との議論でそれが問われ、3つのフレームワークを提示した。

一流のコンサルなら瞬間芸でそれができて当然である。しかもその場で。

それはたとえばステイクホルダーでありバリューチェーンでありアンゾフでありPLでありこれらをその課題にいかに組み合わせて適用するかである。

一日十万歩80km歩いたよ

きのうはfitbitフレンズ仲間で流行っている神チャレ(1日10万歩)に挑戦!

そして達成!

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朝1時に起き、2時に自宅を出発。目指すは葛西臨海公園。距離は36km。

 

7時間ほぼ休まずに歩き、9時に葛西臨海公園に到着。練馬→豊島→新宿→文京→千代田→中央→江東→江戸川と8区を横断。英語のスピーチを聴きながら歩いた。

 

葛西臨海公園の観覧車はデカイ!

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新木場のコメダで栄養補給。シロノワールはミニサイズを注文。

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新木場から7km北上しスカイツリーを目指す。スカイツリーは近く見えて遠い!

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真下に来てみた。やはりその大きさは圧巻。デザインは?だが。

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スカイツリー駅から東武線1駅乗って浅草へ。

ここから伝法院通りを抜けて上野へ。途中にまめぞうくんがいた。

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上野公園から芸大を抜け本郷へ。本郷キャンパスはいつもどおり静寂である。五月祭でまた来る予定。

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本郷三丁目から春日を抜けて後楽園駅ビルでラーメンをいただく。塩分が不足していたので美味かった。

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自宅最寄り駅4つ前で降りて最後の12,000歩をラストスパート。

筋肉痛とまめが痛むが一歩一歩踏みしめる。

そして自宅手前で計算どおり100,000歩超えた。

この達成感は何物にも変えがたい。

人間として大きく成長した。

 

コンサルの技シリーズ①売上予測(成熟事業編)

コンサルの必須基本動作であり熟練に限りが無く手腕が問われる技はなんといっても売上予測である。

成長戦略策定においても、M&Aや事業承継の助言(事業価値評価)においても、売上予測は必須であり最も難しい。

成熟した事業ならまだしも、萌芽期にあるスタートアップ(ベンチャー)となると格段に難度が上がる。

今回はある程度成熟した事業について述べる。

事業環境(外部および内部)特性を的確に把握することが大前提である。

その上で、おさえておくべき基本は:

1 トップダウンボトムアップ

2 楽観/悲観/成行シナリオ

3 外部要因と内部要因(施策)

の場合分け、因数分解である。

1は、まずトップダウンとは市場規模推移とシェアから算出する最もシンプルな方法。この場合、戦う市場セグメントを特定すればあとは(データ収集の容易さは市場により異なるが)比較的単純作業である。一方、ボトムアップとは、事業単位あるいはブランド/製品/サービス/顧客別(事業によりどれを軸とするかは異なる)別に過去から直近までの推移をもとに来期以降の売上ドライバを特定し外挿(ドライバーに応じ)する。事業によっては数年先或いはそれ以上の売上がほぼ見えているものもある(医薬品など)ので、その場合中期予測(3ー5年)はボトムアップの方が確度が高い。トップダウンボトムアップは双方を突き合わせ、乖離が大きい場合は事業環境の理解に基づき修正する。

2は、統計分布に考えると、最も起こりやすいのが成行(最頻値とすべきだが統計分布で考える場合には厳密性を欠いても平均値と捉えても実際上は問題はない)、楽観と悲観は平均値を中心にアップサイドを盛り込んだのが楽観、ダウンサイドを盛り込んだのが悲観と考える。統計分布で説明するのはあくまでもイメージであって、実際にはアップサイドもダウンサイドも、事業の運営者(経営者)がコントロールできる要因を特定し、それら要因に対する施策と施策の売上インパクトを算出した上で、経営資源の制約の範囲内で成行に加えたものがそれぞれの売上シナリオ(ケース)となる。要因には必ず不確実性が存在するので、不確実性を可能な限り定量化し、共線形性や同時発生確率も考慮した上でアップサイドとダウンサイドを定量化することが望ましい。不確実性とそのインパクトの定量化にはたとえばトルネード・チャートのようなツールもある(Google先生に聞くといろいろ解説が出てくるので参照されたい)。重要なのは、楽観と言っても根拠のない楽観ではなく、悲観と言ってもリーマン・ショックのような事象を想定するものではない(ちなみに外国人に「リーマン・ショック」といっても通じないので、global financial crisisと言いましょう)ことに注意する。

3は、2と関連するが、特に自社の能力・資産・資源でどこまでできるかを特定するのがコンサルタントの腕のみせどころである。どの企業、どの事業にも、自社の組織能力を高めることでかなりの売上・利益改善の余地があり、一流のコンサルタントを起用することで「成行」を大きく超える業績を上げることができる。ただし、それはあくまでもアップサイドである。そしてそれは内部要因にカウントできる。

おわかりかと思うが、2の「楽観」にしても3の「内部要因」にしても、誰が見るかによって変わってくるということだ。見る人がみれば他の人から見て(特にその事業の当事者から見て)不可能なことも、十分に実現可能なものとなるということだ。教科書やビジネススクールではこれに触れない。というより、一般論としてこれを述べることはむしろ適切ではないから教科書やビジネススクールではそう言えないだけであり、実際には可能なのである。

即戦力採用において企業がすべきこと

最近よく見かけるTVCMに「即戦力なら〇〇」というのがある。

企業の人材採用において、即戦力をタイムリーに確保できることは言うまでもなく重要だが、日頃クライアント始め多くの企業の社長や役員の方々と話していると、そもそも即戦力確保において企業が考えるべきことやるべきことについて一言言わねばならない。

論点は大きく3つある。

1. そもそもなぜ即戦力がいま必要なのか

・・・新たな取組を行なうために必要なケイパビリティが社内に無く、かつ内製すべきでしかも喫緊である、というのならば真っ当な理由である。ところが実際には、「内製すべき」という点において合理性が弱い場合がある。基本的に内製主義の強い日本企業には多く見られる。

・・・あるいは、キーパーソンが突然辞職してしまい(慰留したがその甲斐もなく)、オペレーションが回らなくなっている、という事態である。

 

2. 即戦力を採用したとして即戦力になるのか

・・・これが実は3つの論点のうち、最もクリティカルな論点である。比類なき特筆すべき能力(~をやらせたら世界一)という技術者を幸運にも採用できたはよいが、この手の技術者は往々にして(というよりかなり高い確率で)"maverick"(一匹狼)であり、しかも我々コンサルタントや事業会社の管理職からしたら信じ難いほど社会人としての基本動作ができていないことがある。時間を守る、メールには返事をする、といった小学生でも教わるようなことができない人が実際にいる。しかし圧倒的な能力を持っているからそれでも前職までは周りがそれに合わせ我慢してきたのだが、転職した先でもそうとは限らない。著しくチームワークを阻害する。組織というものは一匹狼を揃えればよいというものではない。結局組織も本人も不幸になり、せっかく確保した「有能な」人材を失うことにもなりかねない。

・・・かなり有能な経営者でも、このような重大なリスクを見逃しているか、気づいてはいても、この重大なリスクのマネジメントを自分が直接マネージできていないことがある。このような重大なリスクはトップマネジメントのアテンションが不可欠だ。手を抜いてはならない。

 

3. 今後即戦力採用を不要にできないのか

・・・1と2はあるあるなのでそんな苦労をするぐらいならそもそもの人材マネジメントの基本を徹底しろということだ。人を育てること、パフォームさせること、居続けてもらうこと、そもそもこれらができていないから即戦力採用などという文句に惑わされるのだ。

 

以上。

グローバル化は死語

日本企業は未だ「グローバル化」を標榜する向きが多いように見受ける。経営の定性目標として掲げることは正しい。なぜならグローバル化すべきであるし、それら企業はグローバル化できていないからだ。

問題はグローバル化の本質を捉えて標榜しているか否かである。

海外に営業販売拠点を設立するとか現地企業とJVを組んだり、或いは海外企業を買収するといった形式ではない。

グローバル化とはグローバルな世界観を持つことである。その上で自らの立ち位置を相対化する。

既に多くの賢明な経営者が気づいているとおり、欧米大企業は経営戦略のベンチマークには必ずしもならない。日本は日本らしさを追求すればいい。無理して世界に合わせることはない。

 

日本は迷ってはいけない。自らの強みを正しく認識し磨くことだ。

英語の勉強をする時間があるなら温故知新よ。

日本の産業競争力も然りだ。あえて競争を避けよ。日本人が求めるものを正しく認識せよ。

ガラパゴスでよい。日本市場は十分に大きい。信じる道を行くのだ。迷うな。

 

ただし繰り返すが世界を正しく認識せよ。既にさんざん言われていることだ。アクションあるのみ。

 

なぜあえてではここでこの主張をするのか。それはいわゆるデジタルエコノミーが決して喧伝されている表面的なものではなく、企業のオペレーティングメカニズムを問うものだからである。脅威を認識せよ。顕在潜在の競合の脅威だけではない。消費者の変化だ。行動の変化。産業財企業であれば顧客の顧客の変化に刮目することだ。

まじめとは

時折「まじめにやれ!」という表現を目にする。近年は少なくなったような気もするが、奮起させるときに使う表現としてはまだ一般的ではないだろうか。

ところで、「まじめにやる」というのはどういうことか共通理解はあるのだろうか。

言った側と言われた側の理解が異なっていたら、この表現の意味は損なわれる。

まじめに(真面目に)とは、辞書をみると:

「本気であること。うそや冗談でないこと。まごころを込めること。誠実なこと」

とある。

この定義に従うと、「まじめにやれ!」という側の認識としては、そういう前提として、言われる側が(子供だったり生徒だったり弟子だったり部下だったりするだろう)「本気出してない」「冗談で(ふざけて)やっている」などということになる。

しかしもし言われる側がこれ以上できないくらい全力を出していたらどうなのか。ただの罵倒にしかならない。パワハラモラハラものである。

 

しかし一方で、「まじめ」というのは実際には上記の定義のように、好ましい意味で用いられるとは限らない。

「まじめだね」と言われて褒められた気がする人はいるだろうか。

 

このように、「まじめ」とは人に対して使うにはどの意味で使っても難しいものなのであろう。いってみれば難度Eの表現である。相当熟練した日本語の使い手でなければ使ってはならない。

 

これだけはほとんどの人に対して言えるだろう。「まじめに日本語能力を磨きなさい」と。

我々は多元宇宙に住んでいるのか(The Economist動画を翻訳)

多元宇宙は自分にとって今関心の高いテーマの一つです。

The Economistは科学技術においても優れた記事を書いていますが、YouTube動画に多元宇宙について解説したものがありましたので、それを翻訳付き(Google翻訳を修正しました)で記載します。

動画はこちらです:

www.youtube.com

 

以下、原文と翻訳です。

 

It has long been thought that our universe is all there is, but it is possible we may live in just one of many.

長い間、私たちの宇宙(universe)がすべてであると考えられてきたが、私は多くの宇宙のうちの一つの宇宙に住んでいるに過ぎない可能性がある。

 

When the ancients looked into the night sky they thought the heavens revolved around the earth and mankind. over the centuries this view has changed radically.

古代人が夜の空を見たとき、彼らは天が地と人類の周りを回っていると考えた。何世紀にもわたってこの見方は根本的に変わった。

 

We discovered we lived on a planet orbiting a star within the solar system and the solar system was found to be part of the Milky Way galaxy. Later we learned that our universe was filled with billions of other such galaxies - but could it be that we're committing the same error as our ancestors by thinking the universe contains everything there is? Could it be that we live in a multiverse?

私たちは、太陽系内を周回する惑星の一つに住んでいることを発見し、さらに太陽系は銀河系の一部であることを発見した。その後、私たちの宇宙は何十億もの銀河を含むことを学んだ。しかし、宇宙はすべてを含むと考えることによって、私たちの先祖と同じ誤りを犯すことになるのだろうか?果たして私たちは多元宇宙(multiverse)に住んでいるのだろうか?

 

There are a number of different theories about what the multiverse could be. One proponent of the idea of the multiverse is Dr Tegmark of MIT. Dr Tegmark suggests a four fold  classification of possible types of multiverse. The first type of multiverse is just an extension of what we already know our universe expanding into infinity rather than ending at the limits of our vision.

多元宇宙が何かについて、いくつもの理論がある。ひとつの主張はMITのTegmark博士によるものだ。Tegmark博士は多元宇宙を4つに分類している。第一の種類の多元宇宙は、私たちの宇宙の単なる延長であり、私たちが視ることのできる限界を超えて無限に広がってくものだ。

 

We can look back almost to the beginning of time to the edge of the observable universe, but we can see no further. So the space beyond that distance known as the Hubble radius is literally out of sight. But that doesn't mean there isn't anything there.

観察可能な宇宙の端まで視ることによって、ほとんど時の始まりに振り返ることができるが、私たちにはそれ以上視ることはできない。その距離(ハッブル半径)を超える空間は、文字通り私たちの視界から外れるが、だからといってそこに何もないことを意味しない。

 

Because the expansion of the universe has stretched space, astronomers are able to see out to a distance of about 42 billion light years. How far things extend beyond this is unknown. If they stretch to infinity there could be numerous isolated universes cut off from one another by their own Hubble radius - depending on the observers vantage point.

宇宙の拡大が空間を拡大するため、天文学者は約420億光年の距離を見ることができるが、これを超えてどこまで広がっているかは不明だ。宇宙空間が無限に拡がるならば、観察者の立場に応じて、孤立した多数の宇宙が観測者自身のハッブル半径によって互いに切り離されている可能性もある。

 

To understand the second type of multiverse in Dr Tegmark system it is first necessary to understand how the universe was formed and the theory of inflation. It was first conceived of by Alan Guth in 1979 and then later refined and expanded upon by Andrei Linde who had some key insights.

Tegmark博士の理論における、第二種の多元宇宙を理解するには、まず宇宙がどのように形成されたか、そしてインフレーション理論を理解する必要がある。それは1979年にAlan Guthによって最初に考案され、その後、いくつかの重要な洞察を有するAndrei Lindeによって洗練され拡張された。

 

This is one of the ideas of string theory which attempts to unify general relativity with quantum mechanics. The thinking is that all of the solutions produced by string theory that don't match up with what we can see in our own universe, may actually represent reality in other universes.

これは量子力学一般相対性理論を統一しようとするひも理論のアイデアのひとつだ。私たちの宇宙で観測可能なものと一致しないひも理論によって生成されたすべてのソリューションが、他の宇宙で実現されているという考え方が。

 

The anthropic principle is the idea that our universe is fine-tuned to allow humans to live. A small fiddle with  the strength of gravity for example and life as we know it would not exist - a coincidence that does not sit easily with scientists. The concept of a multiverse neatly addresses this problem within the infinite number of universes that could exist we are simply living in the one we are able to.

人間原則(anthropic principle)は、私たちの宇宙が人間が生きるために最適化されているという考えだ。たとえば重力を少しでも変えたら我々は存在することができなくなるのであり、科学者にとってこの偶然は不自然な条件である。多元宇宙の概念はこの不自然さを、存在する可能性のある無数の宇宙の一つの宇宙でこの条件が満たされるとみなすことで解決する。

 

In the third type Dr Tegmark multiverse in the first the laws of physics are the same from one to another. In this type though the component universes are separated not by distance but by time. At every moment within such a multiverse all of the possible futures allowed by the uncertainties of quantum mechanics actually happen.

第三種の多元宇宙では、どの宇宙でも物理法則は同じだが、異なる宇宙は空間ではなく時間によって隔てられている。あらゆる瞬間において、量子力学の不確定性が存在を許容する宇宙が実際に存在するとする。

 

In the many worlds theory of the multiverse the entirety of the universe acts like the quantum photon, but instead of having two potential future states, every possible outcome would be manifested so our entire universe and everything within it, including you, would be constantly undergoing multiple visions into daughter universes - each with its own reality and future. Any given observer though would only see one outcome.

多元宇宙の多世界理論では、宇宙全体が量子フォトンの如き挙動を示すが、2つの潜在的状態ではなく、すべての可能な結果が現れるため、私たちの宇宙全体とその中の全てのもの(自分を含む)は、常にそこから生まれる次の宇宙への複数の視野を有する。そして、いかなる観察者はただ一つの結果しか視ない。

 

In the final classification, the level 4 multiverse, Dr Tegmark proposes that all coherent mathematical systems describe a physical reality of some sort. Those different systems are of necessity different universes. What this last idea translates to in practice is hard to conceive of - it is more the province of metaphysics than physics, but the other three types of multiverse though they push the bounds of physical theory do not overstep them. Observational data supporting the theory of inflation have convinced some scientists that a multiverse is possible - but the idea is still controversial.

最終分類である第四種は、すべてのコヒーレントな数学的システムがある種の物理的現実を記述するものであるとTegmark博士は主張する。これらの異なるシステムは、必然的に異なる宇宙です。このアイデアを実際に理解するのは困難であり、物理学ではなく形而上学の領域だが、他の3つのタイプの多元宇宙は物理学の限界を押し進めるものではあってもそれを超えるものではない。インフレーション理論を支持する観測データに基づき、多元宇宙が可能であると主張する科学者もいるが、これは依然議論の余地がある。

 

It may be impossible to ever directly observe the multiverse but some scientists hope to eventually gather enough data supporting the theories that predict it to one day confirm its existence. If that were to happen, like the ancients before us, we would be given a whole new perspective on how the cosmos works and on our place in it.

多元宇宙を直接観察することは不可能かもしれないが、科学者達はいつかその存在を裏付ける理論を支持する十分なデータを収集することを望んでいる。それが実現した暁には、私たちは、古代人のように、宇宙の仕組と私たちの存在について全く新しい見方を得ることだろう。