コンサルタント=ピアニスト=ランナーはきょうも語る

現役経営コンサル兼ピアニストがランニングと仕事術とピアノと英語とかについて語ります

青春欲

mixiでつながっているアマチュアピアノ仲間の間では、連日コンクール準備や挑戦(予選参加、本選参加)の書き込み(つぶやき、日記)が百花繚乱である。
昨日、その仲間の一人がつぶやいた。

「きょうはみんな青春してるんだろうなー」

彼は今年はコンクールに参加せず、来年「青春する」のだそうだ。

そんなやり取りをしていて、「そうか、みんな青春したいんだ」とはっと気づいた。

ピアノに限らない。

目下自分が通っているジムでは、トレッドミルで走ったり、ボート(water rower)を漕いだり、フロアでダンベル使ったトレーニングや体幹レーニングをやっているが、一人でやるのとちがい、周りががんばっているので自分もがんばれるし、「ヒュー」「わー」「おー」などと掛け声をかけたり、まるで部活のノリである。

それぞれ痩せたいとか体力付けたいとか美ボディになりたいとか目的はあるのだろうけど(自分の場合は脳を活性化したいのと、ワークアウト後の爽快感と集中力の高まり、そしてスリ筋を求めている)、共通してあるのは「青春したい」なのではないだろうか。

そう。そしてこれを「青春欲」と名付けた。

世の中「大人の~」などと名付けた習い事が数々あるが、いまひとつダイレクトに青春力を充足するサービスとして成熟していないように思う。
昨年、20年ぶりに本格的に英語を習ったが、これも実は「青春したい」からではなかったかと思う。
ゴルフとかではだめなのだ。マスターズ陸上とかマスターズ水泳とかどうも「年寄りの冷や水」的で青春とは程遠いイメージがある。

なんかこう、アンチエイジングとかフレイル防止とかといった打算なく一生懸命何かに打ち込む感じ、が欲しい。

これは新規事業ネタとして真剣に考えたくなってきた。元同僚の新規事業のプロと議論してみることにする。年内の事業化を目指して。

イツァーク・パールマン

NHKパールマンのドキュメンタリーやってた。指揮者、ピアニスト、バイオリニスト、声楽家、数々の音楽家を子供の頃から聴き目にしてきたが、誰に最も心惹かれたかといえばパールマン。彼のメンコンとチャイコンを上回る演奏に出会ったことはない

ビリージョエルとのセッションは殊に震える。天才はジャンルを超える。

アルゲリッチとのバッハのソナタもいい✩°。⋆⸜(*˙꒳˙* )⸝

「美しい音が出せる人と出せない人の違いは何か。それは聴こえるか聴こえないかだ。」蓋し名言である。

やはり自分は本当にバイオリンが好きなんだと思った。

目の疲れを防ぐには

ここ数週間、2つプロジェクトを回しておりプレイングマネジャーであるため、自分で情報収集し分析している。コンサルタントを1人つけてはいるが、それでも自ら目を通しExcelPowerpointを作成しているので、かなり目に負担がかかっている。
裸眼で視力もいいのだが(視力検査では1.0-1.2)、おそらく現時点では0.5-0.6に落ちているだろう。
そんな時にはどうするか。
できるだけ目薬には頼らないようにしている。
なるべくスマホやPCを使わず、目をつぶって構想を考え、書くことが決まってからPCに向かう。
それともう一つ。無理に焦点を合わせないようにする。
さらには、長時間作業を続けない。
TVもみない。
ゲームもやらない。
ピアノの練習はできるだけ目を閉じてやる。
現代人は目を酷使し過ぎなのである。
ロービジョンも増えていると聞く。
休めることが大切。
これも大切な仕事術。

【読書メモ】クリエイティヴィティ

仕事、ピアノ、筋トレ、ランニング、すべてにおいて圧倒的な質と生産性向上が見込まれるフロー体験についてさらに研究すべく、
原典とされる本を読んでみた。

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クリエイティヴィティ : フロー体験と創造性の心理学
図書 M.チクセントミハイ 著, 浅川希洋志 監訳, 須藤祐二, 石村郁夫 訳. 世界思想社, 2016.10

この本の第5章「創造性のフロー」に、フロー体験に共通する(アスリート等へのインタビューに基づく)9つの要素が挙げられている。
1.過程のすべての段階に明確な目標がある
2.行動に対する即座のフィードバックがある
3.挑戦と能力が釣り合っている
4.行為と意識が融合する
5.気を散らすものが意識から締め出される
6.失敗の不安がない
7.自意識が消失する
8.時間間隔が歪む
9.活動が自己目的的になる

いずれも納得のいく要素であるが、では実際にこれらすべてが実現している状況というのは極めて稀であろうこともよくわかる。
音楽などでは特に9.が重要かもしれない。たとえばコンクールで演奏する場合、結果がどうなろうとそんなことは演奏中は一切考えず、演奏という行為そのものを楽しんでいる状態である。
仕事でもそうだ。本当に集中し一切の雑念なく、自分の力量をちょうど発揮でき、「間違えたらどうしよう」などという不安もない状態。そして時の経つのも忘れ没頭している。これであればとてもクリエイティブな仕事ができるであろう。
常にできるだけこれに近い状態でいたい。どんな瞬間でも。

ゾーンに入るにはどうするか

コンサルという仕事上、毎日のように提案書やプレゼン資料を作成している。
一つ一つが非定型の完全カスタマイズであり、また作業報告や分析結果の羅列に終わってしまっては当然いけないし、独創的な発想やフレームワークインサイト(洞察)が常に求められる。

独創的な発想やフレームワークは、様々な情報から帰納的に得られるものではない。かといってゼロ/無から生まれるものでもない。
こういう順番で考えれば出てくるというシステマティックなものでもない(もしそうなら既にその時点で独創的なものとなる可能性はかなり低くなる)。
制約にとらわれずとも制約を意識した、自由だけれども最終的には形に成るような思考が求められる。
何か公式のようなものに頼るというのは、その時点で既に「さぼっている」のである。
一方で、脳という臓器は、認知科学専門の研究者によると、常に高いエネルギー消費状態にあり、したがって如何に省エネするかを追求しているのだそうだ。
人間がはっきり白黒つけたがったりなど両段論法に走ったり、決めつけたりするのは、とても生理学的に理にかなっていることなのである。
外資系戦略コンサルファームに務めていた頃、大先輩のパートナーから、「コンサルタントの仕事というのは、脳が最も苦手なこと、嫌がることをやることだ」と言われたことがあるが、まさにそのとおりである。

このような前提のもとで、「これだ!」というようなアイデアを捻りだすにはどうすればいいか。
いわば脳がゾーン入ったような状態、あるいは「フロー体験」状態で、次から次へとアイデアが出、進化し、まとまっていくような状態。

自分がやっていることは2つある。
1つは、問題を切り分けることだ。提案書を作る作業も、すべてが独創的である必要はなく、構成を決めるとか、パーツのひとつひとつを作るとか、ブレイクダウンしていく。そして、本当に新たに考えださなければならない箇所をどんどん絞っていき、独創的な作業の障害となる、非独創的な作業を(アイデアが出てこない際に)どんどん進めていってしまう。こういう仕事はどちらかというと一日の後半にやった方がいい。
もう一つは、体を動かすことだ。歩くことでもいいし、走ってもいいし、筋トレでもいい。足裏の刺激は脳を活性化させるというし、そもそも血流が良くなるというのもいいらしい。走っている最中は時間密度が高く、脳の回転も速くなる気がする(これは科学的な根拠ではなく自分の仮説)。
いずれも十分条件ではなく必要条件だが、少なくとも自分のようにインサイトを出すことをずっと訓練してきた人間にとっては、「思いつける」「整理できる」と信じているし、それができないとすれば阻害要因が除去できていないからだと考えることにしているからこそできることかもしれない。

仕事ではなくピアノでもスポーツでもそうだが、何の素地もなく、また何の努力もせずゾーンに入れる訳ではない。まずはゾーンに入れるような状況を創り出すことだ。基本動作ができていること、より良いものを生み出そうという熱意がありまたその方向に向かって精一杯努力すること。

この本はアスリートに関するものだが、自分と同じ考えを持っている著者が書いており、考えを整理するのに参考になった。

すぐやる力 やり抜く力: 潜在能力が目覚めすべてが驚異的にうまくいく「フロー体験」を起こす技術 (単行本) 単行本 – 2017/7/28 児玉 光雄 (著)
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老後2,000万円について思うこと

最近話題になった金融庁のレポート。
金融庁の責任者が退任に追い込まれることで、事態としては収拾をつけようとしているようだが、忘れられている、或いは言及されない本質が三つある。

一つ目は、経済的な人生設計が難しくなっていること。

二つ目は、生活水準の高低のこと。

三つ目は、そもそも100歳まで生きるのは難しいということ。
我々が考えるべきことは「いくらあればいいか」ではなく、本質を見据えることだ。

経営者は育成できるのか

いまドライブしているプロジェクトのお題は「経営人材育成」である。
超大手企業からの依頼である。
経営人材育成は、自分が知る限り、業種や規模を問わず、どの企業にとっても重要な経営課題である。

このお題を解決するにあたって、まずどう論点を設定するかだ。
最初の、そしてもっとも重要な論点は、そもそも「経営人材」とは何か、である。この定義が明確になること無しに次には進めない。

気を付けなければいけないのは、経営人材を育成できたとして、その経営人材があたかも一人で事業を経営できるかのような状況を想定してはならない。

経営はチームで行なうものである。たとえ個人経営で一人でやっている事業であっても、果たしてその経営者=従業員がすべて一人で「経営」してうまくいくものだろうか。

自分の考えは、経営人材とは事業の成功に必要な資源を調達し適切に配分できること、そのためには事業の成功の必要十分条件を刻々と変化する事業環境の変化を適切かつ適時に察知しあるいは予見し、適応できることが必要だ。

このような人材を座学で育成できるものではないし、修羅場を経験させると言っても、では経営人材として求められるものが例えば「自信」や「胆力」であったとして、その修羅場で自信や胆力が身に着くとも限らない(そのような修羅場を特定するもの難しい)。

ではどうするか。
まず、誰でもが経営人材になれる訳ではないことをまず認識することが先決である。
本人に意欲や決意があること、適性があること、そしてスキルセットをある程度の水準で満たしている人材を選抜する。
この段階で初めて、経営者として派遣するなど実戦経験をさせる。

実戦経験を積むことで、あらためて自分に不足しているスキルが明確になり、そのうちのいくつかは座学で身につけることができるだろう。

このような学習プロセスを回すことによってしか経営人材は育たない。

動的平衡と企業戦略

以前の投稿でも取り上げたが、生物学者福岡伸一氏の「動的平衡:生命はなぜそこに宿るのか」を仕事の必要で読んだが、これは数年ぶりに出会った良著だ。
あらためて企業戦略への示唆について考えを述べてみる。

動的平衡というのは実は自分の分野でも常に考えていることだが、その概念をモデル化し数式でわかりやすく説明する能力は科学者の範であると思う。

生命は合成より分解により力を注ぐ。それはエントロピーの増大つまり死へ向かう方向に抗うためであると。

企業も生命体である。戦略とは事業環境(外部環境、内部環境、あわせて3C(Company, Customer, Competitor)を的確にかつ適時に把握し適応するためのインテリジェンスである。

そして、外部環境と内部環境の間には実は明確な境界はなく、企業は開かれた系(システム)であり、そして外部環境も内部環境も刻々と変化し、したがって常に揺らいでいるのであって、企業の存在というのは動的平衡を保たなければならないものである。

生命は合成より分解により力を注ぐということを企業にあてはめて考えると、合成というのを既存事業の拡大であったり新規事業領域への進出と考えた場合、分解というのは捨てること、壊すことである。

戦略とは捨てることである、というのが持論であるが、動的平衡を保ち死を免れるためには、捨てることにより企業は力を注がなければならなないということにもなる。

そして、実際に捨てることは難しい。認知バイアスというのがそこに働くし(今持っていないものを得られないことより、今持っているものを失うことを人間は恐れる)、既得権益というものがあるからだ。

筋トレしながら計算

知的生産性向上のため、週4~5でジムに通っている。
オレンジセオリーである。
フロアでのトレーニングは、ダンベルを使ったりコア(体幹)だったり、セットで行なうが、10回とか12回とか20回とか繰り返すことが多い。
普通は1,2,3,4,...と自分で数えるが、ふと、「これではつまらないな」と思った。
そこで、フィボナッチ数列F_nを思いついた。
ちなみにF_n+1=F_n+F_n-1(n=1,2,3,4,...; F_0=0, F_1=1)である。
1,1,2,3,5,...と続くので最初は楽だが、その後8,13,21,34,55(10番目)と増え方が加速し、20回まで数えると6765になる。
筋トレはゆっくりやる方がよいので、これぐらい数が大きい方がむしろ良いのである。
バリエーションとして、累乗というのもやってみた。
2の自然数乗である。
2,4,8,16,64,...,1024(10番目)なので10回の繰り返しまでは楽である。が、20回となると2^20=1,048,576なのでかなり時間をかけることになる。
3の自然数乗となると、3^20=3,486,784,401なので、周りからみるとかなりゆっくりやっているように見えるだろう。負荷もかかってよい。
自分を追い込みたい方におすすめである。