コンサルタント=ピアニスト=ランナーはきょうも語る

現役経営コンサル兼ピアニストがランニングと仕事術とピアノと英語とかについて語ります

人工知能モノ映画2本はいい

少しSF的な思考実験になりますが、ではコンピューターが急速に進化する一方で、人類は進化しないのでしょうか。もちろん徐々に進化はしているかもしれませんが、個人としてはもちろん、組織として、社会として、人類として進化しないのでしょうか。

ダーウィンの進化論によれば、個体の進化は突然変異で起こるものであり、人間の場合個体の繁殖はウィルス等微生物に較べて桁違いに長く、20~30年の感覚を要しますし、さらにその個体が増殖し種として進化するにはさらに長い年月を要します。これ自体指数関数的な動きではありますが、その速度をみると、技術的特異点はわずか30年後に到来することになっていますから、生物学的な個の進化を待っていてはとても人工知能に太刀打ちできません(必ずしも人工知能に対抗する必要もないかもしれませんが仮に競走だとした場合です)。だとすると、人類が進化、少なくとも人類を人類たらしめる(他の地球上の生物との違いにおいて)である知性(知能に限定するものではありません)を、従来よりもはるかに速く高めなければなりません。

2014年7月に米国で公開(日本公開はその翌月)された映画「ルーシー(Lucy)」はご覧になられたでしょうか。Lucyとは人類学上最初のヒトとされる、アフリカの猿からとった題名ですが、リュック・ベンソン監督、スカーレット・ヨハンソン主演のこの映画の主題では、最初のヒトから現代人への進化がラストの部分で走馬灯のように描かれ、主人公ルーシーは新種の麻薬CPH4(仮想の薬)を誤って大量に摂取してしまった結果、通常では10%しか使われていない(これには異説が出ています)脳が活性化することで、自らの身体・精神のみならず他人をも、さらに外界のエネルギーをもコントロールすることができるようになり、「超人的な」存在となる、というストーリーです。映画ですから過剰な演出や論理的に短絡的な部分はもちろんあるとしても、人類進化の仮説としてはきわめて興味深いとおもいます。特に興味深いのは、これまでSFで描かれていた超人とは異なり、自分以外の存在に働きかけ、コントロールできるという点でしょう。このような存在が複数いや多数存在し、互いに影響を及ぼしあうことができたらどうなるのでしょうか。

ここまで突飛でなくとも、モバイル・コミュニケーションがスマートフォンウェアラブル・デバイスが多機能化・高性能化し、かつ従来に較べ格段に使い易くなったことによって、音声(通話)のみならず静止画も動画も、またテキストベースのチャットやメッセージ送受信が容易になりまた日々の生活や業務に浸透してきたことによって、かつて2000年頃のIT革命(実際には革命ではなかった)の頃に言われていたことの多くが実現し、かなりconnectedな世界になっていることは事実です。個人のネットワークもFacebook等によりconnectedな範囲が拡大し、peer to peerのバーチャル組織があまねくところにできている時代になりました。これはITという新たな道具(かつて人類が二足歩行になり、最初は石器という道具を得たことで大きく進化したように)と類似性があるところかもしれません。

また、技術的特異点を題材とした映画に、トランセンデンス(Transcendence、2014年、米英中共同製作)という映画があるのはご存じの方もいらっしゃるとおもいます。実は、スティーブン・ホーキング博士人工知能の進化は危険だと表明したのも、この映画を博士がご覧になったからだという話もありますが、技術的特異点への到達を目指して人工知能を開発していた気鋭の研究者である主人公(ジョニー・デップ)が、人工知能を脅威とみなす過激派の凶弾に倒れるものの、妻の手により人工知能として蘇って驚異的な進化を遂げ、この人工知能は人間を治療するナノマシンを創り出してさらに人間を強化して人工知能が意のままに操る(ネタバレになるのでこれ以上は割愛します)・・・という筋書きです。もちろんSF映画ですが、人工知能がここまで進化した現在においては、単なるSFと片づけられないリアリティが感じられます。これは人工知能に人間が一方的に支配されるのでもその逆でもなく、人工知能と人間の間で考えられる相剋や、人間が人工知能とどういう関係を築くべきか、という論点に対するひとつの思考実験として面白いと思いますし、映画を見た上で、これ以外のシナリオや脅威、そして可能性を考えてみることがとても有意義であろうと思います。