目下手掛けている曲は、バロック(バッハ平均律2巻16番、2週間前に開始)、古典(ベートーヴェンソナタ第29番作品106「ハンマークラヴィーア」第4楽章)、ショパン(エチュード作品25の5)、近代(ラベル=ギンジン:ラヴァルス、ドビュッシー:エチュード「四度の為の」、シマノフスキ:セイレーンの島、スクリャービン:ピアノソナタ第7番「白ミサ」)、現代(ストラヴィンスキー春の祭典第1部ピアノ2台版のプリモ、カプースチンの練習曲作品40第3番)、それにコンチェルト(シューマンの3楽章)とアマチュアピアニストとしては禁じ手の曲ばかり10曲もやっているので無謀と思われていることは明白ではあるのですが、そんなことは百も周知で、ちゃんとアナリーゼをしてレッスンも受け、またこのうち半数はコンクールの予選で弾き予選通過をしているのであながちもはや無謀とも言えなくなっていると思います。
真剣に取り組むほど、ピアノの演奏には「ねばならない」が増えてきます。
たとえば、9日後に公開レッスンを受ける予定のショパンエチュード25-5ですが、これには現時点で自分のアナリーゼとレッスンで指摘を受けたことだけで以下の「ねばならない」があります:
- 3部形式A-B-A'の構成でAとA'はあくまでもscherzandoでリズミカルに
- 冒頭はp。いきなり強く弾かないようにAとA'は基本的にペダリングは控えめにしなければならないが旋律が途切れないようにしなければならない
- Aは両外声が表情豊かに決して角張らずに響くように弾かねばならないAとA’の左手のアルペジオは中間の音を軸に手首の円滑な水平回転運動でセンス良く弾くこと。決して親指にアクセントがつかないように弾くべき
- ショパンは同じ主題を決して同じように弾いてはならない。Aで出現する主題4回はすべてアーティキュレーション、性格を変えて弾かねばならない
- Aの中間のdolceは大切。しっかり表情を変えること。しかも唐突感がないように
- いま使っているコルトー版は基本的にはよいが、デュナーミクは決して上向=クレシェンドでないことに留意すべき
- AとA’は正確な3拍子が基本だが、自然なルバートは必要
- 親指が沈み込まないように注意。付け根から打鍵することが徹底できていなければならない
- ソプラノを強調し過ぎようとして決してたたかないこと。置くのが基本
- 一つの和音の中のバランスに常に留意すること。右手がクレッシェンドするのに左手がしないのも不自然
- Aの終盤の跳躍はゴールを明確にまっすぐに向かうこと。また同じような感覚、弾き方を3回繰り返してはならない
- Bはがらっと表情を変えるがあくまでもAからの連続を意識せねばならない
- Bは基本的にはテノールのボイシングが支配的でなければならない
- 右手のパッセージはあくまでもどこまでも軽く。しかし左手と決して独立ではなく相乗効果を出さねばならない
- BはテンポはAに較べると自由に設定しなければならない
- テノールに加えBの中間部ではアルトとの2声体の部分もあることは忘れてはならない
- Bのクライマックスはエコー効果を出すこと。この際に左手のボイシングに気を払わねばならない
- Bの終盤の右手と左手にショパンのマジックがある。ここは特に印象的に弾かねばならない
- A’の冒頭はあくまでもBからの連続である。唐突な再現であってはならない
- A’の2回目の主題はスケルツァンドを強調しなければならない
- A’のピークはふっと力を抜くこと(和声も変わる)で印象を強く残すべき個所
- 終結部は一切の解決である。ここだけ違う音楽にならないように全体の構成と移行を設計して演奏せねばらならない
- 最終小節の最低音eと次のオクターブ上のeの間隔を表現しなければならない
- 最期の一連のホ長調のパッセージではピアノ全体が最大限倍音効果を発揮して響くように演奏しなければならない
細かいことを挙げるともっとあるのですが、少なくともこれだけの「ねばならない」があくまでも自然に、滑らかに演奏できなくてはなりません。
全体に呼吸や腕のリラックスも当然重要な前提です。
ここまでひととおり手に、いや体に馴染む段階に到達して初めて、自分の個性、音楽的イマジネーションが発揮できる段階に到達するのです。
もちろん演奏の段階でイマジネーションを無視しているということではなく、あくまでもこの曲を全体としてどう組み立てたいかのゴールイメージは持ち続けることも大前提ではあります。
ショパンエチュードは作品10も作品25もひととおり「弾いた」ことはありますが、ここまで掘り下げるのはこの曲が初めてです。
この曲は個人的には24曲中最高傑作のひとつであると考えていますし、やりがいがあります。