この曲は予てより多くの音楽研究者が、一つの見方としては、ショパンが敬愛していたバッハの平均律クラヴィーア曲集に倣い、全ての(24の)調性を、ハ長調(C dur)で出発しながらも、しかしバッハのように半音階的に上昇していくのではなく、V度(五度)圏(Circle of fifths)で「24の性格的小品集」としたというものである。
しかし、自分としては(多くの研究者やピアニストがそう主張するように)作品28は24曲総体として一つの曲を構成していると捉えている。
なぜそう捉えるかを論理的に説明することを試みたい。
研究者の木下千代氏は、「音楽表現学」Vol.5に掲載された自身の論文「ショパン「24の前奏曲」op.28にみる各曲の関連性と対称性について」(2007年)の中で、ショパンは各曲を「個別に作曲しつつも平行調の対の2曲を常に意識していたといえる」と述べている。
どういう対であるかというと平行調であるから当然ながら長調と短調の対であり、また例外はあるが緩急の対照が見られることが多いのみならず、対となる2曲間に共通の書法が用いられることも多いと述べている。
24曲は概ね短い作品でありつつも、比較的スケールの大きい曲もある。それは8番、16番、24番であり、これが24曲を3分割した場合のフィナーレ的な位置付けにあると解釈する人もいる(実際には13番や15番の演奏時間も比較的長いのだがフィナーレ的(これは主観的だが)ではない)。
また、23番の有名なラスト付近のEs音は23番と24番の連結であるとみなす研究者もおられ、その意味では23番と24番は決して独立ではない。
曲集が一体感を与えるのはあえて各曲クロージングを完結にしているのもショパンの設計であろう。