コンサルタント=ピアニストはきょうも語る

現役経営コンサル兼ピアニストが仕事術とピアノと減量と英語と沖縄とかについて語ります

いくら長生きしても足りない

やりたいことが多すぎる。

音楽と数学と哲学。

古代ギリシャ人が最も大切にした三領域。

音楽は演奏と聴くことと理論を学ぶこと。

弾きたいのはバッハ、ベートーヴェンシューベルトシューマンブラームスショパンドビュッシーラヴェルスクリャービンメシアンなどあまりに多い。

聴きたい曲は演奏は管弦楽室内楽にも及ぶから数は桁が一つ上がる。

 

数学は非可換類体論、ラングランズ予想など理解できるようになりたい。IUT(宇宙際タイヒミュラー理論)も。

 

哲学は徹底的に時間と死について考えたい。カントの純粋理性批判も今なら読める気がする(高校時代に挫折)。

 

あと70年は生きないとな。

東京の対蹠地はどこなのか

2015年10月14日に開始したfitbit、そろそろ2年半が経過しようとしており、最終目標である、累積歩行距離で地球半周する(20,004km超)のPole to Poleバッジ獲得が視野に入ってきました。

現在の累積歩行距離は18,138km、バッジ獲得まであと1,865kmあまりになりました。このペースだと4月中旬には達成できる計算です。

南極から北極までの距離ではありますが、いつも置いているマイルストーンである東京からの大圏距離では、では極地間距離でどこに到達するかといえば、対蹠地(たいしょち)、英語でantipodeになります。

東京の対蹠地は20,037km離れ、そこは海上です。南大西洋の洋上で、最も近い大陸は南米大陸ですが、それでもそのブラジル海岸線まで1,000km以上離れています。

f:id:jimkbys471:20180219124946p:plain

最も近い陸地は東京から大圏距離で18,930km、ブラジルのQuinao(キンタン)という町です。

 

蘭寿とむ

宝塚のファンではないが蘭寿とむのファンだ。

2015年に惜しまれつつ退団した元花組トップスター。

蘭寿とむのことを知ったのは偶々見たNHKスペシャルだった。2015年だったか、当時の各組のトップスターの人物像を描いたものだった。

柚月礼音、蘭寿とむ凰稀かなめ壮一帆だったと記憶している。

その選ばれしトップスターの中でも一際凛とした輝きを感じたのが蘭寿とむだった。

f:id:jimkbys471:20180217133711j:image

宝塚音楽学校入学から卒業まで一度も首席を譲らなかったという。

そして音楽学校首席入学者はトップスターになれないというジンクスを破った数人のうちの一人。

宝塚だからということ、また性別にも関係なく美しい人間というものは存在するということを思い知らされる存在である。

このような美しさを感じる人間は真に稀少である。スポーツ界でもモーファラーやフェデラー、かつてのエドバーグなど数少ない。

 

天才達の真剣勝負

昨日2/17は平昌オリンピックと将棋の朝日杯で天才達の真剣勝負が重なった。

羽生竜王藤井聡太五段と羽生結弦選手にネイサンチェン等。

結果はそれぞれだったが、結果に関わらずそのいずれ劣らぬ真剣な姿勢と熱意と勇気に喝采を送ろうと思う。いや送らずにはいられない。

中でも誰にと問われればネイサンに送りたい。

一昨日のショートは不本意なんてものではなかったであろう。

しかし昨日のフリーは見事だった。演技そのものはもとよりその闘志がである。

何をしてあそこまで彼を駆り立てるのであろう。

順位などもはやどうでもいい。まして国籍など関係ない。

ほとんどTVを見ない自分がたまたまつけた時がネイサンの滑走順だったのは何の偶然なのか。

ありがとうネイサン。

中島義道先生

中島義道先生の著作を読むと大抵のこといや全ての事が些事に思える。

哲学とは有閑の道楽などでは決して無い。

生きること死ぬこと人間の最も本質的な未解決問題に命を賭けて取り組むことだと思い知らされる。

 

人生に意味などない。

自然科学は人間の最も重要な問題をあえて避けている。

幸福など決して第一義的なものではない。

日本という醜い騒がしい国。

善人という極悪。

 

幸せになりたいなら哲学するな。

自己欺瞞を甘受せよ。

大抵の悩みは悩むに値しない。

何事も思い通りになどなりはしない。

しかし受動的なニヒリズムに酔うな。

 

痛快で爽快なまでのロジック。

足が速くなる靴が欲しい

仕事上都内の移動が多いわけだが、1駅、いや2駅分を電車に乗らず歩き、毎日20,000歩以上歩くことを目指しているのは、もはや減量のためや健康維持のためではなく、頭脳活性化および知能進化のためと言っても過言ではない。

しかし、5km(3~4駅分)を歩く必要がある場合、通常の歩行速度(自分の場合8km/h弱)だと、2,250秒、すなわち37分30秒もかかってしまい、乗換時間や駅からの距離を考えても、あるいは渋滞する都心の道路事情を考えても、歩くことは明らかにタイムロスになってしまう。これでは業務生産性が低下してしまい、得られるべき効用がオフセットされてしまい、賢明ではない。

ここで有効な解決策とは、速く歩くことである。

走ればいいという声も聞こえてくるが、都心に勤務する(いや都心ではなくとも)ビジネスマンとして、走ることは明らかにダサい。仕事ができないようにしか見えない。したがって速く「歩く」しかないのである。

ではどれだけ速く歩けるのであろうか。

ベンチマークとしては、まず地球上で最も速く歩ける能力を有する人間の歩行速度を参考するのがよい。

最も速い歩行速度とは、すなわち競歩である。競歩の世界記録、5,000mにおいては、チュニジアのギュラ選手が1997年5月1日に樹立した18分5秒49である。これは時速に換算すると平均16.6kmである。

驚くべき速度である。

速足の自分の2倍を超える。

ちなみにこの速度でフルマラソン42.195kmを歩くと軽く3時間を切る。サブスリーである。歩いてサブスリーである。驚異と言わずして何というべきか。

都内でこの速度で歩くビジネスマンはかなり衆目を浴びるであろう。そしてその衆目の半分は畏敬の念に満ちているだろう(残り半分はどうでもいい)。

地下鉄3駅、4駅を移動するとなると、全くロスなく電車が来たとしても、それだけで6~7分はかかる。駅までの移動を考えると、18分というのはきわめて効率が高い。しかも歩くのであるからほぼ確実である(信号は守らなくてよろしい)。

アキレス社が主として子供用に瞬足という足が速くなる(運動会で)靴を開発し販売したらメガヒットになった。

この実績をレバレッジしてビジネスマン向けに開発すべきだ。

ただしこの靴を競歩の選手が着用してはならない。

諺を信じるな。

ことわざ諺は必ずしも正しくない。

言葉の災いと言ってもいいものが多々ある。

いくつか例を挙げて説明する。

 

石の上にも三年

これは我慢強く辛抱すれば必ず成功するということわざである。そんなことはない。いや、がまんを奨励することは害悪でしかない。個性を伸ばし尖っていかねば一流にはなれない。嫌なことには本気になれないし、本気になれなければ一流にはなれない。一流でなければニーズはない。

 

魚心あれば水心

これは自分が好意を示せば相手も好意を示すということわざ。甘い。尊敬する中島義道先生もこうおっしゃる:「どんなに誠実に話したって、わかってくれないこともある。どんなにいいかげんに話したって、完全にわかってくれることもある。なにしろ相手は「他者」であり、あなたではないんですから、そんなことはあたりまえです。」(『怒る技術』)。そのとおり。

 

瓜の蔓に茄子はならぬ

これは平凡な親から非凡な子は生まれないということわざ。危険な思想である。出生で運命が決まってしまうなら誰も努力も選択もしないだろう。

 

古来から言われていることが真理とは限らない。

疑ってかかることだ。