コンサルタント=ピアニスト=ランナーはきょうも語る

現役経営コンサル兼ピアニストがランニングと仕事術とピアノと英語とかについて語ります

レイ・チェン 無伴奏ヴァイオリン・リサイタル

 昨晩はリニューアル後に行くサントリーホール(何年ぶりか忘れたぐらい久々!)でバッハの無伴奏バイオリンソナタ&パルティータ全6曲をあの世界的に活躍する期待の若手レイ・チェンというこの上なく豪華な組合せのコンサートに行ってまいりました!

何しろピアノ弾きでありながらこの曲集は自分にとって至高の音楽なのであります。

(先日投稿しました!)

 

コンサート情報です!

www.suntory.co.jp

 

曲目解説はこちらです!

無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ - Wikipedia

(ちなみに自分はWikipediaには定期的に寄付しています!)

 

サントリーホール

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当日のプログラムはこちら!

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ベーレンライター版の楽譜も持参しました!

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バッハの無伴奏ヴァイオリンは超一流バイオリニストの演奏でないと聴くに堪えないものです。

本日のレイチェンは超一流であることをはっきりと我々聴衆に示してくれたのでした!

特にソナタ3番ハ長調BWV1005は形而上でした!

このフーガをピアノで左手だけで弾くことにします!

 

 

尊厳死とは何かについて考えはじめてみた

いま自分が主催している研究会のテーマは健康長寿を実現しつつ医療・介護費を抑制することなのですが、先日の研究会の会合において、メンバから直接的に医療費を削減するということでは必ずしも無いにしても(実際には「過剰な」延命治療が抑制されるので医療費削減にはつながると思いますが)、尊厳死に関する位置づけを明確にし、提言に含めるべき、という良い指摘があったので、あらためて考えてみることにしました。

 

自分自身も約13年前に実の母親の延命治療の是非を自ら決断したことがありました。母はパーキンソン症候群を患っており、おそらくはパーキンソン症候群治療の強い薬で脳血管に負担がかかっていたのか(本当のところはわかりません)、ある日脳内大出血を起こし、昏睡状態に陥ってしまいました。

それでも全く回復の見込みがないわけではないということで、数か月間は様子をみたのですが、3か月経過した頃、やはり回復の見込は無さそうと判断し、またチューブだらけの病床の母を見続けるのもしのびなく、また母も(既に意思疎通はできなくなっていましたが)おそらくは無駄な延命は望まない性格であろうと察し、医師と相談の上生命維持システムを停止させることに決めました。

これを尊厳死というか否かは尊厳死の定義次第ですが、厳密には「本人の意思に基づく」とあるので、本人の意思が確認できない以上尊厳死では無いのかもしれません。

参考: 尊厳死 - Wikipedia

また、一般財団法人日本尊厳死協会のQ&Aには尊厳死の定義を含め協会の見解が述べられています:

www.songenshi-kyokai.com

しかし実際問題として、終末期の患者本人の治療継続に関する意思が確認できるとは限らないのではないでしょうか。母のようにある日突然意識を失い戻ることは無かった、という患者さんはいらっしゃるはずです。

なので尊厳死という言い方にどこか違和感を覚えます。politically correctではあるのでしょうがそれだけに何か遠いものを感じてしまいます。

哲学的な問いとしての人間の尊厳とは何か?に帰着させることは思考停止です。

現実の問題でありとても現実的な問題なのです。一般論として昇華させるには何が足りないのでしょうか。

厳密な意味での尊厳死を具現化するには、家族含め個人が自らの余生の在り方死に方を判断でき意思決定できなければなりません。

しかし、どこまでいっても医療介護の専門家と個人の間の情報非対称性は完全には埋まりません。

また、尊厳死高齢者だけの問題でもありません。先日、このような報道がありました:

www.huffingtonpost.jp

新生児で、しかも「ミトコンドリアDNA枯渇症候群」という難病ではありますが、決してレアケースと言って片付けていいものではないと思います。

 

そもそも、尊厳死に関する理解は一般的にはまだまだなのだろうと思います。先日の研究会でも、「尊厳死安楽死の区別がつかない人も多い」というコメントも出ていました。こんなコラムがあります。

takeyear.com

安楽死については2ヶ月ほど前にこのブログでも書いてみました。

 

jimkbys471.hatenablog.com

 

また、尊厳死に関して先日図書館で参考書を探していたら、「平穏死」という言葉もありました。実際に特別養護老人ホームに従事されているベテラン医師の先生が書かれた本です。

www.gentosha.co.jp

 

様々な用語、考え方が出てきていますが、要するに本質は、患者や家族が臨まない延命医療が延命医療であることを患者や家族が認識でき、かつ医師や看護師や介護士が非を問われることのない人間の生の最期のあり方とはどういうことなのか、に関して厳密な定義ではなく現実に広く受け容れられ実践できるもの、を真剣に見出さなければならない時期に来ているのだと思います。

研究会で議論を深めていきたいと思います。

ロボトミーとは

今回は、医療の歴史に残る(黒歴史)少し古いキーワードをご紹介します。ロボトミーとはロボットとは無関係で、lobotomyとはlobe(葉)とtomy(切除を意味する接尾辞)から成る単語で、直接的には前頭葉切除術のことです。

あえてシンプルに言ってしまうと、1930年代、未だ現在のような精神障害に対する薬物治療が出現する前の頃、鬱や統合失調症(当時は精神分裂病と言われていましたが)を治療するには、前頭葉を切除してしまえば治ると専門医ですら信じていた時代だったのです。

1935年にチンパンジーの前頭葉を切除したら性格が穏やかになったという知見がきっかけで、同じ年にポルトガルのモニスという医師が人に対してこのロボトミーを施術したところ、症状が軽減されたということで一躍話が広まり、当のモニス医師が後にノーベル医学・生理学賞を受賞するは、日本でも東大病院や都立松沢病院(精神科では日本有数の病院です)でも施術されるなど、当時としては極めて画期的な治療とされたものです。

ところが、現代医学からすればこのオカルトのような手術も、当時としてはそれ以外の治療法は存在せず、わずかな「エビデンス」を基に臨床での応用に至り、その結果不可逆的な深刻な副作用(それはそうですよね。人間を人間足らしめる根幹の臓器が失われてしまうのですから)が、ロボトミーを施術した医師を患者の家族が殺害しようとするなどの事件も発生したことがありました。

いまとなっては中世の医療のように聞こえるこのロボトミーですが、つい最近20世紀に起こったことなのです。

現代の西洋医学においてエビデンスがあり副作用を上回る効果があるとされている治療の中にも、将来から振り返ればこのような運命を辿る治療法があるかもしれません。

例えば広く行われている麻酔にしても、実は科学的根拠は証明されていないという事実があります。

腹水について調べてみた

少し前のことですが、ある引案件で、腹水をマネジメントする画期的な製品を開発したので拡販をどうしたらできるかという相談がきました。そこで、あらためてこの腹水について調べてみました。

お腹にある臓器をつつむ膜を腹膜といい、臓器と臓器の摩擦を少なくするために腹腔と言う隙間を形成しています。

腹腔には通常20〜50mLの水が入っていますが、がんや肝硬変等疾病の影響で通常より多く貯まった状態を腹水といいます。

治療法としては、軽症であれば安静にしていること、塩分の少ない食事にする食餌療法、利尿剤やアルブミン製剤の投与等の薬物療法が行なわれます。

腹水(英語ではascites)自体が直接的に命に危険をもたらすものではないのですが、それも程度問題で、腹水が異常に多くなると内臓を圧迫し呼吸困難になってくるなど、QOLが著しく損なわれる難治性腹水と呼ばれる状態になります(上記の療法が奏効しない場合)。

こうなると、物理的に腹腔に針を刺して(腹腔穿刺)腹水を抜き取ることが行なわれますが、抜いてもまた腹水が溜まるので繰り返し行わなければならず、これは外科手術なので患者さんに負担がかかります。

1980年代に開発された腹水の治療法に、CART療法というものがあります(最近がん治療で脚光を浴びているCAR-Tとは別物です)。CARTとは、Cell-free andConcentrated Ascites Reinfusion Therapy(腹水濾過濃縮再静注法)の略で、肝硬変やがんなどによって貯まった腹水(又は胸水)を濾過濃縮して、アルブミンなどの有用なタンパク成分を回収する治療法です。

医療機器の世界では、実はこのように未充足医療ニーズがあり、それを充たすアプローチと技術があり、しかも当局の承認を得て診療報酬で費用が償還されるという条件がすべてそろっていながらも、実際には当初の想定ほど売れない、という例は珍しくありません。

原因は真の顧客ニーズの過大評価であったり、マーケティング戦略・戦術の不備によるところが大きいのですが、そもそも製品企画の段階でこの「売れないリスク」を現実的に客観的に評価できていないことが主たる要因です。

確かに、技術的にハードルは低くとも、実際に臨床で使える製品を開発するには医療機器としてのリスクの評価のための試験や承認申請の手間および時間など容易ではないのですが、開発の最も上流の段階でプランニングがしっかりしていれば避けられる問題がほとんどです。

筆者が戦略コンサルタントとして医療機器関連の新規事業開発や新製品開発でいくつかのクライアントが成果を出し実際に製品を上市してロングセラーになって例なども振り返ってみると、やはりそもそもの講義のマーケティングをしっかり行なったことが成功の鍵でした。

バッハ無伴奏バイオリンソナタ

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至高の音楽です。

それ以上の言葉は要らない。

少年時代、ギドンクレーメルの演奏をよく聴いていました。

木曜日はNHK BSのクラシック倶楽部でジェームス・エーネスの演奏を聴きました。

昨日ギル・シャハムの演奏をYoutubeで聴きました。

いまNHK BSプレミアムシアターで五嶋みどりの演奏を聴いています。

今週土曜はサントリーホールにレイ・チェンの演奏を聴きに行きます。

よく視ているオンラインピアノ講座

ピアノレッスンは基本的にお金がかかるし(かけるべきです!)、それ以上に良い先生と巡り合い(大人のアマチュアを教えてくれるとは限りません)、レッスンの日程調整もなかなか仕事の都合や先生の都合で難しいものがあります。

そんな状況はおそらく誰にでも多かれ少なかれあると思います。

オンラインでレッスンを受けられたら良いのですが、やはりリアルにマンツーマンでレッスンを受けることにはほど遠いものがあります。

しかし昨年あたりから視聴している良いオンラインピアノ講座があるのでご紹介します。

ただし英語です。

アメリカはミシガン州在住のピアニスト、Josh Wrightが自分のウェブサイトやYoutubeで公開しているのがそれです。

彼のウェブサイトはこちら:

www.joshwrightpiano.com

Youtubeチャネルはこちら:

www.youtube.com

このチャネルはいまみたら38,972人もSubscribersがいます。クラシックでこの数はかなり多い方と言えるのではないでしょうか。人気チャネルですね!

 

Youtubeではピアノに関して必ずみなが悩むような様々なポイントを一つ一つ短い(5分から10分程度)動画でJoshが実際にピアノの前で弾きながら判り易く解説してくれます。

ただし英語です。英語の勉強にもなり一石二鳥ですね。

たとえば、「どうしたら暗譜できるか?」「跳躍を外さないようにするにはどうしたらよいか?」「ステージであがらないようにするにはどうするか?」といったかゆいところに手が届くポイントばかりです。

また、曲目毎のレッスンもあります。たとえばショパンエチュードは全曲ではありませんがぼくは25の5はとても参考になりました。無料版だと途中までなので、US$5支払って20分ほどの動画を視て勉強しました。

リストの愛の夢ハンガリー狂詩曲2番といった有名曲、またチャイコフスキーのピアノ協奏曲もあるなど、曲目も幅広いです。

ぜひまずはYoutubeでお試しを!

ショパン練習曲作品25第12番「大洋」

昨年からじっくり取り組んでいるショパンエチュード作品25の第5番と並行して、最近は25の6番(三度のエチュード)と25の12番(大洋、Ocean)を練習しています。

作品25の12番は、エチュードの中では比較的易しい曲とみなされていますが、ショパンのことですから、決して易しい曲などではありません。

全曲は4分の4拍子、83小節から成ります。速度指定は二分音符=80とありますが、これでは速すぎます。これで演奏するとちょうど2分ぐらいになってしまいます。

音源はたとえばホロヴィッツのような往年の名ピアニストの演奏が好きです。

www.youtube.com

ホロヴィッツはかなり速く弾いていますがそれでも2分30秒ほどです。ですので、速度は指定より遅い60ほどですね。

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この曲は画像のように全曲をとおして両手とも上行下行するアルペジオの繰り返しで、聴くものにとっても弾くものにとっても非常に判り易いシンプルな作りです。

この曲の難しさの一つは、このようにシンプルな構造と繰り返される音型が決して一つ一つが小さなうねりとなりながらも、調性の変化、そして曲の大きな3部形式の構造という波長も振幅も違う大きなうねりを前面に出しストーリーを明確にすることにあります。

特に中間部31小節目から46小節目にかけての息の長いクレッシェンドの方向性を明確に緊張感を高めていくところはとても重要です。

ショパンエチュードの楽譜は昔からコルトー版を使っています。

ルフレッド・コルトーが全曲に曲の演奏上のポイントを細かく記してくれていることがその理由です。

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 ここの下線はぼくが弾いたものですが、小節の頭の音が主旋律を構成しているのですが、コルトー先生がおっしゃっているのは、この音ばかり強調して他をおろそかにしてはいけない、ということです。常に密度の高い響きを作るように一つ一つの音を基本的には均等に鳴らすということです。これにより輝かしい、広音域にわたる倍音の響きが得られます。

練習はいきなり両手で弾くのではなく、特に左手が右手の足を引っ張ることのないよう、片手ずつ練習するのがよいでしょう。速度は1/2程度に落として確実な移動と打鍵と均等な響きをよく聴きながら自然にできるようになるまでじっくりさらうことです。

それができるようになったら両手で、主旋律が明確になるように、かつ調性の変化に応じて色彩の変化を十分につけられるようにすることです。

そしてデュナーミクの変化も曲想に応じて十分につけられるようにならねばなりません。

ただただ激しく弾けばよいというものではなく、中間部の初めのAs durのやさしさ、温かさもとても重要ですね。

耳を澄ませば(練習メモ)

自分の演奏のどこに問題があるか自分で判るようにならねばならない。

そのために音楽史音楽理論を学ぶことが必要だ。

「弾く」行為にばかり神経をとられていると、肝心の「聴く」方に神経を配ることができなくなる。

音の多い曲ばかりやっていると全ての音に神経を配ることができなくなる。そしてますます聴くことが疎かになり、音の少ないシンプルな曲ですらしっかり聴かずに演奏してしまう。

かなりの水準の人でもこれを多かれ少なかれやってしまう罠にはまっている。

練習の際は片手ずつ或いはゆっくり弾くのは音を覚え動きを覚え込ませるためではなく、そもそもしっかり聴く為だ。

これを意識するだけでみな演奏が格段に良くなる。聴くということがどういうことかさえわかっていれば。